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ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

ボケのため母が仕事を辞めたことで

家族と私

考えが全く整理できていないが、12~2月に起こったことをザーッと書いていく。

12月に実家を出て一人暮らしを始めた

(これは、母が仕事を辞めることになる前の出来事である)
ここ2年くらい実家で両親と暮らしていたが、12月に一人暮らしを始めた。

  • 給料の半分を実家に入れていたが、父と意見が衝突すると「ここは俺の家だ」と言われて意見が全く通らない
  • 父が酒を飲んで夜遅く帰ってくるたびに怒った母とケンカになり、それを見るのが嫌

が主な理由(幼稚すぎて笑えるだろう)だが、実際一番大きいのは、

  • 父母がトイレの水を2~3回に1回しか流さないこと/風呂の水を2~3日に1回しか換えないこと
  • 父がトイレの戸を開けたまま用を足す音/父が朝、痰を切る音(ガラゴロガラゴロカーーーーーッ、ペッという地響きのような爆音)

が生理的に無理

という、これまた幼稚な理由であった。

父と意見が衝突した時に意見が通らない、というのは、母が少しボケてきているのではという思いがあり、「病院に連れて行った方がいい」と主張する私と、「夫婦の問題だからお前は口出しするな」という父との間で、ずっと揉めていたのである。

それを筆頭に、「母とケンカにならないよう、飲み会の時はもっと早く帰ってきてほしい」とか、(書くのもバカバカしいが)「トイレの水を毎回流してほしい」とか「トイレの戸を閉めて用を足してほしい」とかも、「ここは俺の家だからお前は口出しするな」と言われて全く聞き入れてもらえない。

「ここは俺の家だ」、確かにそうなんである。
なんか戦前の家みたいだが、私が子どもの頃から父は圧倒的な「家長」であり、給料の半分を家に入れているとはいえ、私は居候である。

なので、「一緒に暮らしているのだから、私の意見も聞いてほしい」と主張したり、父が出す音を聞きたくなくて耳栓をしたり、耳栓をする自分に自己嫌悪したりするのもアホらしくなってきたので、一人暮らしを始めた。
12月時点で、母は少しボケてきているように思えたが、切羽詰まった状況ではないし、実家から3分の家に住み、毎日様子を見に行った方が上手くいくように思われた。

私と父の仲の悪さは、「仲がよい」「ふつう」「仲が悪い」の3段階で、それぞれに「上」「中」「下」があるなら、「ふつうの下」か「仲が悪いの上」ではないかと思う。
一緒に暮らすのは苦痛だが、離れて暮らせばお互いを思いあえる(たぶん)程度だ。

事実、一人暮らしを始めてからは父と争うことは全くなくなり、父がパソコンで作った年賀状をプリンタで宛名とともに印刷してあげるなどして仲良く暮らしており、一件落着のように思われた。

母にとって仕事は生きがいだった

だが2月の始め、母が仕事を辞めることになった。
おそらく、「ボケてきたため業務に支障が出てきた」ことが理由で。

母がボケているのかどうかを書く前に、母のADHD疑惑について書いておく。
診断は受けていないが、母はADHD(注意欠陥・多動性障害)ではないかと私は思っている。
なぜなら、一般的なチェックリストの項目が、きれいなくらいに全てあてはまるからだ。
だから、母の症状が「ボケが原因のもの」なのか、「ADHDの症状が老化によって強くなってきたもの」なのか、その混合なのか分からないが、とりあえず書いていく。

父は年金暮らしだが、母はまだ60代後半なこともあり、介護助手として働き、夜勤もしていた。
施設が儲かっていることは豪華な外装を見れば一目瞭然だが、時給は830円と激安で、そのため常に人手不足だった。

母はペース配分ができない。
時給が激安ならそれなりにしか働かない、という決断もあっていいと思うのだが、母は決して手を抜かなかった。
出勤時間の30分前には職場に着いていて(無給)、朝から120%のペースで働き始める。
当然、帰ってきた時にはクタクタに疲れ果てている。

母を見ていて思ったのだが、疲労はボケによくない。
去年の秋頃から、夜勤明けにおかしな行動が増えてきた。
今日の日付を何回も聞かれるのはいい方で、短期的な記憶が抜けていることもあった。
本当は無かったことを妄想でつけ加えて、あたかも本当の出来事のようにその人の悪口を言うことも増えてきた。

だけど、ADHD疑惑もあるくらいなので、昔からそうと言えばそうなのである。
私も父も、母が最近特におかしいのか、昔からおかしかったのか、よく分からなかった。
だから、病院で診断してほしかったのだが、先述したように父とその点で争いになっていた。

仕事を辞めた方がいいと、母には言い続けてきた。
私から見れば、いくら60代後半といっても全く割に合わない仕事であり(母はその上、夜勤時に自費で同僚に差し入れまでしていた)、既に年金をもらえるのになぜ続けているのか理解できなかった。
それでも、母にとっては、この仕事が生きがいだったのだろう。辞めるとは絶対に言わなかった。
こうなったら、本人が辞めたいというまで続けさせるしかなかった。

2月に仕事を辞めた母の生きがい探し

そして2月の初めに、母は突然仕事を辞めることになった。
事情は、母本人から何回聞いても、記憶が抜けていたり自分に都合が悪いことは言わなかったりするのでよく分からない。

母の同僚から聞いた話では、去年の秋頃から、(名前が書いてあるのに)同僚の制服やシューズを間違えて着たり、仕事のミスも増えてきていた。
そして、1月に比較的大きなミスがあり、母本人も前から辞めたいと言っていたので、今回辞めることになったという(解雇ではない)。

これを受けて私は、「やっぱり母は、普通の状態とは違ってきているのかなあ」と思わざるを得なかった。
それまでは、「ボケてきているように思うけど、仕事はできているのだから、私たちの気のせいなのかも」と思って安心している部分もあったのだ。

母を病院に連れて行くかでさんざん父と揉めてきたが、今回、父はあっさり母を病院に連れて行った。
母も、それに同意した。
たぶん二人も、私と同じ気持ちだったのだろう。

検査の結果、現時点では、痴呆症やアルツハイマーではなかった。
ただ、小さな脳梗塞になりかけの部分があり、薬で治していくことになった。
脳梗塞になりかけると血流が悪くなってボケに似た症状が出ることもあるというから、それが原因なのだろうか?
または、老化によるボケなのだろうか?
ADHDはその病院では診断できず、遠くの病院に行く必要がある。
これについては、まず父にADHDとは何かを知ってもらう必要があり、これも相当揉めそうなので後回しにする。

仕事を辞めてから、母は落ち込んでいる。
初めて耳鳴りを訴え、前からあった飛蚊症と併せて辛いと言う(病院には連れていったが、特効薬はない)。
仕事の疲れがまだ取れなくて辛いと言い、同時に、もう働けなくて辛いと言う。

私は平日働いているので夜に実家に行くが、必ず「泊まっていったら」と言い、(実家から3分も離れていないのに)「帰ったら電話してね」と言う。なので、最近は実家に泊まっている。
私も12月時点で今回のことを予測できたら、一人暮らしはしなかったと思う。

落ち込んでいる母を元気づけるために、何ができるだろう。

私は2人姉妹の長女で、高速で1時間離れたところに妹夫婦と生まれたばかりの孫(私にとっては姪)が住んでいる。
仕事を辞めて時間ができたのだから、大好きな孫に会いにいくかと思ったら、なぜか行かない。
妹も来いと言っているし、義弟は世界一よくできた夫である。
今回も母に、孫との温泉旅行と、サプライズで現地でお花をプレゼントしてくれたのだ。

たぶん母は、慣れた家を離れるのが嫌なのだろう。
妹は、義弟が若くして買った新築に住んでいる。
素敵な家だが、3階建てで、泊まりにいくと母はいつも迷子になる。
部屋の都合で1階に寝るのだが、トイレは2階にある。
夜中、トイレで2階に行くと、なぜかそのまま3階に行ってしまって迷子になっている。
これは一例で、その他いろいろな新しめの仕組み(電気がボタンではなくリモコンで着くとか)が苦手らしい。
よく、「〇〇ちゃん(孫)がその辺に住んでいたら、ぱっと借りてこれるのに」と言っている。

母は、とにかく写真が好きだ。
なので、孫の写真をすぐ見られるようデジタルフォトフレームを買った。
すると、「やっぱり写真はプリントがいい」と言うので、プリントしていなかった最近の写真を全部プリントして、アルバムに入れた。
今は、母がプリントしたままで長年放置していた年代不明の写真を整理している。

これから私がすること

「ブログのこれから、私のこれから」で、「3月末に今の仕事を辞めるつもりだ」と書いたのだけど、それは延期にする。
とりあえず今は、母を元気づけることが最優先で、そのためにはお金がいるからだ。

私は、以下のことをするつもりだ。

  • 母の新たな生きがい探しを手伝う
  • ADHDの診断ができる病院に、母を連れて行く
  • 運転免許を取る?
  • 一人暮らししている家を引き払う?

驚くだろうが、私は運転免許を持っていない。
大学時代は生活費を稼ぐので精一杯で、会社員になってからは暇がなく、そうこうするうちにパニック障害と円錐角膜(右目の視力がすごく悪い)になってしまった。

私が住んでいる所は田舎で、もし免許を持っている父が倒れたら、父や母を病院に連れていけなくなる。
だから、免許を取らなければならないことは分かっているが、果たして私は車を運転できるのだろうか。

今年、いや来年の「夢」は、近くの花の名所に、車で母を連れて行って、写真を撮ってあげること、になりそうだ。

あと、なぜ冒頭の部分をあえて入れたのかというと、老いた親と暮らすということは綺麗ごとでは片づかないこともある、ということを言いたかったからである。
自戒として、私の幼稚な部分をあえて晒しておきたい。

追記:父の良いところが全く書けていないけど、父には長所がたくさんあるので、そのうちそのことも書きます。

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