ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

どんな運よりも「死に運」が強くなりたい

昨日、「これから仮想通貨ブロガーになります」宣言をしたら、何だかいろいろ吹っ切れた。
検索流入メインにするので、もう気合を入れて記事を書かなくていい。

なので、仮想通貨記事を書いてばりばり稼ぐ前に、できるだけ毎日寝る前に(もしくは暇なときに)どうでもいいことを10分くらいで書こうと思う。

さて、私は自分の「死に運」が気になっている。
それは、「いかに苦しまないで死ねるか」という運だ。

私は、死自体はいつ迎えてもいいのだけど(むしろ生活費を稼ぐのがめんどくさいので早く死にたい)、死の間際の断末魔がとても怖い。
自分が耐えられるのか、とても不安だ。

いや、耐えられなくても死ぬんだから同じなのか。
でも、ものすごく苦しんだら、その苦しみの念波が周囲に焼きついて、地縛霊になったりしないのか。

あと、どう即死すれば、痛みを感じずに済むのかも気になる。
たとえば、飛行機事故などで即死する時、激痛が神経を通して伝わる前に脳が破壊されれば痛くないのか、とかいろいろ考える。

その時いつも、向田邦子氏のことを考える。

向田邦子氏はもともと脚本家で、初のエッセイ集を出したわずか3年後、51歳で飛行機事故のため亡くなる。
お母様は娘が亡くなった後も、100歳まで(つまり娘の倍の年)生きる。

あれほどの才能に恵まれて、死後もずっと語り継がれているという、作家としての強運。
だけど、短命でしかも事故で亡くなってしまい、自らは長生きしたお母様はどんなに無念だったか、ずっと娘のことを思い続けて生きたのではないかとか、いろいろ考えると、いったい人間は何の運が強いのが最も幸せなのか、よく分からなくなってしまうのだ。

「一人ひとりの運の総量は同じ」という言葉があるけど、嘘だと思う。
私と大富豪の運の総量が同じわけない。

でも、大富豪だったけど最期はものすごく苦しんで死ぬのと、貧乏だったけど最期は眠っている間に無痛で死ぬのだったら、絶対に後者がいい。

仕事運とか恋愛運はなくてよいから、「死に運」だけは最強であってほしい。

あとさっき、「生活費を稼ぐのがめんどくさいので早く死にたい」って書いたけど、もし長命という運をもらっているのなら(いや短命かもしれんけど)、死を迎えるその日までは日々生きていられることに感謝して、低空飛行でいいから何とかやり過ごしてゆるゆると生きのびよう。

生きていられるだけで、それは一つの才能なのだから。