ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

ちがう時代の地縛霊は満員電車みたいにギュウギュウだったりしないのか

私は幽霊を信じている(見たことはない)。

正確に言うと、怒りや恨みといった強い負の精神エネルギーは、当人が死んでもこの世にとどまるのではないかと思っている。

たとえば、突然殺された人の死の瞬間の強い思念が、その土地に焼きつくように照射されて地縛霊になるのではと、根拠もなく勝手に思っている。

それで、疑問に思うことがある。

たとえば、平安時代末期の古戦場と、戦国時代の古戦場が同じ土地だった場合(そんな土地あるか知らにゃい、ただの仮定)。

その場合、ちがう時代の無数の地縛霊は、同じ土地に共存しているのか。
物体ではないからあり得ないけど、負の思念がごく狭い土地に照射されていたら、その部分が地縛霊で満員電車のようにギュウギュウ詰めだったりしないのか、エネルギー的に。

負の精神エネルギーは、時がたつにつれ薄れてゆくんだとは思う。
実際、「ここは縄文時代の幽霊が出る」とか聞かないし。

政敵を呪い殺し、平安京の内裏に雷を落としたとして、雷神として祀られた菅原道真。

さすがに、道真の死後に4人の政敵が次々と亡くなったり、雷を落としたりしたのは道真の怨霊のせいではないと思うけど、もし本当に道真のしわざだったらどうだろう。
膨大な量のマイナスエネルギーだ。
肉体を離れてなお、それだけ影響をもたらす負の思念、まさに神。

それで何を言いたいかというと、死にたいほど苦しかったり誰かを憎んだりする時、「この負の思念で、雷を落とせるか?」って考えるといい。
実際は、雷どころか、生霊を飛ばすことすらできない程度のエネルギー量だから。

何かを恨んだり憎んだりするのにも、才能ってあるんだな。
そう考えると、悩むのが割とバカバカしくなる。

(道真の漢詩は女々しくて面白かったんだけど、どの漢詩か忘れたのでまたそのうち書く)