ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

挿入は要らない|自分の中の、同性愛と性行為についての考察

勝間和代さんの「同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト」で、『人生において、男性を愛したこともあり、今は増原を愛している。愛したのは、その個人であり、性別ではない』という文章を読んだ時、私は「これぞ理想の恋愛だ」と舞い上がった。

性別などの属性を超えて、その人個人を愛する。
そういう恋愛がしたいと思った。

同時に、今まで目を背けてきた自らの性的指向について考えた。

こういうことは日記帳に書くべきだが、自らの性的指向について淡々と書かれた読み物をあまり見たことがないので、多少は読み物的価値があると思い公開してみる。

挿入は要らない

挿入は要らない。

たったこれだけのことに気づくのに、生きてきた時間の分だけかかった。

牧村朝子著「百合のリアル 増補版」に出てくる、下記すべてに私は該当する。

可愛い女の子を見て、とにかく幸せな気分になること。

さわやかな汗やメンズの香水より、甘くやさしい女の子の匂いに惹かれること。

がっちりムキムキした身体より、ぷにぷにまぁるい身体を抱きしめたいと思うこと。

今まで「恋をしなきゃ」と感じながら恋愛していた相手は全員男性だったけれど、「恋に落ちちゃった」と感じた相手は全員女性だったということ。

自分には性欲はないと思っていたが、正確には「挿入欲」がなかったのだと思う。

好きな人とイチャイチャしながらお風呂に入った後、あたたまった身体にやさしく触れて、特に達することなくただ一緒に眠れたら、どれだけ幸せだろう。

そういった欲求も性欲に入る、性欲は自分で定義していい、または恋人どうしで定義していいということに長い間気づかなかった。
挿入欲がないのは、自分が性的に未開発なお子さまだからだと思っていた。
でも、ちがう。

挿入があると対等になれない

私が「挿入は要らない」と思うのは、男性との性行為は「挿入=男性が達すること」が終わるまで終わらない、男性メインの不自由さが嫌だからだ。

挿入のたびに、自分が「個体」ではなく「女体」に過ぎないと思えてしまう。
自分が、男性が達するための入れ物に過ぎないと思えてしまう。

楽しいはずの行為のたびに、「恋人なのに対等ではない」と感じてしまう。
つまり、楽しくない。

こうした感じ方は私だけかもしれないが、感じ方まで含めて「性的指向」が構成されるのなら、少なくとも私は、異性愛に違和感を感じている。

そして、「挿入しないと終わらない男性が愛しい、気持ちよく終わらせてあげたい」と思えない時点で、やはり私は異性を性的に愛していないのだろう。

結婚していたことがあった

私は結婚していたことがある(今まで書かなかったのは言語化できなかったから、そしてブログに人生の全てを書く必要もないと思ったから)。
ずっと前に離婚して、子どもはいない。

夫の意向で家計は別々にしていた。
当時私は、会社を過労で退職した後で、貯金を崩して暮らしていた。

子どもが欲しかったが、家計は別だ。
なので、私は子どもを作る前に、確固たる経済的基盤が欲しかった。
この時の決断は愚かだったと今でも後悔しているが、働きながら資格試験を目指して予備校に通った。
1年くらい必死に頑張った後、持病が再発してしまった。

再び働けなくなった時、夫の行動に不自然さを感じて、夫のクレジットカードの明細を見た。
1ヶ月で50万円の支払が記されていた。

家計が別でなかったら、子どもが欲しくてお金がなくて資格試験を目指して病気が再発したのでなかったら、たぶんスルーしていただろう。
それまで、夫の郵便物や財布、携帯などは全く見たことがなかった。だから、夫も無防備だった。

そして、夫が週3日は風俗に通っていたこと、50万の支払は複数の性的サービスへの合算であることを知った。

このことについては、100%私が悪い。

当時私は、SSRI(抗うつ薬の一種)を飲んでいた。この薬は、副作用で性欲がなくなる。
だから、夫を手や唇で慰めていた。

そうした私の事情と夫の事情(性欲)について話し合って、どういう性的コミュニケーションを取ればいいか、二人で徹底的に考えるべきだった。

私は、無意識下の異性愛への違和感に気づかないまま結婚し、結果として、夫を性的サービスに大金を払わなければならないほど追いつめてしまった。

元夫にもし会えたら謝りたい。ごめんなさいと。

勝間さんのカミングアウトがなければ、自分の性的指向にも気づかないままだった。
でも、今思えば、目を背けていただけで兆候はあったのだ。

同性への初恋

思えば私は、好きな男性のタイプを「プライドと偏りと性欲が少ない人」と後ろ向き(消去法的)にしか言えない。
だけど、好きな女性のタイプは前向きに言える。

  • 頭が良くて、謙虚で、普段は冷静なのに心は熱い人(見た目はどうでもいい、むしろ見た目に構わない人が、私に会う時だけ少し身なりを意識してくれたなら、すごく萌える…)
  • 素直で親切で純粋な人

だいたい好きになるのは、どちらかのタイプである。
私は頭も性格も悪いので、自分にないものを持っている人に異常なほどに惹かれてしまう。まさに恋に「落ちる」だ。

だけど、そうした気持ちは男性にはあまり向けられない。
今回、自分の中の同性愛的傾向に気づくまでは、「(結婚のために)恋をしなきゃ、この人なんかどうだろう」と無意識下で思いながら、異性とコミュニケーションを取っていた。恋に「落ちた」ことはない。

失礼な話だ。こうした行為を無意識にしていたのだ。
今まで接した男性たちに深く謝りたい。

今思えば、同性への初恋は、職場の後輩だった。
「この人は、他人に黒い気持ちを抱いたことなどないのでは」と思うほど素直でまっすぐで天真爛漫で、「地上に降りた天使」と勝手に思っていた(思い込みやばい…)。
今も、彼女の少し幼くほんわかした声の響きや、小さめな瞳にぽっと灯るやさしさを思い出すと、この世にはない純粋さや美しさが凝縮された結晶があの瞬間にはあったなあと懐かしい気持ちになる。

だけど彼女は、私を友人としてではなく、職場の先輩として接していた。
ある時、彼女が私の打ち明け話を、彼女の同期に話していたことを知った。
私は、彼女への気持ちが恋愛だと自覚しておらず、「友情にも片想いがあるのだ」と思って、彼女の負担にならないよう徐々に距離を取った。

今思うに、友情には片想いはない。
自覚できていなかったが、「私が彼女のことを思うほど、彼女は私のことを好きではない」と温度差に失望した時点で、私は彼女のナンバーワンになりたかったのだ。
そうした気持ちは、恋愛(1対1)だ。友情(多対多)ではない。

自分をラベリングしない

今回、自分の性的指向に気づけてよかった。
異性愛に違和感を感じていると自覚できたから、「恋をしなくちゃ」という義務感で異性に接することをやっとやめられる。
失礼な行為をもうしなくて済む。

だけど、自分を「同性愛者」だとラベリングはしない。
ラベリングすることで、また不自由になってしまいそうだからだ。
自分の性愛のあり方を、ただ素直に受けとめる。私は私。

次こそは、その人個人に恋したい。

「恋をしなくちゃ」という義務感、「この人は属性的に都合がよい」という打算、そうしたものを全て捨てて。

もし好きな人に出逢えたら、その人が女性だろうと、70歳で介護が必要だろうと、借金があろうと、家族が反対しようと、その他複雑な事情があろうと、全て乗り越える。

本当に好きな人に出逢えたら、片想いでいい。
長く生きてると分かる。「片想いでいい」と思える人に出逢えることは奇跡なのだと。

「そんなの夢物語だ」と思う人もいるだろう。
私もそう思っていた。
だからこそ、恋に対して義務感と打算しか抱けずにいた。

やっと、自分の性的指向を自覚でき、その上で心のままに動けるほど、大人になれたのだ。
自分の心が本当に動く時まで機を待ちたい。

そして、今の私には好きな人を惹きつけるだけの魅力がないので、自分を磨きながら長いひとりの時を生きていきたい。
何より、もっと面白いブログが書けるよう精進したい。

(今後はたぶん、しばらく恋愛系の記事は書かずに、労働問題や、就労できない人が就労できる手助けになるような情報発信をしていきたいので、私の恋愛系記事が苦手だと思っている人も、まだまだよろしくお願いしますにゃ〜)

百合のリアル 増補版

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