ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

発達障害の子を受け入れることが「できない」親|新幹線殺傷事件1

新幹線内で乗客3人が殺傷された事件で、容疑者の母親は「一郎は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました」とコメントを出している。

容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」コメント全文|産経WEST(魚拓)

(※現在は「一朗は私なりに愛情をかけて育ててきました」と修正されている)

小島容疑者のこれまで

小島容疑者は、どんな人生を送ってきたのだろうか。

週刊文春 6月21日号[雑誌]」によると、5歳の時、児童保育所からアスペルガー症候群(発達障害の一種)の疑いを指摘されている。

「ところが母親は『そんなの大きくなれば治る』と病院にも通わせずに、放置していた。父のS氏の説明だと、『成長は遅いと思っていたけど、学校の先生に"この子は普通ですよ"と言われたので、病院や特殊学級には入れなかった』と言っていました」

(親族談)

中学生の時に不登校となり、父親とも不仲になる。

中学二年時に、母親が相談したNPO法人代表は、小島容疑者をこう語っている。

「うちは居場所のない人を支援する自立支援NPOで、母親から相談を受け、一朗くんをうちのシェルターで預かることになりました。彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。定時制高校に入学したのですが、成績はオール5で四年かかるところを三年で卒業したくらい優秀。他の人とトラブルを起こしたこともない」

小島容疑者は、この施設から中学・定時制高校・職業訓練校に通い、5年間集団生活を送った。
職業訓練校卒業後は、機械修理会社に就職。一人暮らしを始める。

「彼は理解力が高く仕事は優秀で、人間関係も特に問題はなかった。親会社から発注される機械の修理を担当していましたが、いくつも資格を持っており的確にこなしていた印象です」(機械修理会社の社員)

しかし、社内でいじめにあい、翌年退社してしまう。

その後は、下記の経緯をたどっている。

実家にひきこもり、家出と警察による保護を繰り返す

病院に2ヶ月入院、自閉症と診断される

退院後、母方の祖母と養子縁組をする

昨年11月から障害者支援施設で働きだすが、1ヶ月で辞める

「自殺する」と言って家出し、半年間寝袋で野宿しながら長野県内を転々

今回の凶行

発達障害の子を受け入れられない親

ネット上では、祖母と養子縁組させた両親、「自分は『生物学上の産みの親』である」と発言し「一朗君」と連呼した父親、そして、事実を直視するのに時間がかかるからそっとしておいてほしいとコメントを出した母親が非難されている。

前述の「週刊文春」掲載の父親インタビューを読んだ人はおそらく、「愛情のない父親が悪い」と感じるだろう。

しかし、こうも思うのだ。

発達障害の子を受け入れることができない親は、どうしたらよいのだろう?

もう少し広げると、

発達障害や精神疾患の家族(親・子・兄弟姉妹・配偶者など)を受け入れることができない人は、どうしたらよいのだろう?

発達障害の子を受け入れることが「能力的にできない」

受け入れることが「できない」の中には、受け入れることが「能力的にできない」というパターンがあると思う。

例えば、発達障害の子の親もまた、発達障害である場合だ。
(注:この事件の容疑者の親が発達障害という意味では決してありません)

発達障害と診断がつかないグレーゾーン、または健常者でも、「能力的にできない」という状態はあり得る。

(注:ここから書く内容は、私の母を貶めたい意図では決してなく、親子間の事柄をできるだけ淡々ととらえようとした私感に過ぎません)

例えば、私の母は、ADHD自己記入式症状チェックリストの項目がほぼあてはまる。
母がADHD(発達障害の一種)でないにしても、すごく天然で会話のキャッチボールができない人なので、私は母をとても愛しつつも、人生相談等は一度もしたことがない。

戸惑うことは多々あったが、最も戸惑っていることを挙げる。

私はパニック障害(精神疾患の一種)なのだが、母はこの症状について「歩けば治る」としか言わない。
なぜその結論に達したのか分からないが、思考がそこで止まっていて決して変化しないのである。

例えば、症状がひどくて仕事を休んでしまった時、母は「歩けば治るのに、なんで歩かないの」と言う。
「そうだね。頑張って歩くね」と答え、実際に歩くようにしているが、この受け答えが地味につらい。

パニック障害は結局は、投薬で治すのが最も効果的なのだが、母は「薬を飲むから余計おかしくなる」と言う(母でなくとも、そう思っている人は一定数いる)。

パニック障害について何度も説明したが、何というか理解してもらえない。

さらに、母は悪意で言っているのではない。
良かれと思って、「歩けば治る」とアドバイスしてくれているのだ。

親が自分の症状を受け入れることができない場合

このことについて、自分の心の負担を減らすために考えてみた。

  1. 母は、パニック障害の仕組みが理解できなくて、自分が理解できる構造(歩けば治る)に置き換えている
  2. パニック障害が病気だと受け入れるのに、心理的抵抗がある
  3. 親にも、子の病気を受け入れない自由がある

1は例えば、文章を読んでも内容が理解できずに、文章内の単語から脊髄反射的に連想した書かれてもいない事柄をイメージして、そこで理解が止まってしまう人は、ネット上でもよく見かける。

2は、母に限らず、例えば「うつは甘え」と言って、うつ病が病気であることを絶対に認めない人は一定数存在する。

そして3は、2とも関連するが、母が私の親だからといって、パニック障害の私を無条件に受け入れてほしいとは望めないと常々自戒している。
例えば、うつ病の子を持つ親にも、「『うつは甘え』としか思えない」と内心で感じる自由もあると、私は思う。

親は万能ではなく、ひとりひとり限られた能力を持つ人間だ。
育児において、毎回毎回、正しい選択肢を選べるわけではない。
大事な場面で、自信を持って間違えてしまうこともある。

子どもとしては、「親も間違える」「親にもできないことはある」「親にも子を受け入れない自由がある」と思っておくと、気が楽になる。

その境地から、「親が既にやってくれていること」への感謝が生まれてくる。
母は、私の挫折した人生は受け入れてくれているので、とても感謝している。

(注:こう書いているが、いわゆる「毒親」が憎くて仕方ない時は離れるしかないと思う。子にも、親を理解できずに離れる自由はある)

親が発達障害の子を受け入れられなくても回るシステムが必要

前述の、5歳の小島容疑者が、発達障害の疑いを保育所から指摘された時、母親が「そんなの大きくなれば治る」と放置していた、というくだり。

これは、私の母のパニック障害への認識とかぶる。

加えて、当時は2001年頃だ。

1999年にようやく、「精神薄弱者福祉法」という今なら確実に炎上しそうな名称が「知的障害者福祉法」に変更されたことを見ても分かるように、障害者に対する意識は今よりもずっと低かった。

2003年の長崎男児誘拐殺人事件で、加害者の少年がアスペルガー症候群と診断されたことから、専門家による啓発書の出版などを通じて、発達障害についての社会的な関心が広まった(逆に言えば、一般人にはまだまだ知られていない状態だった)。

そんな中で、小島容疑者の両親が正しい選択肢を選べたかというと、難しかったのではないかと思われる。

たとえ親であっても、発達障害が何なのか理解できない、または頭では分かっても腑に落ちない、または「自分の子が発達障害である」という事実から目をそらしていたい(受け入れるだけの心の強さがない)親はいるだろう。

だから、親が発達障害の子を受け入れることができなくても回るシステムを作る、つまり、親だけに全負担をかけないことが、今後さらに求められていくと思うのだが、実際の国策などはどちらの方向に向かっているのかについては、また次回(不定期)。

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