ZOZOの前澤社長が、Twitter上で氏をフォロー・RTすれば100名に100万円を私財からプレゼントする、という企画を行った。
ZOZOTOWN新春セールが史上最速で取扱高100億円を先ほど突破!!日頃の感謝を込め、僕個人から100名様に100万円【総額1億円のお年玉】を現金でプレゼントします。応募方法は、僕をフォローいただいた上、このツイートをRTするだけ。受付は1/7まで。当選者には僕から直接DMします! #月に行くならお年玉 pic.twitter.com/cKQfPPbOI3
— Yusaku Maezawa (MZ) 前澤友作 (@yousuck2020) 2019年1月5日
それに対して、「貧困クライシス」「下流老人」などの著書がある、NPO「ほっとプラス」代表の藤田孝典氏が記事を上げていた。
上の記事には、大きく2つの主張があると思う。
(詳しくはぜひお読みください)
- ZOZOの利益を生んだのは、非正規雇用から(本来払うべき)賃金を搾取してきた構造
- 社長が私財をばらまくほど余裕があるなら、非正規雇用の賃金を上げるべき
この記事へのはてなブックマークでの反応だが、支持を集めたコメントが次の2つに分かれた。
自分が稼いだお金で何をしようが自由では? 「私財で贅沢するなら賃金上げろ」というのはちょっと違うと思いますが。 それならば高級車に乗っている会社の社長は、安い軽自動車に乗れっことになりますが。
現金のばらまきよりまず自社の従業員の待遇改善をすべしという真っ当な正論。大きな話題になった今だからこそ貧困に苦しむ労働者に目を向けるべきだ。そこさえ改善してくれればばらまき自体は批判する気が起きない。
個人的には、パソナ会長の竹中氏批判に大量の支持が集まるはてなにおいても、藤田氏の主張がそこまで支持されていないことを意外に思った。
今日はこの、
「ZOZOの利益を生んだのは非正規雇用を搾取してきた構造だから、非正規雇用者に還元すべき」VS「自分が稼いだお金で何をしようと自由」
という考え方の対立についてメモしておきたい。
「人件費を削って利益を出すこと」に対する、企業の社会的責任
藤田氏の主張の根底には、
「ZOZOでは、正社員が行うべき業務を派遣労働者に低賃金で担わせることで、人件費を削減した結果、利益を上げている」
という柱があると思う。
この「人件費を削って利益を出すこと」をどう考えるかは、(その人が)労働問題に対してどう考えるかを左右する。
「何も問題ない」と思う人は、非正規雇用問題についても何も感じないだろう。
「人件費を削って利益を出す」ために生まれた、派遣社員制度の問題点としては、次が挙げられる。
- いつ首を切られるか分からない
- 不安定な身分なのに、正規雇用より賃金が低い
- 基本的には、契約期間中に時給が上がらないことが多い
- ボーナスや退職金がない
- 交通費がない(時給に含まれていることが多い)
- 派遣先によっては、長期休暇に有給休暇が使えないことがある
- 教育を受ける機会が少ない
- 労働組合のような、同じ派遣労働者との横のつながりがなく分断されている
- いまだに、労働法や社会保障が満足に対応していない
この問題については、国は対応すべきだと私は考える。
だが、ZOZOのような各企業の社会的責任は、どれくらい問われるべきなのか。
個人的には、非正規雇用問題において、各企業が社会的責任を問われることはほぼ無いのが現状だと感じている。
国をあげて、「企業はとにかく儲ければよく、人件費は削れるだけ削るのがベストで、企業に社会的責任などない」という考えが強いように思える。
そうした風潮があるから、藤田氏の主張はそれほど賛同されていないのかもしれない。
「私財のバラ巻きは自由」VS 社長の社会的責任
藤田氏の主張では、ZOZOは人件費を削って利益を出しているという前提がある。
そのため、無関係な100人に100万円配るほど社長に余裕があるのなら、(本来賃金を受け取るべきであった)派遣労働者に還元すべき、という主張につながっている。
この主張は、「(社長が)自分で稼いだお金をどう使おうが自由」という考え方と、真っ向から対立する。
社長が私財をバラ撒こうが何しようが自由である。全くその通りだ。
だが、人件費を削って利益を上げた場合は、「その利益は正当な金額なのか?」という疑問が残る。
つまり、「払うべき人件費を払っていれば、もっと利益が少ないはず」という主張につながるのだ。
これも、真っ二つに意見が分かれるところだろう。
いまや「払うべき人件費」が幻想にすぎず、人件費削減を真っ当な企業努力と高く評価する人も多いだろうから。
しかし、企業やその社長には、人材という社会的なリソースを育成・整備する社会的責任はないのだろうか。
「ない」という考え方だと、リソースを安く使えるだけ使って、整備にお金を回さない経営者が勝ちとなり、事実、人件費を削る企業が評価される社会となっている。
だが、そうした考え方が主流となった結果、非正規雇用者が4割を超え、格差社会が進み、一部の人だけが富み社会全体は貧しくなっているのではないだろうか。
今回の1億の使い方は大きな話題となったため、プロモーション代としては有益な使い方だという意見がある。
(100人は事前に選ばれていたという見方もあり、これから100万円の使い途をドキュメント形式でマスコミが追うのなら、更なる宣伝となるだろう)
しかし、同じ1億なら、ZOZOの派遣労働者1000人に10万円ずつ配ることもできた。
その方が、より多くの人を幸せにでき、ZOZOのプロモーションにつながったと思うが、それは私の考え方が偏っているのだろうか(そうかもしれない)。
終身雇用が一般的だった時代は、国の社会保障が行き届かない部分を、企業がカバーしてくれていた。
思えば、昔の企業はきちんと社会的責任を果たしており、すごく良心的だったのだ。
いまは、非正規雇用が増え続けワーキングプア問題が大きくなっても、国も企業もだれも責任を取らない、無法地帯となっているように思える。
ZOZOの派遣労働者が言っていた、「社長が1000億円もかけて月に行くというなら僕らの賃金を上げてもらいたい」という主張に賛同できない人は多いのかもしれない。
(不思議だが、こうした問題を語るときに、なぜか自分を経営者側に近づけて考える人が多い)
しかし、非正規雇用で生活に困窮しているおばあさんが前澤氏のツイートをRTしているところをたまたま見て、暗い気持ちになった。
かたや1000億円を持て余している人、かたや今日のご飯にも困っている人、1人にこれだけ富が集中し再分配されない社会のあり方は、果たして正しいのだろうか。
「BLOGOS AWARD 2018」で銅賞をいただきました! 誠にありがとうございます!
このことについては、今年の抱負とともにまた後日。