この連載では、40歳働けない結婚できない私が、前半で半生を振り返り自らのダメな点を分析して、後半で今後の生き方を考える。
- 前半の前半:「働けない(=フルタイムで週40時間勤務できない)」点を振り返る
- 前半の後半:「結婚できない」点を振り返る
ダメ=年収300万円を稼げない「私」
まず、前半の前半において、なぜ私が「働けない(=フルタイムで週40時間勤務できない)」かを振り返るにあたって、便宜的に次のように定義したい。
ダメ=年収300万円を稼げない「私」
(※あくまで「私」個人に限定した定義です)
この定義のポイントは、
- 年収300万円は、もはや低年収ではなく、うらやましいレベル
- 年収300万円を稼げなくても、心から幸せと感じられるにはどうしたら?
である。
フルタイム勤務と年収300万円に感じるコンプレックス
働くことについて、私が感じているコンプレックスポイントは、大きく次の2つになる。
- パニック障害のため、フルタイムで週40時間働く体力をどうしても出せないという結論に、40代にして至った
- 年収300万円に届かない
「働く」については、次のような考えもあるだろう。
・「働く=フルタイムで週40時間勤務」と考えるから自己評価が低くなる、「働く」をもっと自由に定義したら?
これについては、私も実際そうだと思うのだが、心の中で次のポイントをクリアできない。
労働時間が少ない
→時給が低く、社会保障が手薄な仕事がメイン
→一人で生きていけるだけのお金を稼げない
少ない労働時間でお金を稼ぐには、時給を上げる必要がある。
しかし、40代で精神疾患を抱えた無能な身では、将来的にそのような希望が全く見えない。
(この連載で、どうしたら収入を上げられるかは考えていく)
年収300万円は、もはやうらやましい
年金2000万円問題が話題になっていたが、老後を考えると年収300万円では全然足りない。
2003年に、森永卓郎氏が「年収300万円時代を生き抜く経済学」を出版したとき、世間は「年収300万円なんて低すぎる。そんな時代が来るわけない」という風潮だったように記憶している。
だが、あれから16年、私にとって年収300万円は、もはやうらやましいレベルだ。
国税庁「平成29年分民間給与実態統計調査」によると、給与平均は次のようになっている。
給与平均:432万2千円
男性平均:531万5千円
女性平均:287万0千円
男性正規:547万5千円
男性非正規:229万4千円
女性正規:376万6千円
女性非正規:150万8千円
男性非正規平均・女性平均・女性非正規平均は100〜200万円台、女性正規平均でも年収300万円台である。森永氏の予言は当たった。
こうした統計では、「(夫の収入がある)主婦のパートも含まれているから低くなる」と主張する人がいるが、本当に問題なのは、
- 夫がいない非正規女性も、夫の収入で暮らせる主婦と同じレベルの給料しかもらえない
- 「男性より女性の方が恵まれている」と主張する人は、その点をスルーしがち
な点だと思う。
年収200万円台では、缶コーヒーも躊躇して買えない
私の職歴は、連載1回目にざっくり書いた。パニック障害になってから、実際に0〜200万円台の年収で何年か生きてみたが、私の体感としては、次のように感じる。
- 年収200万円台後半:地方*で一人暮らしできる
- 年収200万円台前半:地方で一人暮らしするためには、かなりの節制が必要
- 年収100万円台以下:一人暮らしは難しい
※地方:あくまで私が暮らしている地方
はてな匿名ダイアリーで「缶コーヒー買うのに躊躇するってどんな年収?」が話題になったが、年収200万円台前半で地方で一人暮らしするなら、気軽に缶コーヒーなど買えない。水筒(またはペットボトル)に水を入れて、勤務時にそれを飲む。
缶コーヒーひとつ買うのに躊躇する身から見れば、もはや年収300万円台さえうらやましいのだ。
なぜ私は、年収300万円を稼げないのか
私が年収300万円を稼げない理由として、次が考えられる。
- 能力がない
- 仕事がない
能力がない
「能力がない」だが、私は非常にバランスの悪い人間だ。できることは少なく、できないことは全くできず、ほどよくできることがあまりない。
得意なこと
- (18歳時点で)受験勉強
- (人と比べてではなく、あくまで自分の中での相対評価で)文章を書くこと
- 調べもの
得意ではないが、何とかできること
- マヌケな声なので、愛嬌を出せば、かろうじて人と接することができる
苦手なこと
- 体力と気力がない
- 地頭が悪い
- 運動ができない
- 整理整頓(年を重ねたらかなり改善された)
- マルチタスク
- タスクをためがち
- 人との距離感が読めない
- コミュニケーション能力
- 3日くらい燃え上がってすぐ冷める
- 物事を続けられない
- 思考が極端で、柔軟性がない
- プライドがむだに高い(ブログを始めたら多少改善された)
苦手なことはまだまだあるが、この辺でやめておく。
これを見て、「発達障害では?」と思う方もいるのではないだろうか。正直、私もそう思うのだが、現時点では診断を受けたことがない。パニック障害が発達障害の二次障害という可能性もあるらしいが、医師から指摘されたことはない。診断を受けるべきなのだが、「きっとグレーだよ(希望的観測)」くらいで思考が止まっている。
連載1回目で「私は努力をしなかったのではなく、努力の方向性が間違っていたのだ」と書いた。
では、どの方向に努力をすればよかったのだろうか。方向性としては、次が挙げられる。
- 長所を伸ばす
- 短所を人並みレベルにする
- 短所が改善できないなら、カバーする方法を考える
次回以降考えていくが、私は長所を伸ばす努力(受験勉強)はした。
地頭は悪いのに、受験勉強によって偏差値の高い大学(一橋大学)に入った。
自分が優秀だと誤認したまま就職して、働きすぎて体を壊した。
努力はしたが、ただガムシャラに突っ走っただけで、努力の方向や量を戦略的に考えることができなかった。
本当に必要だったのは、次の観点ではないか。
- 自分の適正を見きわめる
- 働くうえでは、長所を基準にするのではなく、短所をフォローできる職種や職場を選ぶ
- 長所をお金に変える戦略を考える
仕事がない
長くなったが、「なぜ、年収300万円を稼げないのか」の2つ目の理由である「仕事がない」について考える。
「仕事がない」を詳しくいうと、
・パニック障害の40代が、年収300万円を稼げるような仕事が少ない
になる。分解してみる。
- パニック障害
- 40代
パニック障害が私に与えたもののなかで、致命傷は次になる。
- 体力と気力がなくなった
- 寛解していても、ほんの少し頑張ると症状がおこる
連載1回目に書いた職歴において、2度目の再発以降は、私としてはかなり頑張ったのだが、結局は「週40時間勤務」を年単位で続けることができなかった、という結論になる。
しかし、もし私が正規雇用だったなら、フレックスや在宅勤務など柔軟な勤務制度を利用できて、仕事が続けられたかもしれない。
就職氷河期世代が享受できなかったもの
40代はいわゆる「就職氷河期世代」だが、この連載では、私は自分の不遇は100%自分のせいにしたい。その方が、読む人はストレスなく読めるから。ただ、就職氷河期世代の人が享受できなかったものは挙げておきたい。
- 新卒時の正規雇用
- 転職時の正規雇用
- (非正規雇用になった結果)正当な待遇と社会保障
- (非正規雇用になった結果)学歴の金銭的評価
- (非正規雇用になった結果)在宅勤務などの、柔軟な働き方
非正規雇用は、勤務時間がガチガチに決まっており、フレックスなどの柔軟な勤務制度の対象になっていない。派遣会社は「派遣は自由に働ける」と広告を打つが、正規雇用の方がずっと(時間的に)自由な働き方ができる。
「学歴の金銭的評価」とは何かというと、たとえば、レジ打ちの業務内容には、大卒の資格は必要ない。そのため、高卒でも大卒でも同じ賃金となる。
しかし、就職氷河期世代は、大学院を出るくらい能力が高くても就職できず、レジ打ちをしている人もいる。
つまり、オーバースペックであり、大学院という学歴が金銭に結びついていない。
私は無能だが、
「私の両親は、私を偏差値の高い大学に行かせるという『投資』をしたのに、私がレールから外れたために、それに見合う金銭的パフォーマンスを得られなかった」
という点については、私個人の問題にとどまらず、社会的な構造にも問題があるように思う。
レールから外れても学歴の価値は変わらないはずだが、学歴は新卒採用時の一瞬しか効力がない(レールから外れた場合)のが私の体感である。
現在、子どもの教育費の負担が大きいのに、それに見合う金銭的パフォーマンスが得られるかどうか分からない、という問題もあり、大学教育を考えるうえで一般性のある観点といってもよいのではないだろうか。
↓次回は、「受験勉強ができるという長所を伸ばしたのは間違いか」という視点から、大学と就職を振り返る。