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出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

トヨタの人事をやめた話から考える、会社という仕組みの閉塞感

トヨタの人事を3年でやめた人(20代)のnoteが話題になっている。

彼は、調達部希望だったが人事部に配属→2年目の12月に本社の労政室に異動、という変遷を経て、社会人としての人生に次のような疑問をもつ。

  • 自分の人生を自分で決められない(希望しない部署への異動)
  • 働く時間と場所の選択肢が少ない
  • 情報がクローズで、情報を得るには飲み会などのイベント参加が必要
  • 従業員のヘルスケア施策が一律(工場勤務が前提)

こうしたモヤモヤは、従業員の多様な個性が尊重されない、人事労務管理の仕組みが原因であり、それを変えるべきなのは自分がいる人事部だと気づく。

そのため、会社の仕組みを変えていきたいと上司に相談するが、「いつか偉くなればできるようになる」と言われるに留まる。

偉くなるには10年、20年かかる。20年後には環境は激変し、自らの感覚も20年分ずれているだろう。

3年目も後半に差し掛かってきて、ふと周りを見渡すと、10人いたはずの人事同期は既に半分以上が辞めていた。

「閉塞感に、耐えられなくなった」

自分の人生を生きていない、とやめていく先輩や同期たち。

どうして、一社終身雇用を前提とした契約の形しかないのだろう、とぼくはふと思った。副業、業務委託、あるいは雇用でも週3正社員など、もっと多様な契約の形があれば、こんなゼロイチの苦しみを味あわなくて済むのに。

会社という仕組みが抱える「閉塞感」をなくすために、彼はトヨタをやめ、自由な人事制度をうたうサイボウズに転職する。

記事の都合上要約させていただいたが、詳細は、繊細さが感じられる優れた元記事をぜひ読んでほしい。

僕はなぜトヨタの人事を3年で辞めたのか|髙木 一史|note

「自分らしく働きたい」気持ちが「学生気分」と揶揄されてきた

私は40代だが、約20年前の新卒入社時に感じた閉塞感が、著者の閉塞感とほぼ同じで、この20年間社会が進歩していないことに驚いた。

  • 1日8時間(+残業)・週5日、決まった時間と場所で働き、会社にほとんどの時間を捧げなければならない
  • 正社員であれば、一社就労・副業なしと、会社と密接な関係を結ばなければならない
  • 会社に人生を捧げているともいえるのに、配属先(=自らのキャリアプラン)すら選べない

会社に生活の全てを捧げずに、自分のペースでキャリアを築きたい。そうした閉塞感に対して、約20年前はこのようにいわれた。

「学生気分は捨てなさい」

自分らしく働きたいという、労働者の人間らしい気持ちは「学生気分」と揶揄され、買い手市場の就職氷河期のなかで長年無視されてきた。

しかし、そのために優秀な人は海外に流出し、過労や自殺、ブラック企業退職後にひきこもりになる人の多さが社会問題になり、売り手市場(コロナ前)で恵まれているはずの20代にも閉塞感があふれているのではないだろうか。

「余剰をつくらない」メーカーには「多様な個性の尊重」は不向き

元記事の著者は、自らの閉塞感をこのように因数分解する。

「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」×「自分1人では何も変えられないという無力感」

そしてそれらは、採用、契約、場所、時間、配置・異動、評価・報酬、健康(安全配慮)、コミュニケーション(含むマネジメント)、育成、退職という、人事労務管理の代表的な10領域に選択の余地が限られていること、かつそれらが複雑に絡み合っていて、自分1人では何も変えられないことに起因しているとぼくは考える。

「誰かのせい」ではなく、今ある「会社」の仕組み・構造が問題だ、と。

そして、転職後の会社で、人事制度などをどう設計すれば会社がもつ閉塞感がなくなるのか取り組んでいる。

著者がトヨタの人事をどう変えるかを見てみたかった反面、人材を歯車・コストとして管理するメーカーでは活躍できなかっただろうとも思う。

メーカーで時間や場所を選択した勤務が難しいのは、工場ありきで人事制度が設計されているからだろう。工場は1秒単位でラインの稼働時間を一律管理しており、「多様な個性の尊重」とは真逆の環境である。

1973年に出版された「新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)」は、トヨタの工場で期間工として半年間働いたルポルタージュだ。そこでは、ある工程を1分20秒で1台分、1時間で46台組み付ける作業について、次のように書いている。

ものすごい疲労感。労働密度、という単語があるが、この一秒たりとも自由にさせないほどの労働密度があることをいままで知らなかった。(中略)仕事とは、時々手を休めたり、ゆっくりやったり、時には急いだり、煙草を吸いながら冗談をいったりしながらするものだと思うのだが。ところがこれはどうだ。全精力を傾けてフルスピードでやってちょうど間に合う(いまの場合はまだ間に合わない)ように計算されている。手を抜くことなどできっこない。

(鎌田慧『新装増補版 自動車絶望工場』講談社文庫より引用・下二つも同)

これは1970年代の話だが、工場をもつメーカー企業における人材の考え方の原点はこの時代にあるように思える。人間を1秒たりとも自由にさせない時間管理で効率化を進めてきたため、工場でフレックスタイム制を導入するのは難しいだろう。

この本は1970年代の期間工の悲惨さを書いた本だが、著者の鎌田氏は(2011年の加筆部分で)現代の派遣労働者は期間工よりもっと悲惨だと述べている。

「みなさんの話を聞いていると、ひどいねえ。派遣社員は年収二五〇万円、期間工は四〇〇万円、正社員は六〇〇万円。こんな格差は日本にこれまでなかった。犯罪にも等しい。おまけに住まわされたアパートのテレビのリース代も巻き上げるなんて、昔の暴力団よりあこぎだ」

期間工よりも派遣社員のほうが年収が安いのは、期間工が直接採用なのに対し、派遣社員は派遣会社が中間に入ってマージン+寮費などの諸経費を引いているからだ。

「労働者派遣法は必要な時に必要な人間を必要な量だけ派遣する。これはトヨタのカンバン方式と一緒ですね。ぼくがトヨタの期間工で働いた時、深夜二時ごろ、ちょうど部品がなくなったころに、部品が運ばれてくるんです。ジャスト・イン・タイム。だから在庫はいらない。労働者をこの部品と同じように扱い、企業の一方的な都合で右から左に動かすだけ。それを可能にしたのが労働者派遣法なんです。

「(時間も人材も)余剰をつくらない」ことを至上とする工場では、「多様な個性の尊重」は難しいだろう。余剰はゆとりであり、多様な個性を尊重するにはゆとりが必要だからだ。

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人材を「人間」として尊重する、当たり前の難しさ

元トヨタ人事のかたが書いた元記事は、世代によって評価が分かれるようだ。20代は共感しているが、それ以上の世代は批判しているように感じる。こうした立場の人が実名で記事を書くのは希少なので、私は読めてありがたかった。

社名を出している点と調達部の志望理由がひっかかるようだが、彼が問題提起した点はそこではない。どうやったら会社の仕組みがもつ閉塞感をなくせるかだ(何かを問題提起したときに、主題はスルーされ、周辺事項や人柄を批判されるケースが多い)。

問題なのは、(元記事によれば)トヨタの人事部でさえ、10人いた部内同期のうち3年目の後半時点で半分以上がやめていることだ。いや、トヨタの人事部に配属されるほど優秀な20代だからこそ、選択肢がいくらでもあるからやめてしまうのだろう。

日本を代表する大企業の人事制度が変われば、日本も変わる可能性がある。しかし、実際には大企業であればあるほど、変われずに彼のような若い人材が流出し、じわじわと衰退していくのかもしれない。

若く優秀な人材に閉塞感を感じさせないためには、従業員一人ひとりを人間として尊重し、多様な働き方を認めるほど、会社の仕組みにゆとりをもたせる必要がある。

しかし、人材を歯車・コストとみなし、従業員や下請けの幸せよりも効率化やコストカットを重視してきた企業が、そうしたゆとりをもつことは可能なのか?

むしろ、1970年代という昔よりも今が悲惨と鎌田氏がいうように、時代はさらなるゆとりの削ぎ落としへと逆行していくのではないか?

コロナ禍で経済が悪化している現在、会社がゆとりをもつという希望は絶望に思えるが、元記事を読んだ若い人が意識を変えるだけでも、何かにつながっていくかもしれない。

(※元記事の筆者は実名を出していますが、この記事では触れていません)

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

  • 作者:鎌田慧
  • 発売日: 2012/10/18
  • メディア: Kindle版

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