ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

はじめに|ちいちゃんは認知症

2017年2月に、母がアルツハイマー型認知症と診断を受けた。

診断を聞いたのは、父だった(私は仕事で行けなかった)。
父の希望で、医師は母本人に告知はしていない。

そして父は、母がアルツハイマーであることを私と妹にも隠した。
小さい脳梗塞の跡があり、一時的に物忘れがひどくなっているだけだと。

だから、ちょっと、いやかなりおかしいと思うことがあっても、私はその言葉を信じていた。

アルツハイマーの最期は、食べることも歩くこともできなくなり、衰弱して亡くなってしまうそうだ。
薬は進行を遅くするだけで、治してはくれない。
いま思えば私自身も、母が実はアルツハイマーだと信じたくなくて「これは一時的なもの」と思っていたかったのかもしれない。

2018年3月に父が倒れた。
その後しばらくして、やっと父は事実を教えてくれた。

これから何回かに分けて、2015年に最初の兆候を感じたあたりから、最近までの母のことを書いてみたい。
文章だと読みづらい人もいるだろうから、文章がまとまったら4コママンガにもしたい。

家族の認知症に向き合うことは、家族の死に向けた心の準備を少しづつ始めることなのかもしれない。

母は60代後半なので、正直早すぎる。
身綺麗にしているので(まだ化粧はできる)、見た目は50代にしか見えない。
母を見て「こんなに綺麗なのに認知症で、もう治らないなんて」と思うたび、毎回毎回何度でも殴られたような気持ちになる。

幸い、母の症状はまだそれほど進行していない。
だけど、父が大出血して入院した時に、母は泣いたり嘆いたり大変だったのだけど、入院したこと自体をもう覚えていない。

見た目は昔と変わらないのに、中身はどんどん変わっていく。
私も、昔の母がどんな人だったのか分からなくなってきつつある。

もちろん、「たとえ私のことを忘れても、お母さんはお母さん」「新しいお母さんの良いところを見つけたい」と自分に言い聞かせて、心の準備はしている。
だけど、それに伴うためらいや葛藤を、ひとりで心に押し隠すのは辛い。
だから、心の経過を書きとめることで、いつか母を失うだろう時に備えて準備をしていきたい。

また、アルツハイマー型認知症は進行するので、「残り時間」を意識せざるを得ない。
平凡な日常も貴重な残り時間であり、「この時は母はこういうことができた」とできるだけ良いことを記録しておきたい。


……こう書くと、まるでうちが仲良し家族のようだが、そんなことない。

両親はどちらも個性的なため妹の夫(義弟)に驚かれ、私も妹も、普通の両親が欲しかったと思っていた。

父は、若い頃は一瞬だけ松方弘樹に似ていた。ガタイがよくて、強面で怖い。
一時期グラサンをかけていて、本職の人とよく間違われた。実の孫も人見知りして懐かない。
酒癖が悪く、深夜に帰ってきて玄関の鍵が見つからずにガラスを素手で叩き割って血まみれになったり、電車を途中下車して何もない駅で雪に埋まって寝て凍死しかけたり、幼かった私の額に急須を投げつけたりと、ろくでもない。
3歳の私をひざに乗せて、煙草の煙がもうもうの雀荘に一日入り浸っていた。私は煙草を吸わないので、肺ガンになったら100%父のせいである。

少し丸くなった今も、何か意見を言うと「うるさい黙れ」とどなって聞く耳持たないので話し合いができない。

母の介護にあたり、私は父を立て、私が父の言うことを聞くという形をとっている。
しかし、最初に書いたように、父は母が認知症であることを最初隠していて、そのことは母の治療にそれなりに影響を与えた。
母の介護を合理的に進めたいと思うとき、父の頑なさが障害になることは多い。

父は、10年以上前に自身が胃ガンになった時も、やはり隠していた。
良性のポリープの手術と聞いていたのに、本人が全身麻酔で意識を無くした後、主治医から「今回の胃ガンの手術ですが」と突然聞かされたこっちの身にもなってほしい。

父と私は仲が悪い。
だけど、仲良し(上中下)・普通(上中下)・仲が悪い(上中下)と9ランクあったなら、仲が悪い(上)か普通(下)程度で、父はいわゆる毒親ではない。
父の荒っぽさとか人の言うことを聞かないところとかは苦手だが、一人の人間としては信頼している。でも、相性は悪い。

父と私とのハートフルストーリーはこちら↓
引きこもりが再び働きはじめた朝に

母についても、昔はココが苦手だったとか書きたいが、昔の母をかたどっていたそうした性質が認知症によって薄れつつあるので、今さらそんなこと書いても虚しい。

父の悪口ならいくらでも書けるのは、3月に大出血して救急車を呼んでも、実際は大したことなく退院した次の日には酒も煙草も元通りで、殺しても死にそうにないし死神にも嫌われているのだろうと、ある意味甘えているのかもしれない。

母が認知症になってから、両親はなぜか「ちいちゃん」「〇〇くん」と呼びあうようになった。

母は継母にいじめられて育つなど苦労しているが、認知症になる前から心の核に、どんな苦労も加齢も消せない、少女のような可愛らしさがある。
「ちいちゃん」という呼び名は、母をよく表している。

これから、母が私をだれだか分からなくなる日が来ても、生まれ持った美しさまで認知症が損なうことがないように、祈りを込めてこのタイトルにする。

私自身のことを書くと、過労でパニック障害になった後、ずっと非正規雇用で結婚もしていない。
2回のパニック障害再発・寛解後、6年ほど非正規雇用で働いてきたが、このところ鬱の症状がひどいため最長6月末で辞めることが確定した(これまで辞める辞める言ってズルズル続けてきたが遂に辞める)。
これからどうやって生きていくのか、1年後は何をしているのか予想もつかない。

そんな父と私が嫌々ながら協力して、物忘れが進行していく母を囲んで右往左往する日々のドタバタを、貴重な残り時間のワンシーンとして記していこうと思う。

つづき↓
2015年:店にプリントを頼んでいないのに頼んだと思いこみ店員に怒る|ちいちゃんは認知症