ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

なぜ弱者は連帯できないのか|政治には弱者の支持など必要ないのか

なぜ貧しい人たちは連帯しないのだろう。

「貧しい人たち」という主語は適切ではないかもしれない。
ここで指すのは、毎日真面目に働いているのに、給料が安くてギリギリで生活している人たちのことだ。

貧困がニュースで取り上げられるとき必ず出るのが、「その程度で貧困といえるのか」という意見である。

GDP世界3位の国なのに、子どもの6人に1人は貧困家庭。
この1行だけ読んでも、賃金の水準や所得の再分配がおかしいのが原因であり、自己責任の域を超えていることが伝わると思う。

だが、そういった社会のおかしさは指摘されない。
高年収層は貧困に無関心(貧しい人が身近にいないため、存在が信じられない)で、同じ低年収層どうしで「お前の苦しみは甘え」「自己責任」と叩きあっているような印象を受ける。

また、貧困女性がニュースで取り上げられる時、「女性は風俗で働けるからマシ」という意見が必ず出てくる。
(実際は、男性も体を売って稼ぐことができる)
本当は、男女に分かれて互いを叩きあったりせず、ともに体を売らずに暮らしていける社会を作るために意見を出し合う方が建設的なのに、決してそうはならない。

個人レベルの話に落とすと、お金がなく攻撃的な一面も持つ、あるブロガーがいる(私はその人の文章が好きだ)。
不思議なのは、その攻撃性が「真面目に働いているのに暮らせない社会」には向かわず、障害年金や生活保護をもらっている人、または夫の給料で暮らしていける主婦などの「個人」に向かっていることだ。
もし、その攻撃性が、批判や分析という正しい形で社会に向かったら、共感されて力を得るかもしれないのに。

同じレベルの他人が「ズル」をすることが許せない

なぜ貧しい人たちは連帯しないのか。それは、

同じレベルの他人が「ズル」をすることが許せないからではないか。

「ズル」とは、本当のズルではない。
あくまで、叩く側が「ずるい」と思う事柄だ。

例えば、「自分は耐えている苦しみを、他人が耐えられずに主張すること」「女であること(風俗で働けるから)」「障害年金や生活保護をもらうこと」などだ。

「ズルをするな」「自分の方がつらい」「お前の苦しみは甘えであり自己責任だ」で議論が終わってしまう。

本当は、ズルをしているのは、人々が真面目に働いても暮らしていけないほど、賃金を抑えている企業や、それを許している政治だと思う。

ここのところ、過去最高益を出している企業が多いが、非正規雇用者にはその利益は全く還元されない。

どこにお金は流れているのだろう。

国際NGOのオックスファムは「富豪8人の資産=世界の下から半分にあたる約36億人の資産」という発表をしている。

日本でも同じことは起きているのだろう。
大企業の経営者は、タックスヘイブンで税金を逃れたり、海外に巨額投資していたりして、日本国内にお金が回らない。

「自己責任」という言葉の効果は絶大だ。

強者がズルしやすく、弱者から奪いやすい社会構造。
「自己責任」の言葉一つで、その構造から目をそらさせ、強者への批判を封じ、弱者どうしで戦わせることができるのだから。

政治家は、弱者からの支持などいらないのではないか

弱者が個人として連帯できないなら、政治を介することで連帯することはできるのだろうか?

私は、派遣社員制度を作り上げた自民党が嫌いだが、かといって、民進党や共産党も支持できない。

(これは後日書くが)日本より後進国でも、法律で派遣社員を制限して、それが効果をもたらしている国もある。
たぶん、政治家が本気でやろうと思えば、できることなのだ。

2016年12月現在で、非正規雇用者の割合は37.7%と、賃金労働者の約4割を占める。
もし、本気で日本を憂うる政治家がいて「非正規党」を作ったら、氷河期世代は人口も多いため、かなりの支持を集めるのではないか。

だけど、本来は左派の仕事なのに、民進党も共産党も非正規雇用の改善にあまり積極的なようには見えない。
憲法9条や原発、自民への攻撃それ自体の方が、ずっと重要と思っているように見えるのだ。

私がアメリカのサンダースを初めて知ったのは、NHKのほんの3分くらいの特集コーナーだった。
しかし、惹きつけられるのには3分もいらなかった。

日本の左派には、たとえポーズでも、サンダースのように自らが弱者の味方だと分かりやすく表明している政治家は少ないように思う。
そして、そういう政治家が表舞台に出てくることも少ない。なぜか。

もしかしたら、日本の左派政党は、弱者の支持票など必要としていないのではないか。

氷河期世代は我慢づよい。
いまの若い世代よりはるかに厳しかった受験戦争を勝ち抜いても、就職先がなかった世代。
だけど、それは「自己責任」とされて封じ込められた。
何の声もあげなかった。

投票率を考えると、政治家は団塊の世代の方を向く。

団塊の世代にとって、非正規雇用者は遠い存在である。
自らが恵まれた時代に生まれた幸運は考えず、非正規雇用者を「努力しなかった者」と切り捨てている。
団塊の世代の票が欲しいなら、非正規雇用の対策には、むしろ力を入れない方がいい。

政治的には、声をあげない者は、いないと同じだ。

今後、氷河期世代が社会問題になる時は必ず来る。
それは、援助できる両親が亡くなった時、または、両親を介護するお金が出せずに共倒れする時だ。

その前に、弱者どうしが「自己責任」で殴りあうのではなく、右左にとらわれず、連帯して声をあげていく(政治的に存在感を示す)ことが必要なのではないか。

※本当は、連帯できない理由を、労働組合や非正規雇用者ゆえの分断という側面から見た方がよいのだけど、今回はいま直感的に感じていることをメモとして残した。このテーマについては、もっと勉強した上でまた書きたい。

※私が政治についてあまり書かないのは、結局は、いまの政治は弱者を救えない、弱者は強者のルールの上で踊らされるのではなく、強者のルールから外れた経済圏を作って、その中で暮らすことが解決策の一つだと(現時点では)思っているからだ。