ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

【アル依の父と認知症の母】1:母の認知症が発症

少し前に、父がアルコール依存症で入院したため、両親と別の県で暮らしていた私は現在、実家に戻って認知症の母の面倒を見ている。

このシリーズでは、両親をサポートする「私」がその都度どのように感じたかにスポットを当てて書いていきたい。

一連の出来事はリアルタイムで起こっているので、先行きは見えない。とりあえずのゴールは「父の退院後に再び両親が一緒に暮らすこと」である。現時点では、アルコール依存症で昼夜逆転して、歩けなくなり糞尿を漏らすようになっても酒をやめられなかった父に、認知症の母は任せられない。

両親の介護は、子どもが自分の生活や人生を犠牲にしがちだ。しかし、このシリーズでは「父・母・私の3人がそれぞれ最大公約数の幸せを追求する」「私は自分の幸せを第一に考える」をテーマにしていきたい。

また、40代の私は人生をどのように終わらせていくかを考える「閉じ活」もしている。70代の両親の生き様を見守ることは、子どもがいない私自身の人生の閉じ方を考えるうえでも参考になるだろう。

母の認知症が発症

この話は、父が酒の飲み過ぎで歩けなくなるところから始まるのだが、その前にいくつか書いておかないといけないことがある。

そもそも、すべての発端となる母の認知症が発症したのは、はっきりした時期は分からないが、おそらく7年くらい前だと思う。

私が最初に、母は認知症ではないかと疑ったのは、母に「写真の現像を頼んだのに、店員に頼まれていないと言われたので店に着いてきてほしい」と頼まれた時のことだった。

母と店に行ってみると、店員は現像を頼まれた履歴はないと言う。確かにSDカード等も預けていない(紛失したのか家にはなかった)。母にどんな写真の現像を頼んだか聞くと、曖昧ではっきりしない。なぜか店員の対応が冷たいのが気になった。

母の勘違いということになって店を出た。私の前を歩いていた母が立ち止まって言った。「家はどっちだっけ」

その店は実家から歩いて3分ほどで、何百回通ったか分からないほどだ。家までの道が分からないなんて、正常ならありえない。

思えば、現像を頼んでいないのに頼んだと言うのもおかしい。物忘れが激しくなったと思ってはいたが、母はもしかして認知症なのか?蝉の鳴き声と夏の昼下がりの日差しを背に受けながら、自分が立っている地面がぐらぐらと揺れているような気持ちになった。

とはいえ、当時出ていた症状は「見当識障害」(時間や場所が分からなくなる)くらいだった。自分が認知症だと思っていない当人を病院に連れていくのはなかなか難しい。特に、父が受診を反対したため、母に認知症の診断を受けさせる件は難航した。

認知症の発症と同時期に、母は耳鳴りがすると訴え始めた。現在分かっていることは、母の耳はどこも悪くはなく、本人が耳鳴りを感じるのは認知症の症状のひとつということである。しかし、当時はそんなことは分からずに何軒も耳鼻科に行き、家から片道2時間ほどかかる評判のよい耳鼻科にも1年ほど通った。

この時期に、耳鼻科の医者から脳神経科等で脳の検査をするよう勧められる。返す返すも残念なのは、これまでずっと私が母を病院に連れて行っていたのに、この時だけは仕事で行けず、父に脳神経科の受診を託したことだ。

結局、この時に母はアルツハイマー型認知症であると診断を受ける。父はその事実を私に隠し、診断を受けた脳神経科にも通わなかった。私は母と耳鼻科に通い続け、父にその事実を知らされたのは1年後だった。

約7年前に発症、6年前に診断を受け、私がその事実を知ったのは5年前。私はバツイチで元々は首都圏で一人暮らしをしていたが、母の様子がおかしくなってきた6〜7年前頃に実家に帰ってきて、両親と3人で暮らしていた。

母が認知症であると知ってから4年間(つまり今から1年前まで)、評判のよい脳神経科を探して通い、母と2人で市の朗読ボランティア活動に月4回参加し、老人会での体操や毎日の散歩など、できるだけ母を外に連れ出すようにしていた。

おそらく読者のかたは、真っ先にすべきは介護保険認定申請で、その後はデイサービスなどに通うべきと思うだろう。それは全くその通りで、私も最初の年は申請をし、母は要介護度1の認定を受けている。

しかし、ここで父と意見が割れた。父は、母本人に自分が認知症だと知らせたくないと主張した。その気持ちは理解できる。実際、父は母が認知症であることをかなり長い間(もしかしたら今も)、受けとめられないでいた。

そのため、父はヘルパーやデイサービスの利用は必要ない、介護保険認定を更新する必要もないと主張した。母は母で、お年寄りに混じることを嫌がり、老人会への参加さえ嫌がるのだからデイサービスに連れていくことはかなり難しいだろうと思われた。

実際に母は若かった。発症は60代後半と早く、さらに見た目がかなり若く見える。体は健康そのもので、突っ込んだ会話をしなければ母が認知症だとは周囲に気づかれなかった。

こうして、介護認定は初年度以降は更新できず、介護サービスを使うことはこれまで一度もなかった。私も、母が認知症だと知らない人たちの集まりに、母を連れて行っていた。周囲の手助けを得ずに母の介護をしていたこと、このことが後々ボディーブローのように効いてくることになる。