2019年10月28日、快晴のなか、雪が積もった富士山頂近くで、登山をニコニコ生放送で実況中だった配信者が、凍った雪面で足を滑らせ転げ落ち、高さにして700mほど滑落。
「滑る!」と足を滑らせた瞬間から、アイスバーン状態の雪面を滑り出し、やがて全身が縦回転し始める最初の十数秒間までが、全世界に生配信された。元動画は削除され、リンクは転載されたものである(閲覧注意)。
https://www.youtube.com/watch?v=ic1bOkfWc1Y
遺体は2日後に発見、身元は翌月の11月12日に、東京都新宿区に住む47歳男性(司法浪人生)と判明。
私は2023年初めにこの事故を思い出し、(2019年当時は共感しそうなのであえて調べなかったが)今更ながらいろいろ調べた。
記事の前半は雪面を滑落する恐怖や滑落事故の考察、後半はニコ生の過疎放送が居場所だった男性について、自分用のメモとしてまとめておきたい。
富士山の何号目で滑落したのか
男性は、富士山頂のお鉢巡り途中で足を滑らせ、高さにして約700m、距離にして約1500m強の富士山七合目まで滑り落ちている。
富士山7合目で遺体発見 ニコ生配信中に滑落の男性か(https://t.co/Fzf0CFP4zc)…軽く分析。滑落現場から遺体発見現場までの標高差は約700m、滑落した距離は約1500m強と推定。遺体がバラバラでもおかしくない悲劇ではある。 pic.twitter.com/aO3AgzreJF
— fj197099 (@fj197099) October 30, 2019
冬の富士山の斜面はスケートリンク
この事故では、男性はたった1度足を滑らせただけで、雪面を高さ700mほど滑り落ち、遺体は性別も分からないほど損傷している。
なぜ冬の富士山では、このような悲惨な亡くなり方をしてしまうのか。
富士山の初冠雪は、平均して9月下旬〜10月下旬頃で、事故が起きた10月下旬には、山頂は雪に覆われている。
同様の滑落事故時に、富士山9合目付近の斜面はアイスバーン(雪が凍ってツルツルの状態)でスケートリンクのよう、一度滑ったら止まらないと、警察関係者が述べたほどだ。
全身が縦回転する滑落の恐怖
「滑落(かつらく)」とは、登山中に足を踏み外すなどで、高いところから滑り落ちることである。滑り落ちるだけならまだよいが、山の斜面では滑り落ちるうちに体が回転し始める。頭から足先まで、全身が縦に回転し始めたら一貫の終わりだ。
次の動画は、この事故のものではないが、雪山の急斜面を猛スピードで人間が縦回転で滑り落ちていき、滑落の恐ろしさを実感できる(閲覧注意)。
富士山は夏山と冬山では難易度がまるで違う
滑落事故で命を落としたニコ生配信者、TEDZU(テツ)さんは夏の富士山なら何度も登っていた。
2019年5月から26回以上、ニコ生で富士登山の実況を配信。ある時は、新宿区の自宅から自転車で富士山方面に向かい、寝ないで登下山したという話もある(リスナー情報)。
しかし、富士山は夏山と冬山では難易度がまるで違う。
冬の富士山は、経験を積んだ登山家がヒマラヤ遠征の練習に利用するような山だ。2009年にも、南極登頂のため訓練中だった片山右京さんらのグループのテントが強風で飛ばされ、同行の男性2人がテントごと滑落して凍死している。
富士山滑落事故ですれ違った人・引き返した人
富士山滑落事故の当日、テツさんとすれ違った登山者がいる。
富士登山 - 2019年10月28日(月) - ヤマケイオンライン / 山と溪谷社
この方のレポートによると、当日は七合目あたりから積雪していた。この方自身は寝不足から高度障害に苦戦し、八合目半で13時半を過ぎていたため、山頂には行かずに下山。下山コースは危険だと考えたため、登りコースを下っている。
この方が登りコースを下山しているときに、遠くで一人しゃべっている登山者とすれ違っている。それがテツさんだったようだ。軽装だがペースが早かったので慣れた人のように見えたが、感覚的にまずいものを感じた。離れていたためコミュニケーションは取れず、対面していたら登頂を止めたと思うが、止められたかは分からないとのこと。
同じような時間にすれ違っていたのに、片方は登頂して命を落とし、片方は引き返して助かっている。
「登山前遭難」登山の前から遭難していた
しかし、テツさんは夏の富士山をベースに、今回の登山を考えていた。愛媛県出身なので、雪の斜面を実際に歩いた経験も少なかっただろう。
テツさんは、冬山登山に必須なピッケル(つるはし状の杖)やアイゼン(靴底につける滑り止めの爪)を装備していなかった。登山靴もハイカット(足首を固定する部分があるもの)ではなく、運動靴のように見える靴をはいていた。
当日も、新宿駅から高速バスで富士山に向かい、五合目についたのは10時半頃。山頂に到着したのは14時半頃。一方、登山における常識的なスケジュールは、朝早く登りはじめ15時頃には下山済みといったものである。
テツさんは、富士登山をマラソンなどのトレーニングのひとつと考えており、登山には相応の準備や情報収集、心構えが必要という意識は全くなかったように思う。
たった1度、足を滑らせただけで、雪面を滑り落ちて止まらず、やがては全身が縦に回転し始め、体のパーツがちぎれていく恐ろしさなど想像もしなかっただろう。
登山の準備や計画段階の甘さから、遭難は始まっているという意味の「登山前遭難」という言葉がある。テツさんが冬山の装備を持たずに、前泊なしで新宿駅から当日朝の高速バスに乗った時点で、遭難は確定していたのだろう。
その日が快晴だったことも皮肉な運命だ。体力があるテツさんは、富士山頂まで4時間ほどで到達してしまう。雨や雪が降っていれば、途中で登るのをやめたかもしれない。動画に残された富士山頂は晴れ渡り、死神に魅入られて呼ばれたような、神々しいまでの美しさだった。
個人的にこの事故が恐ろしい点は、軽い気持ちで行っただけなのに受ける報いが大きすぎた点である。
TEDZU(テツ)さんはどんな人だったのか
後半は、テツさんの「居場所」について私が感じたことを書いていきたい。まず、テツさんのプロフィールで特徴的なのは次の点だろう。
- 47歳独身男性(2019年時点)
- 無職(司法浪人生)
- 直腸がんのステージ4(寛解)
- 愛媛県出身。進学校を卒業後、アメリカに留学。その後、日本の大学で法律を学ぶ(英語を流暢に話せる)
- 父親が教育機関の先生で、仕送りをもらっていた
- 新宿区の木造アパート(家賃2万8千円×2部屋)で一人暮らし
- 病気の影響か、トレーニングが趣味
- ニコニコ生放送の生配信に没頭
詳細は、下記のクローズアップ現代、週刊文春(魚拓)の記事に詳しい。
富士山滑落事故 なぜ配信者は冬富士に向かったのか? - NHK クローズアップ現代 全記録 《ライブ配信中に富士山滑落死》アパート大家が語る「47歳無職独身、木造フロなし弁護士浪人生活」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
ニコニコ生放送という居場所
40代後半の独身男性で、職場や家庭といった居場所がない。大家さんによれば、テツさんにはリアルな友人もいない様子だった。
テツさんは、ニコニコ生放送での生配信に居場所を求めていた。
「過疎放送」(リスナーがゼロか数人程度)ではあったが、少人数でも見てくれる人はいて、配信者どうしの横のつながりもあったようだ。
テツさんと関わりをもった人たち
テツさんは、好意をもっていた配信者と富士山に登ったことをきっかけに、富士登山を始めたという説がある(リスナー情報・真偽不明)。
それとは別に、複数の配信者で富士登山するイベントにも参加。他の配信者に飲み物を配ったり、道具を貸してあげたり、気づかいを感じさせる人だったというリスナー情報もあった。
奇遇なのは、「ひきこもり新聞」主催者の木村ナオヒロさんが、テツさんの配信を見ていたことだ(クロ現より)。木村さんは、テツさんと同じ司法浪人生で、司法試験をきっかけにひきこもった。テツさんの過疎配信を知り、コメントするうちに、現実でも人と関わりたくなり外に出たという。
事故の後も、配信仲間の50代男性が、テツさんの両親の許可を得て一人暮らしの自宅を片づけている。
細いつながりではあるが、テツさんと関わりをもった人たち、影響を受けた人たちはいた。テツさんは、ニコニコ生放送に居場所を求め、試行錯誤中に、自分でも思いもよらない形で亡くなってしまった。
なぜ冬の富士山に登ったか、それ自体も過去の配信でリスナーが、雪景色の富士山を見たいと言ったリクエストに応えてのものだった。
テツさんがどう生きればよかったのか、傍目にも答えが出しにくい。配信中、滑落直前のやり取りに心が痛む。
リスナー:自分一人だけ(の登山)で、孤独や恐怖を感じませんか?
テツさん:まあ大丈夫よ。東京にいた方が孤独だもん、俺の場合。
死後の反響:ダーウィン賞とオカルト的展開
ここからは蛇足だが、テツさんは2020年6月、「ダーウィン賞」の2019年度受賞者に日本人としては初めて選ばれている。
ダーウィン賞とは、愚かな行為のために死亡(または生殖能力の喪失)したことで、劣った遺伝子の抹消、ひいては人類の進化に貢献したとされ、皮肉として贈られる賞である。
2019 Darwin Award: Pinnacle Of Stupidity
富士山滑落動画から「こっち来ないで」「こっち来い」と聞こえる
また、事故から1か月後くらいに突如、残された滑落動画に女性の声で「こっち来ないで」、男性の声で「こっち来い」と聞こえる部分があると話題になった。風など外部の音がたまたま人の声に聞こえるところもあるが、どのように聞こえるかも人によってバラバラなようだ。
この事故は、滑落の翌月に遺体の身元が判明した時点で、遭難事故としては解決している。しかし、ニュースを知った人にとっては、滑落の瞬間が全世界に生配信、遺体は激しく損傷、境遇は不憫という衝撃度に対して、スッキリせずモヤモヤしたまま終わってしまう。
死者を悼むやり切れない気持ちが、動画から空耳が聞こえるというオカルト的展開につながったのかもしれない。