ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

高齢者や障害者が処分される近未来(短編)

人を殺処分して時給905円。

憲法に『家族は、互いに助け合わなければならない』という一文が入った頃から、国は明確に「小さな政府」を目指し始めた。

2045年、高齢者や障害者は『家族』が責任を持って面倒を見ること、それができない家族には「安楽死」を推奨する法律が制定。
既に、社会保障費は大幅に削減されていたが、助成金が完全に打ち切られたため、福祉施設はどんどん淘汰され、金持ちが対象の高額施設だけが残った。
安楽死は、始めこそ「推奨」だったものの、管理体制が進むにつれ「強制」になっていった。

全国民はマイナンバーで管理され、国に与えるメリットとデメリットをポイント計算される。

18歳の誕生日までは、障害がなければポイントはマイナスされない。
それ以降は、状態により3ヶ月単位でポイントが変動する。
大企業に就職すればプラス、年収が高いほどプラス、うつ病で通院すればマイナス、無職や引きこもり状態ならマイナス、犯罪を犯せば大きくマイナス、というように。

さらに、36歳の誕生日から1歳年を取るごとに、「加齢マイナス」の割合が大きくなっていく。
通常は、国に貢献しているなら、加齢分は気にならないようにポイントが加算される。
だが、不幸にもリストラ等でプラスポイントがつかない状態が続くと、60歳の誕生日でポイントはゼロになってしまう。

そのため、だれもが死ぬ間際まで必死に働く。
少子化のため人口は減り続けているが、労働市場は買い手市場なので賃金は上がらない。

身体・知的・精神障害や認知症などが認定されると、症状の重さによってポイントがマイナスされる。
しかし、ピアニストや書道家、パラリンピックへの出場など、国にメリットを与えている者には、貢献度に比例してポイントが大幅に加算される。
障害や認知症が軽く、会社や作業所などで働くことができる場合も、ポイントが加算されて処分はされない。

だが、例えば交通事故で頭を打ち、寝たきりになって入院した場合、病気認定分のポイントとともに、「施設占領ポイント」が月単位でマイナスされる。
ポイントは『家族』単位で考慮されるので、高年収の家族がいれば、その家族がポイントを稼ぐ限りは入院可能だ。
しかし、そのような家族がいない一般的な家庭の場合、入院半年で回復しなければ、赤紙がやってくる。

「あなたが国に与えるポイントはマイナスになりました。安楽死の手続きを取って下さい」

ポイントがマイナスになった者は、専用施設に送られ、ひっそりと処分される。
桜の名所だったという、緑豊かな広大な敷地にそれはある。
桜は、死者たちの養分を存分に吸い、毎年美しく花開く。この世の果てにあるという楽園のように。

なぜ、処分にあたる者の時給が安いのか? 普通の人はやりたがらない仕事なのに。
国はそれなりに助成金を出しているが、複数の企業に中抜きされている。大昔にあった福島第一原発の事故でも、国家存続の危機にも関わらず、作業員の時給が中抜きされまくっていたように。
尻拭いは、いつも貧しい者に回ってくる。

飲むだけで、当人も苦しまず後も汚れない薬が開発されたため、殺処分の敷居は低くなった。
何より、この職に就いていれば、自分は絶対に処分されない。違反を犯さない限りは。
だから俺は、この職を選んだ…んだっけ?
まあいいや。今日もいつものように処分対象者の受付をしていたら、事件は起きた。

「はい、カード出して下さい。81歳女性ねー」

「あー、認知症による暴力行為っすかー。徘徊中に、保護した近所の人を傷つけてしまった。これは一発デッドっすねー」

「俺に土下座されても困るんっすよねー。権限ないっすから」

「大丈夫、みな安らかな顔で眠るように旅立ってます。楽にしてあげましょうよ。皆さんの負担も減る。win-winじゃないっすか」

「代わりに死ぬと言われても、今の制度では、おばあさんが社会に与えるマイナスを上回るポイントを、家族が補う方法しかないんっすよねー。代わりに死んでもらっても、国全体のポイントが減って、逆に損失ですよ。じゃあ、皆さんのポイントを見てみましょうか。カードお願いします」

「長男さんは59才。特に役つきではなく、天下り先もない。今のままだと、60才で無職になれば、あなた自身が処分の対象になりますねー。退職後の仕事は決まってます? そちらの方が年収が高ければ、可能性もありますが。え、大幅ダウン? じゃ、だめっすねー」

「長男さんの奥さんは専業主婦っすか。まあそうじゃないと、面倒見れませんもんね。申し訳ないっすけど、主婦はポイントがつかないんですよー。デメリットはないけど、メリットもないってことで」

「いやー、そこは考慮されてますよ。独身男性より既婚男性の方が、同じ年収でもポイントが高いのは、奥さんの貢献分も加算されてるからです。でも、奥さん個人で見るとプラスポイントがないから、代わってもらっても仕方ないんっすよねー」

「え? 定年退職まで真面目一筋で働いてきたのに、母親を救うこともできないのかって? 残念っすけど、今の制度では、人間の価値は年収で決まるんすよねー。真面目に働いても、年収が低ければ何にもならないんすよー。まあ、俺も人のこと言えないっすけどね、あははー」

「おばあさん自身が何か加算ポイントがあればいいのかって? そうっすね、でも年収ゼロですよね。え? 歌が上手い? 何すかそれ。そういう抽象的なものはポイント計算できないんで、たとえ歌が上手くて人を癒すことができても、稼げなきゃ価値ゼロなんすよ。聞けば分かる? いや、いいですよ、歌わせないでください」

だが、おばあさんは自発的に歌い始めた。
まるで、今だけ認知症が治ったように。

懐かしい歌だった。
とたんに、子どもの頃に見た風景が、渇ききった脳内に流れ込んできた。
風鈴が涼し気に揺れる縁側。誰かが歌いながら打ち水している。
井戸で冷やした西瓜を切って運んでくれたのは誰だったか。
きらきら光る線香花火の玉をぽとんと落として泣いた時、抱きしめてくれたのは誰だったか。
蚊帳で歌いながら、俺の背中をぽんぽんと叩いて、寝かしつけてくれたのは誰だったか。

俺にもばあちゃんがいたのではなかったか。
いつも笑顔で、歌が上手な、働き者のばあちゃん。
朝早くから夜遅くまで働いて、女手一つで俺の父を育て上げたばあちゃん。
国に家族に貢献してきたのに、認知症がひどくなり、徘徊して近所の人に迷惑をかけてしまって――
どうなったんだっけ? 俺も、この人たちのように、ここに抗議に来たのではなかったか?
それからどうなったんだっけ――

ヴーヴー。
室内にアラームが響き渡った。
上司が俺のもとに駆けつけ、俺の首の後ろのスイッチを押した。

途端に、目の前が真っ暗になる。
何だこれ? もしかして「シャットダウン」?
俺は「違反」を犯したのか? それなら――
薄れゆく意識の中、上司がさっきの家族にかける声だけが響く。

「お役に立てずにすみませんねー。国が決めたことですから。はい、次の人どうぞー」

あとがき

(ここからは、BLOGOS転載用に書いた、障害者殺傷事件の説明です)

相模原障害者施設殺傷事件を知った時、「まるでSFのようだ」と思った。

容疑者は、「経済の活性化のため障害者を安楽死させたい、障害者は不幸しか生まない」とも、「世界には8億人の障害者がいる。その人たちにかかるお金はほかに充てるべきだ」とも言っている。
つまり、ヒトラーのような、優生思想の持ち主である。

優生思想とは、極端にいえば「優秀な者のみ生きるのに値する」という思想だ。
ヒトラーは、ドイツ民族を世界で最も優れた民族にするため、「支障となるユダヤ人」の大量虐殺だけではなく、「T4作戦」として、障害者(極度の近視を含む)・精神病者・治癒不能な病人・遺伝病者・てんかん患者・労働能力の欠如・労働忌憚者・登校拒否児童・夜尿症・反社会的分子・脱走兵・不潔・同性愛者まで、ガス室で「安楽死」させていた。

私は、パニック障害なうえ片目は円錐角膜で極度の近視、少し前まで引きこもりだったので、ヒトラー基準では「生きるに値しない者」になる。
(そもそも、ヒトラーにとっては、日本人全員が生きるに値しないのだろうが)

容疑者は時給905円の労働弱者であり、自らも精神病患者(妄想障害)なのだが、なぜかこのような人の方が選民思想を支持する傾向があるのは不思議なことだ。
容疑者は、いつからこのような思想を抱いていたのか?
そもそも施設で働こうと思ったのはなぜなのか?
働き始めて現実を知るにつれ、絶望からこのような思想に陥ってしまったのか?
法外に安い時給は、この思想にどんな影響を与えたのか?
この疑問が解明される日は来るのだろうか。狂人の事件として、ひっそりと後処理されはしないか。

まさか、この日本で70年もたってから、ヒトラーの思想が甦るとは思わなかった。
この「SFのようだ」という衝撃と問題意識を表すのに他に方法がなく、「絶対に実現してほしくない世界」をフィクションとして書いた(小説なんて書いたことないので、正直「何だこれ…」って出来だろうけど、一つの問題意識として受け取ってください)

「生きるのに値する命」、それはどこで線を引くのだろう。
そこまでいかなくとも、小さな政府を目指すなら、「福祉の金をかけるのに値する者」が今後選別されるのは必至だ。
社会保障を削減するなら、高齢者や障害者は『家族が助け合って面倒をみる』世の中に変わっていくのはたやすく想像できる。

容疑者は「世界経済活性化のため」障害者を殺傷し、ヒトラーは「ドイツ民族を最優秀にするために」ユダヤ人や障害者を虐殺した。
「経済のため」「民族のため」「国のため」という観点では、年収のような分かりやすい指標でしか、人間の価値を測れなくなってしまう。
障害を持つ子どもの寝顔を見て「苦労はするけど愛おしいのに変わりはない」と思うような、「値段はつかないけど価値あるもの」の存在価値を軽視することのないよう、効率ばかりを追い求める社会に疑問を呈したい。

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