ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

氷河期世代です。母と俺を安楽死させて下さい。(中編小説)

北朝鮮のミサイルが、北海道紋別市の鴻之舞鉱山跡に誤爆した一週間後。
開戦するかどうか、政府の判断を待っている間に、安楽死許可法が施行された。

北朝鮮は「あれは誤爆だ。日本を狙って打ったのではない」と主張した。
そのために即時開戦の勢いを欠いたところで、憲法第九条をめぐって大論争が起こり、一週間たっても北朝鮮に対して日本は何のアクションも起こさなかった。
たまたま、ミサイルが北海道の無人地帯に落ちて被害者が出なかったため、アメリカもまだ動いていない。

だが、これから戦争になるかもしれない。
開戦しなくとも、次は有人都市にミサイルが「誤爆」されるかもしれない。
パスポート申請が殺到し、発行は半年待ちになった。一日の出国人数にも制限がかけられた。

しかし、単身者はまだ良い。車椅子や寝たきりの高齢者を連れて国外脱出するのは、ほぼ不可能だ。
そのためか、本人の許諾がなくとも家族の申請だけで実行可能な、安楽死許可法がスピード施行された。
その裏でこっそりと、莫大な社会保障費が削られ、防衛費に充てられた。

*     *     *

俺は、1978年生まれの39歳だ。
すぐ上の団塊ジュニア世代ほどではないが、今の20代よりも受験戦争はずっと熾烈だった。
だから、なんとか上智大学の外国語学部に受かったときは本当にうれしかった。

だが、俺が卒業した2000年は、大卒求人倍率が史上最も悪い年だった。
慶應卒でも50社中1社しか面接に呼ばれなかったり、市役所の大卒募集3人に対して5000人が応募したと言われたほどの就職難。

父は、俺が大学2年のときに亡くなった。
卒業までの授業料は貯金と生命保険で何とかなったが、専業主婦だった母にこれからは恩返ししたいと思った。
だから、どんな会社でもいいから入りたい。もし入れたら、何をしてもしがみつく。

その一心でどうにか、ある外食産業に入社できた。
だが、それからが地獄だった。
いや、正確に言うと、地獄を天国と洗脳され、倒れるまで「自分は望んでこの天国にいるのだ」と思っていたのだ。

新人研修の二週間、携帯と財布を没収され、合宿所から出られなかった。
グループに分けられ、分厚い社訓を暗唱させられた。一人でも、間違えたり声が小さかったりするとやり直し。
「声が小さい! 心が込められてない! 恥ずかしがらずに、もっと自分をさらけ出せっ!」
全員が合格するまで、食事も睡眠も取れなかった。

暗唱させられた社訓の出だしは、今でも言える。
「人は、お金のために生きるのではない」
「仕事は、お金のためにするのではない」
「仕事は、お客様に感動を与えるためにするものである」
「感動さえあれば、お金がなくとも生きていける」
「お客様と仕事、そして会社に、感謝と愛を」
「仕事を与えてくださり、成長させてくださる会社に感謝を」
「感謝に報いるため、24時間365日、笑顔で死ぬ気で働きます」
……

逃げ出す者が出るたびに、彼らの悪口をグループの皆で言わされた。
「やる気と根性が足りない」
「尻尾を巻いて逃げ出した、無能な負け犬」
「二度と正社員になれない、社会の底辺」
そして、社員がこう締めた。
「残された君たちは、この試練を乗り越え、私たちとともに世界を輝かせる、選ばれし者だ。辛くなったら、今日逃げた負け犬がどんな末路をたどるか想像してみるといい。きっとまた、やる気に満ちてくるだろう」

研修後は、始業1時間前の15時に出社(無給)、16時から開店作業、深夜3時に閉店、4時過ぎまで閉店作業(サービス残業)、というシフトで働いた。
入社後も、早朝7~9時や午前中に研修が定期的にあった。内容は、社長のビデオレターを見て、勤務時間外でのレポート提出。
そのため、家に帰れずに店内で仮眠して再びシフトに入ることも度々だった。

それ以外には「自己学習」(推奨という名の必須学習)。
接客マニュアルの暗記学習で、マニュアルは持ち出し禁止のため、手で書き写したものを自宅に持ち帰るよう指示されていた。

長時間労働・研修・自己学習に加え、「一年間で店長を育成する」という社内目標へのプレッシャーが日々重くのしかかった。
実際に、一年で店長になれずに辞めていく二年目社員は大勢いた。
「代わりはいくらでもいる」が幹部の口ぐせで、確かに、就職氷河期だったため代わりはいくらでもいたのだ。

俺はすっかり洗脳されてはいたが、もともと体が丈夫な方ではなく、長時間勤務が体にこたえた。
だんだん飯が食えなくなり、出社前の14時頃、1日1回ゼリー食を食べるのがやっとになる。
目の周りが落ちくぼみ、頬がげっそり落ちて、ほうれい線のしわが目立つようになった。

そうして迎えた、店長への昇進試験。
そのうちの一つに、本人には知らされずに店内での接客を隠し撮りされたビデオを見ながらの、社長との一対一面談があった。

「……店長からは、君が先月の寄せ鍋キャンペーンでも売上に貢献したと推薦文をもらっているけど」
社長はそこで言葉を止め、しばしの間、俺の接客の様子を映したビデオを見ていた。

「君の笑顔、気持ち悪いね」

俺は、予想もしなかった言葉に、とっさには何も返せなかった。
「痩せすぎだね。自己管理できてない」
「……もっ、申し訳ございません。ですが、社長がビデオレターで『営業時間内に飯を食う社員は二流』と仰っていたのに深く感銘を受け、営業時間内に食事をしないようにしていたものですから」

「勤務時間内に飯を食わないで働くのは当たり前。それでも、お客様に不快感を与えないよう自己管理して、やっと『普通』の社員のレベルなの」
「閉店作業が長引いたり、早朝や午前中の研修で、なかなか家にも帰れなかったものですから、誠に申し訳ございません」

「君、だめだね。食べなくても、自分の時間がなくても、会社への感謝で気力がみなぎっていれば、やつれたりしないよ。君には覚悟が足りない。笑顔が気持ち悪いのと口答えしたのとで、減点だね」

結局、昇進試験に落ち、店長にはなれなかった。
いま思えば、あれは圧迫面接だ。どんなに理不尽なことを言われても、反論せずに謝罪する者しか、この会社では店長になれなかったのだろう。

その後は人事部所属となり、「カウンセリング」を毎日受けさせられた。
そして、先輩や同僚に自分の欠点を聞いて回るレポートや、自分史を書いてどの過程に問題があったのかを考察するレポートを書かされた。
「これほど欠点があるお前を、就職難なのに採用し、仕事を与え、給料を恵み、育成してやった。お前はそれに応えられなかった」
「無能な奴はただのコストだ」
「会社に、感謝と謝罪をしろ。お前は皆に迷惑をかけているんだ」
「これ以上、迷惑をかけないためには、お前は何をしたらいいと思う?」

そして、入社から一年半後に、自己都合で退職することになった。
退職前にうつ病を発症したが、傷病手当は認められず。
それから、うつ病のために働けなくなり、一日中横になることしかできない日々が続いた。

あの会社の求人広告には「月給19万4500円(残業代別途支給)」と書かれていたが、実際は、その金額には初めから80時間の残業分が加算されており、本当の最低支給額は12万3200円、時給にすると770円程度となる。
80時間以上残業しなければ残業代が追加されないことや、逆に80時間以下なら給料が引かれることは全く説明がなかった。

俺は1日「10時間勤務+1時間休憩(取ったことがない)+1時間前出社(無給)+残業1時間」働き、休みは月4日だったので、実際は1日13時間×26日+研修2時間×8回=月354時間働いていた。加えて、勤務時間外に書いたレポートや自己学習の時間を足したら、380時間近くなる。
しかし、残業は80時間までしかつけられなかったので、給料は手当などつけても20万ちょっと。
だから、あれだけ働いたのに手元にはわずかしか残らず、貯金はすぐになくなった。

それから2年あまり、うつ病は完治はしなかったが一日中起きていられるようにはなったので、歩いて行ける距離にある、短時間の掃除のアルバイトに申し込んだ。

バイト初日。一人で行くと言ったのに、最初の日だからと母がバイト先まで車で送ってくれた。
そうしたら、車から降りられなくなってしまった。あと20分で始業時間なのに、助手席で固まってしまって動けない。目だけが時計の秒針を追っている。あと19分。あと18分。
俺の様子がおかしいのを見て、母が「どうしたの?」と声をかけた。

「……俺、前の会社で、社長に『笑顔がキモい』って言われて、辞めることになったんだ」
「……それまで死ぬ気で頑張っていたのに、自分ではどうしようもないことを言われて、どうしていいか分からなくなった」
今まで母に辞めた経緯を話したことはなかった。まだ心の中で消化できておらず、何て言葉にしていいか分からなかったのだ。

「……俺が無能だったんだと思う。でも、またここで、あんなことが起きたらと思うと、怖くて車を降りられない」
涙があふれてきて、止まらなくなった。

「たけし」
気づいたら、母に抱きしめられて、あやすように背中をぽんぽんとされていた。
「何で、もっと早く言ってくれなかったの。たけしの笑顔は素敵だよ。気持ち悪くなんかないよ。今度また、だれかがたけしを傷つけたら、母ちゃんが殴りに行くから。世界中を敵に回しても、母ちゃんだけは最後までたけしの味方だから。安心して行ってらっしゃい」

その時の俺は、赤子のように情けなかったと思う。だけど、世界中でだれか一人でも無条件で俺を肯定してくれない限り、もう一度前に進むことはできなかった。
しばらく母に背中をぽんぽんとされた後、俺は涙と鼻水だらけの顔をティッシュで拭いてようやく車を降り、非正規雇用者としての新しい一歩を踏み出した。

掃除のバイトを2年ほど続け、2006年、俺は28歳になった。
就職氷河期は2005年で終わり、2006年は売り手市場へと変化していたが、俺は既に新卒ではなく20代前半ですらなく、「3年未満に離職」「うつ病」「4年以上のブランク」と悪条件しかない20代後半が、正社員として就職できるわけはなかった。
うつ病は隠せても、当時はまだ「ブラック企業」という概念がなく(2010年頃に広まる)、「退職する方に問題がある=自己責任」という考え方が今よりずっと強くて、書類で落とされまくり面接にも進めなかった。

それでも俺は英語ができたので、派遣社員だが翻訳の仕事に就くことができ、1年後には契約社員に昇格した。
だが、2009年のリーマンショック、31歳のときにあっさり首になる。
それからは、ずっと今まで派遣社員として翻訳の仕事をしてきた。

実は、少し景気が上向いてきた2014年(リーマンショック後から2013年までは第二次就職氷河期)、もう35歳を過ぎてしまった36歳のときに、正社員として転職活動をしたことがある。
そのときの圧迫面接で言われたことが、今も忘れられない。

「君は、正社員の経験は一年半だけで、その後はずっと非正規雇用なんだね」
「TOEICで満点近く取れるほど英語ができても、翻訳以外に何ができるの? 英語は目的じゃなく手段だよ。君には、英語を手段として活かせるような、正社員としてのどんな経験があるの?」
「若くもなく経験もない君は、もう二度と正社員にはなれないよ」

「非正規雇用は、正社員のための、見せしめの存在なんだよ」

「大企業でパワハラを受けても、辞めないで自殺する人っているよね。それはさ、大企業を短気離職した奴はたいてい訳ありだから、人事はだれも正社員として取らないんだよ。もう非正規雇用になるしかないわけ。正社員は、非正規雇用になるくらいなら死を選ぶんだよ」

「正社員を、低賃金や長時間労働、パワハラセクハラにも文句を言わずに辞めない社畜にするために、非正規雇用は存在しているの」

……俺は、会社に雇われる者には「ホワイト企業の正社員」「ブラック企業の正社員」/「非正規雇用」の3つしかないと思う。

このうち、ホワイト企業の正社員には、新卒の就職活動時しかなれない。
就職氷河期に就活した人たちは、ほとんどがブラック企業の正社員か非正規雇用になった。

ブラック企業の正社員になっても、俺みたいに耐えられない者は、精神疾患による短期離職→ブランク→再就職できない、と、らせん状の階段を下へ下へと降りていくように、非正規雇用に堕ちていく。
就活時の不運、ブラック企業に入った不運、精神疾患、ブランク……。一度「傷」がつくと二度とやり直せず、企業に社会に使い捨てされる。

非正規雇用の給料は安く、社会保険に入っていないことも多い。さらに、派遣会社などから給与の半額程度を中抜きされていることさえある。一ヶ月で治る骨折ですらクビになり、退職金もない。
社会は「わざと」、非正規雇用に「彼らは無能で怠け者で、そうした待遇に堕ちたのは自己責任だ」と間違ったレッテルを貼った。

ブラック企業は、「非正規雇用になりたくなければ、どんな理不尽にも耐える社畜になれ」と、ブラック企業の正社員に絶対服従を強いる。俺が、最初の会社に洗脳されたように。

そうして、ブラック企業の洗脳された正社員は、「非正規雇用になるよりは」と、どんな劣悪な労働条件でも受け入れる。
ブラック企業の正社員が、非正規雇用を「自己責任」と罵るさまは、ほとんど憎悪だ。
一度の失敗も許されない社会で、細い細いレールの上を踏み外すことのないよう歩みを連ねるストレスを、すべて彼らにぶつけるかのように。

本当に憎悪すべきは、経営者や政治家なのに。

労働に身分制度を持ち込んで、賃金や労働環境への不満から目をそらさせて、いまや被雇用者の40%が非正規雇用である中、最高益を更新し続ける経営者なのに。
だれ一人として、派遣会社のマージン上限の設定や、マージン非公開の罰則化を言わない政治家なのに。
「仕事は、お金のためにするのではない」と被雇用者を洗脳して、浮いた利益はどこへいくのか?

非正規雇用は、劣悪な労働条件でも喜んで働く国民総奴隷化のために、政府が「わざと」生み出したスケープゴートなのに。

*     *     *

ホワイト企業の正社員になれなかった俺には、「普通」に人生を終えることもできないのだと分かったきっかけは、母の認知症だった。

はじめは、昨日のことを思い出せないといった年相応の物忘れだったが、そのうち、パート先の掃除の同僚から、ある場所の掃除を忘れていたり、逆に同じ場所を2回掃除していたり、他の人の制服を着てしまったりなどの苦情が来るようになり、仕事を辞めさせられた。

そして、いわゆる「物盗られ妄想」が始まった。
母に生活費やおこづかいを渡していたのだが、「お札が足りない」「お財布がない」と言われるようになる。どちらも探すと見つかった。いつもと違うバッグに入れていたり、タンスの使わない引き出しにしまい込んだりして、自分で忘れてしまうらしい。
次第に頻度が増え、しまいには毎日深夜3時ごろに起き出して「お財布がない」と大騒ぎするようになった。

物盗られ妄想は、痴呆症の初期症状で、記憶障害や不安が引き起こすものだ。
母も、パートを辞めさせられてから、自分が今までの自分とちがうことを感じとり、不安で一杯なのだろう。
俺は一人っ子で父も亡くなっているので、母が不安をぶつけられるのは俺しかいないのだ。

と、頭では分かっていた。
しかし、ある時言われた言葉が、妙に胸に刺さった。
「なんでお金を盗るの! そんな子に育てた覚えはないよ!」
「家にお金がないのは、あんたがバカで根性なしだからだよ!」

そんな子に育てた覚えはない、家にお金がないのは、俺がバカで根性なしだからだ。
これはもしかしたら、母が心の奥底に閉まっていた本音ではないのか。
高い授業料を払って大学まで出したのに、就職してすぐうつ病になり、ポンコツになった俺。母が、ぼけるギリギリまでパートで働いていたのは、俺に金がなかったからだ。
母が痴呆になって俺が一番不安なのは、いつまでクビにならないか、そして働けなくなったらいつまで貯金が持つのか、ということだ。もし「普通」の正社員になれていたら、退職金も十分な貯金もあったのだろうに。
これは、バカで根性なしな俺への罰なのか?

そのうち、俺が仕事中に母が外を徘徊し、家に戻れずに交番から電話が来た。母の頭の中では、掃除のパートに行こうとしていたのだろう。
介護認定をしてもらったが、痴呆症は進んでいても寝たきりなどの身体症状はないので、施設に入ることのできない「要介護2」と認定された。

徘徊しないよう外から二重で鍵をかけたが、俺がいない間に家の中で泣き叫んでいたらしく、再び警察を呼ばれた。
ヘルパーを頼むなどしてみたが、家に他人を入れるのを嫌がる。徘徊ぐせがあるので、デイケアやショートステイも断られる。
介護の本も何冊か読んだが、面倒を見る者が正社員であることが暗黙の前提で書かれているのも地味にこたえた。
「普通」の正社員なら、会社内のコミュニティがあり、だれかに相談できたのかもしれない。だが、俺はずっと非正規雇用で、仕事が切れれば職場も変わるので、そうしたコミュニティもなかった。

とりあえず、可能なだけ介護休業を取ることができれば母の不安も解消できるかもしれないと思い、派遣会社に相談した。

次の日、派遣先の二年目の正社員が、俺のことを話しているのを聞いてしまった。
「○○さんが、介護休業を取りたいんだって」
「あいつバカなの? 法律上は使えるって建前があっても、派遣は契約切ればいいんだから、取れるわけないだろ。まあ、何も考えず派遣なんかやってるおっさんだから、クビになってのたれ死んでも自己責任だよねー」

ああ、こいつは何て幸せなんだろう。
少子化で受験戦争も大したことなく、売り手市場で苦労することもなく第一志望のホワイト企業に入った。
生まれた年がよかったという、俺から見れば嫉妬と無念で吐きそうなほどの幸運に恵まれているのに、そのことを知らない、いや、知る必要がない。
日本国民がみな平等で、身分は努力に比例すると無邪気に信じ、運がなかった他人を攻撃することのできる幸運。
俺はお前よりもずっと努力したのに、運がいいだけの奴に「自己責任」と言われるのか……!

分かってる、世代がちがう奴に嫉妬するのも、正社員が非正規雇用を憎むのと同じ、経営者の思うつぼなのだ。 だが、このやり切れない気持ちをどうすればいい?

……家に帰ると、母が怒っていた。
「どうして、北朝鮮にミサイルを落とされたのに、日本から逃げないの?!」

ああ、知ってしまったか。北朝鮮がミサイルを誤爆したことは、テレビを片づけたり新聞を解約したりして、知られないよう隠していたのに。
「おまわりさんに『うろうろしていたら、ミサイルが飛んできて危ないよ』って言われて、詳しく教えてもらったんだよ。戦争が始まるかもしれないのに、どうして逃げないの?」
「母ちゃん、パスポートを持っていないだろ。いまは申請に半年かかるから、申請はしているけど、最低でも半年間は逃げられないんだよ」
「うそ! パスポート持ってるよ! なんでパスポートがないの?! またあんたが盗ったの?!」
しまった、妄想スイッチが入ってしまった。母はパスポートを探して、手当たり次第に引き出しを開け、物を散らかし始める。母の手を握りしめて優しく声をかけた。 「ごめんな、パスポートはないんだよ」
「うそだ! あんたが盗ったんだ! 私を置いて、あんただけ逃げるつもりなの?」
背中をドンドンと叩かれた。同じ手が、ぽんぽんと優しくたたいて慰めてくれたこともあったのにと思ったら何だかたまらなくなって、俺のスイッチも入ってしまった。

「俺もここから逃げたいけど、母ちゃんがいるから逃げられないんだよ!」

言ってしまってからハッとした。言ってはならないことだった。
「うぅ……、あぅあぁーーー」
声にならない声をあげて、母は号泣した。
「もう死にたい、母ちゃんなんか、死ねばいいんだよーーー」

そうだ、俺たち死ねばいいんだよ。

母が泣き疲れて眠った後、俺は市の安楽死課に電話して、俺たち二人の安楽死を申し込んだ。

次の日は、母の70歳の誕生日だった。
俺は、ふだん買わないような大きい苺のホールケーキを買い、母が好きなシチューを作った。

ケーキにろうそくを7本立て、火をつけてから照明を消した。暗闇にろうそくの灯りが浮かび上がり、ケーキを見つめる母の顔がなんだか輝いているように見えた。
「母ちゃんは、苺と桃が入っているショートケーキが好きだろう? 今日は奮発して大きいの買ってきたから、たくさん食べてよ。まずは、ろうそくを吹き消して。ハッピバースデー、トゥーユー……」
俺が歌を歌い終わると、母はろうそくの火を吹き消した。俺は拍手する。

「70歳おめでとう。シチューも作ったんだよ。小さい頃、誕生日は必ずケーキとシチューだったじゃん。だから、シチューってごちそうだと思ってたんだけど、実は普通のおかずなんだってね。でもさ、俺にとっては何だか特別なんだよ」
母にはもう料理を任せることができない。火を止めるのを忘れたり、電子レンジなのに間違えてオーブンのボタンを押していたりして、何度も冷や冷やさせられた。
「仕事で忙しいのに本当にありがとう。たけしのシチュー、とてもおいしいよ」
一品しかない料理に文句も言わず、美味しそうに食べる母を見て胸が痛んだ。最後の晩餐くらい、母のためにもっとごちそうを用意すればよかったか。でも、今日これから死ぬとしても、何がごちそうなのかシチュー以外に思いつかなかった。もうこの世に未練はなかった。

食べ終わった後、俺は母にぶどうジュースを勧めながら、ビデオカメラをテレビにつないだ。
テレビに、俺が掃除のバイトを始めて一年たったお祝いに、母が連れて行ってくれた植物園が映し出される。
「ああー、○○植物園かい、懐かしいねえ。そういやこの時、ビデオカメラを奮発して買ったんだったね」
「そうだよ、俺が働けるようになったお祝いにって、母ちゃんが買ってくれたんだよ。その後、二人で出かけた先をいろいろ撮ったりしたけど、最近は全然使ってなかったね」
「このチューリップ畑は綺麗だったねえ」
「母ちゃんは、花に囲まれて写真を撮るのが好きだからね」

「私もたけしも若いねえ。この時はよかったねえ……」
「今だって、母ちゃんまだまだ若いよ」
「もう母ちゃんだめなんだよ。最近、気持ちがしゃんとしなくて、自分が何していたのか分からないことばかりで。自分が何かしでかしてやいないかって、すごく不安なんだよ」
「大丈夫だよ。しっかりしてるよ。今はちょっと疲れてるだけだよ」

「この時は、たけしに何があっても『母ちゃんだけはたけしの味方だよ』って言ってやれたのに。今はもう、頭がぼんやりしていることが多くて、お前の味方どころか、お荷物だよね……」

お荷物なんかじゃないよ、俺もずっと母ちゃんの味方だよ、と言おうとして、俺にはもうその資格はないのだと思い返した。
ぶどうジュースに入れた睡眠薬が効いてきたのか、母は既にうとうとし始めていた。
もうすぐ、安楽死課の職員が来る。
自らをお荷物と言った母は、申し訳なさそうな、居場所がなくて消え入りそうな顔のまま、眠ってしまった。

「家にお金がないのは、あんたがバカで根性なしだからだよ」は、認知症が母に言わせた言葉だ。
いや、本当に俺は、バカで根性なしだ。
まだ介護が始まって一年もたっていないのに、金がない不安、職を失う不安、ミサイルや戦争への不安で、ただ一人の味方を自らの手で殺めようとしている。
今の母ちゃんは、車から降りられなくなったあの時の俺と同じで、ずっと不安でいることを分かっているのに。
俺も不安でも、この世界にだれも味方がいなくても、俺だけは母ちゃんの味方でなくてはいけないのに。
あの時、自分だけは俺の味方だと言ってくれた母ちゃんに、「母ちゃんがぼけても、俺にとっては何も変わらないよ。俺もずっと母ちゃんの味方だよ」と言わなければいけないのに。

綺麗ごとかもしれない。
俺には金も、安定した職もない。
だけど、母ちゃんを自分がお荷物だと思わせたまま、うつろな顔で死なせたくない。
たとえぼけても、ぼけたなりの楽しさや幸せを感じさせたい。
もう一度、花畑の中ではしゃいでポーズをとる母ちゃんを見たい。

俺も、自分が世の中のお荷物と洗脳されたまま死にたくない。
自らを「自己責任」と責め続けて、企業に生き血を吸われ続けたまま死にたくない。
時代に貼られた「無能」というレッテルを、自分ではがしたい。
正社員と非正規雇用が互いにいがみ合う憎悪の輪から抜け出したい。
世間がどう思おうと、どう生きれば幸せなのかを自分の頭で考えたい。

ピンポーン。
「安楽死課です」
今日死ななくても、結局いつかは二人で死ぬことになるのかもしれない。
結論を迷ったまま、俺は玄関へと向かった。

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