ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

非正規雇用者のサイレント革命(原案)

「今後、景気がよくなり、非正規雇用が減り、低年収層の年収が上がることはあるのか?」

それが知りたくて、GW中に経済やら現代史やらの本を読んだが、答えは「No」に思える。

非正規雇用の問題点は、「社会保障がない」ことと「賃金が低い」ことだ。

バブルが弾けるまでは、企業は終身雇用を前提に、手厚い福利厚生を社員に提供していた。
日本の社会保障制度は、上記を前提に設計されているので、非正規雇用者という存在は想定されていない。

これから高齢化により、社会保障費の負担が増えることは明らかだ。
非正規雇用者をカバーできるような新制度の財源は確保できないだろう。

かといって、非正規雇用を正規雇用にする、せめて賃金を上げられるほど、日本企業が再生できるかといえば、できないだろう。

例えば、新興国の工業化や情報技術の発展といった世界経済の構造変化に、日本の産業構造は対応できていない。
そのため、いくら金融緩和政策をとっても、一時的な株価上昇しかもたらさず、実体経済は回復しないだろう。

私が恐れる「これから」

私が恐れる、こうなってほしくはない今後の予想を書いておく(直感なので根拠はない)。

1.今の20代より下の世代は、人手不足のため正規雇用される。
氷河期世代(30代~)より上の世代だけが、非正規雇用のまま。
若い世代は正規雇用されるため「非正規雇用問題は解決した」とみなされ、氷河期世代以上は無視され取り残される。
2.AIは、給料が高い仕事(=コストがかかるから削減したい)から奪っていく。
地方によくある、最低賃金・非正規雇用の介護の仕事などには、AIは導入されない。
なぜなら、いま超低コストで(AIの導入が難しい)複雑な仕事につく人間を雇えているのに、中小企業においてコストをかけてまでAIを導入するメリットがない。
結果、低賃金のキツい仕事ばかりが残され、それを非正規雇用者が奪い合うようになる。

お金を稼ぐこと=自分のサービスを何かと交換してくれる人を見つけること

では、非正規雇用者はどうしたらよいのか。

唐突だが、「お金がない」とは「収入より支出が多い結果」である。

例えば、野山になっている柿はタダで食べられる。
だけど、同じ柿でも、誰かがもいで市場で売ると、値段がつく。

つまり、中間に入る人間が増えるほど、サービスは高くなっていく。

支出が多いのなら、できるだけ中間に人が入らないサービスを選ぶ(自給自足か直接交換)。
収入が少ないのなら、できるだけ中間に人を入れずにサービスを提供する。


伊藤洋志さんとphaさんの共著である「フルサトをつくる」という本がある。

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

これは、都市に住む人が新たにもう一つの拠点「フルサト」を作るための本である。

「フルサト」とは、生存条件のハードルが限りなく低い(例えば、家賃が1万円とすごく安くて、食べ物も自分で作ったり、村の子どもに勉強を教えてその代金として食べ物をもらったりすれば、何とか死なないで生きていける)拠点のことだ。

そうは言っても、田舎に仕事などないのでは?

仕事といっても難しく考えすぎないでもいいと思う。先程述べたような街に買い物に行きたいけど行けないお年寄りを車に乗せてあげるとか、それが難しければ移動販売もよいと思う。もっとシンプルに、草刈りをするとかでもよい。

「えっ、そんなことでいいの?」と思ったのではないだろうか。

「お金を稼ぐこと」は実はシンプルで、「自分のサービスを、何かと交換してくれる人」が見つかればいいのだ。

直接交換することで、中抜きがなくなる。
交換代金は自分で交渉できるし、別にお金じゃなくても、1週間分の野菜とかでもいい。

田舎で生きるのに必要なお金は、衣食住+公共料金・保険・通信費・ガソリン代くらいだ。
会社に行かないなら、「衣」はジャージ3着もあれば十分だ。
「食」は、できる限り自給自足して、足りないものは村の子どもに勉強を教える代金としてもらったりする。
「住」は、この本によれば、田舎では月に家賃1万円で住むことも可能である。
(追記)車だが、この本の中では廃車寸前の車をもらっている。間に人が入らなければ、そういうこともできる。
(それ以外に、文化は必須だろう。それはこの本でも扱っているし、「自分で提供するサービス」にもなり得る)

年収97万円以下なら、所得税と住民税がかからない。
国民年金は、全額免除申請をする(氷河期世代が高齢者になる頃には、年金制度は破たんしているだろう)。

それなら、月6~7万円くらいで暮らせる。
「交換できるサービスなんて自分にはない」と心配な人は、時給700円×1日5時間×週3日、というすごくゆるい働き方でも、月42,000円になる。
あと2万円くらいなら、そういう生き方に興味がある人もいるだろうから、ブログでも書けば十分稼げる。

(こういうサービスが提供できる、という案はたくさんあるが、長くなるので実際に始める時に語る)

「自給力」という考え方

また、この本の中には「自給力」と「実質年収」という考え方が出てくる。

具体的には、年収が200万円でも自給力が300万円、つまり300万円の価値があることを自力で作り出せれば500万円の価値がある生活が送れる、という考え方である。

(中略)どれだけサービスを自給できるかは、実質年収に大きな差となって出る。

つまり、お金を出して買うサービスを自分で自給自足できたなら、お金を出したのと同じ分の価値ある生活が送れる、ということだ。

年収200万円で自給力ゼロの人が、食費に年50万かかるのなら、実質年収は200-50=150万円。
年収97万円で、年50万円分の食料を自給もしくは自分が持つサービスと交換で賄えるのなら、実質年収は97+50=147万円となり、暮らしぶりは同じである。
いや、年収200万円の人は税金をとられるため、年収97万円の人より暮らしぶりは悪くなる。

会社で働くのには、必要経費がかかりすぎる。
収入が下がっても、支出も下げ、自給力を上げればよいのだ。

非正規雇用者にとって「会社で働くことこそがリスク」

よく「会社を辞めることはリスク」というが、これは非正規雇用者にはあてはまらない。

なぜなら、「会社を辞めることは(起業などのチャレンジが失敗した時、再び正規雇用に就けずに非正規雇用に転落するから)リスク」であるため、非正規雇用者は既にリスクの中にいるからだ。

非正規雇用者にとっては、社会保障もなく継続雇用でもない会社で働き続けることこそがリスクだ。

例えば、アルバイトで働いていた会社の社長が給料を払わずに突然蒸発した時(こういう話は結構ある)、失業保険もなく家賃も払えず、もうNPOに助けてもらう以外どうしようもない。
それよりは、自給自足のために少しづつ田舎の畑を整備していく方が、よほど将来へのリスクヘッジになる。

これからの時代、非正規雇用者のような経済的弱者は、「中抜き」という強者のルールから外れた生き方を目指すべきだと思う。

なぜなら、弱者ほど中抜きされる世の中になってしまっているからだ。

それは、派遣社員や偽装請負の仕組みを考えれば、説明するまでもないことだと思う。

サイレント革命とは何か

佐藤優「右肩下がりの君たちへ」の中に、「30年後、東京都心に氷河期世代の高齢者スラムができるかもしれない」という主旨の記述がある。

そんな氷河期世代の運命に、一矢報いることはできないのか。

都心のスラムで死ぬ前に、もし、どこかの村に非正規雇用者ばかり集まって、自給自足と直接交換による独自の経済を回し始めたらどうなるか。

理論上は、お金さえもいらなくなる。
その地域で通用する交換券で足りるかもしれない。

つまり、強者のルールで回っている日本経済の輪から抜け出せる。

これって、静かな革命と言えるのではないか。

荒唐無稽な原案だが、私が今後取り組んでいきたいことは、究極的にはこういうことだ。

※「革命」という言葉を使っていますが、これは比喩であり、言うまでもないことですが、政治活動的な革命を起こしたいのではありません。私は右でも左でもなく、弱い立場の人がどうやったら幸せに暮らせるかを考えて実行したいだけです

※次回以降のどこかで、「データから見る派遣社員|海外との比較」を淡々と書きたいと思います

※「フルサトをつくる」は、上記の私の考えとは全く関係のない、いろいろと考えさせられる優れた本です

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方