ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

小泉元首相は右翼のふりした「逆左翼」(働き方改革に望むこと)

ブログを書いていると、「左翼」と言われることがある。

「格差をなくしたい」と言っているし、私の思想は左向きなのだろう。
でも、もし自民党が格差をなくしてくれるのなら、私は喜んで支持する。

だけど、現政権は、庶民の方を向いているというアピールはうまいが、実際には経済界の方を向いている。

例えば、安倍政権が打ち出した「働き方改革」の中に、「長時間労働の是正」がある。
ここで気になるのが、「残業代ゼロ法案はどうなったのか?」だ。
昨年の国会に提出され、継続審議扱いになっている。
自民党の公約にもなく隠された状態だが、撤回はされていない。
(「残業代ゼロ法案って何?」という人はこちら

長時間労働をなくしたいなら、労働基準法を守らない企業の罰則を厳しくして、「実際に」取り締まればいい。
(そのうち書くが)ドイツはそうしているから、1年に150日も休暇があって残業もほとんどない。
でもやらない。
本質的ではない「プレミアムフライデー」(月末金曜日の退社時間を午後3時にする案)でお茶を濁そうとする。

むしろ、働き方改革という御旗の裏で、「残業代をゼロにすれば、長時間労働はなくなる」と言って、残業代ゼロ法案を通すのではないか?
それが気になっている。

はじめの話に戻るが、「右翼」「左翼」ではなく、もっと違う区切りがあるといいのに。
例えば、政党や政治家が、庶民の方を向いているのか、そう見せかけておいて実は違うということが、もっと伝わるような。

そう考えながら、松尾匡氏の「新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか」(2012年発売)を読んだ。
松尾氏は立命館大学の教授で、マルクス経済学者である。

新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

新しい左翼入門 相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

(上のリンクはkindleですが、書籍もあります)

インパクトのある題名だが、内容は、明治以降の社会主義派による社会運動史である。(60~70年代の「新左翼」(安保闘争などを率いた急進派)は入っていない)
上記の運動において、「理想や理論を抱いて、それに合わない現状を変えようとする」派と、「抑圧された大衆の中に身をおいて、『このやろー!』と立ち上がる」派が対立し、その結果、運動が自滅してきたと分析している。
他に専門書をあたる必要はあるが、読みやすく、独自の観点が面白かった。

で、この中に出てくる「左翼」の定義がいいなと思った。

ここで「左翼」とは、世の中の仕組みのせいで虐げられて苦しんでいる庶民の側に立って、「上」の抑圧者と闘って世の中を変えようと志向する人々というぐらいの意味にとっておいて下さい。

(一般的な「右翼」「左翼」の定義は、Wikipediaによると「右翼:より安定した社会を目指すための社会制度を支持する層」「左翼:より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」である)

松尾氏による「右翼」と「左翼」の定義は、松尾氏のサイトでも見ることができる。
松尾匡のページ|用語解説:右翼と左翼

右翼は、世界を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分け、「ウチ」に味方する。
左翼は、世界を横に切って「上」と「下」に分け、「下」に味方する。

右翼と左翼は、相手も自分と同じように世界を切り分けていると思っているからケンカする。
つまり、右翼は左翼が「ソト」に味方していると思い、左翼は右翼が「上」に味方していると思うのだ。

さらに松尾氏は、小泉元首相についてこのように触れている(あとがきより)。

困るのは、世界を縦に分けて「ウチ」に味方する「右」の立場だと自任しているのに、実は「上」に立つ逆左翼だという者が少なくないことです。経済的にグローバル化や市場競争を推進しながら、政治的にはナショナリズムという小泉さんみたいな組み合わせのことです。

「逆左翼」について、松尾氏のサイトではもっと突っ込んで書かれている。

こんな立場が蔓延すると何がもたらされるか。「ウチ」の内部に格差と競争を持ち込み、共同体精神をブチ壊しておきながら、他方で、顧客や取引先や出資者や従業者を、国や民族で分け隔てして扱うことになる。「ウチ」も蹴落とし、「ソト」も食い物にし、結果として残るのは「力だけが正義」という原理だけである。確実に世の中は腐敗していくだろう。

私は不思議なのだ。
なぜ、小泉氏と竹中氏は、派遣労働を解禁し、非正規雇用を拡大したのか。

短期的に見れば、人件費は削減でき、企業の利益は増えたのかもしれない。
だが、長期的に見れば、若者が貧しければ消費も伸びず子どもも生まれず、結果として企業の売上は落ち、国力も落ちる。

一般的な右翼の定義が「より安定した社会を目指すための社会制度を支持する層」であるなら、若者を貧しくし、社会を不安定にした小泉氏は、右翼ではない。
右翼のふりをして、右翼の支持を集めつつ、「上」のために動いた「逆左翼」である。
右翼のふりをしているのに、右翼が大切にするであろう、「何が本当に国のためになるのか」は見ていない。

さて、働き方改革だが、同一労働同一賃金に向け、非正規労働者の賃金を正社員の8割程度に引き上げる、とある。
非正規労働者は不安定な立場であり、賞与も退職金も社会保障も薄いので、正規労働者よりも賃金が高いのが本来であり、ヨーロッパ諸国ではそうなっている。
だが、日本の現状がひどいので、まずは8割程度でも「本当に」実現するなら喜ばしい。
しかし、信じてもいいのだろうか。

働き方改革は、働き方改革担当相のもとで、働き方改革実現会議を開いて決められる。
このやり方は、労働者代表がいる労働政策審議会を無視しているという批判もある。
つまり、「下」である労働者の声よりも、「上」である経済界の声を通しやすくしているのだ。

さらに心配なのが、非正規労働者のレベルに、正規労働者を引き下げる動きにならないか、ということだ。
非正規労働者の賃金を正規労働者の8割にする。正規労働者の賃金を、例えば残業代ゼロ法案の成立などで、結果的に今より2割減の8割にする。
賃金は同じになる。見かけ上は「格差が小さくなった」と言える。
だが、労働者は今より貧しくなる。
いまは非正規労働者だけの貧困が、正規労働者にまで広がり、企業は富むが、国力は落ち続ける。

はじめに言ったように、今回の働き方改革が「言葉通りに」実現されるなら、私は喜んで自民党を支持する。
「下」を思うふりをして、実は「上」しか見ていないということのないように。
右翼左翼関係なく、「下」の庶民側に立って、本当に国を思う政治がなされることを願う。

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