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ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい|2017年の抱負

メモ

2月に年度の抱負なんて言う人はいないけど、思いついたことをメモしておく。

自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい

ブログを始めて1年8ヶ月(途中4ヶ月中断)。
だんだん、自分がブログでやりたいことが見えてきた。
始めから明確に見える人もいるだろうけど、私はその時々で重視することが変わってきている。

稼いでみたい→一瞬儲かって「これじゃない」→自分が考えたことを多くの人に知ってもらいたい→一瞬すごいPVの時があって「これじゃない」→今に至る

今は、「自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい」である。
PVとか、ブクマ数とか、人にどう思われるとかは、一切気にしない。

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「ブログに好きなことを書いたら稼げる」って嘘だよ

「ブログを書いていても、自分は成功者になれないから、しばらく休む」という、Aさんの記事を読んだ。
(ここで紹介してAさんを傷つけたら嫌なので、リンクは貼らない)

文中に「好きなことを追求しろと成功者は言うが、好きなことなんてない」という記述がある。
この「好きなことを追求すれば稼げる」、これは条件つきの「好きなこと」なんだけど、意外と誤解している人がいるので、ちょっと書いておく。

PV数を公開している人はビジネスブロガー

はてなでは、「ブロガー」という言葉の中に、「稼ぐためにブログを書いている人」と「損得なしに好きなことを書いている人」が常にごちゃ混ぜになっていると思う。

この2つを区別した方が、話は分かりやすい。

稼ぐためにブログを書いている人は、たとえ個人でも、ビジネスとして書いている。
プロフィールに「毎月〇万PV」と書いていたり、収益報告記事を書いたりするブロガーを、「ビジネスブロガー」とここでは呼びたい。

実際は、「稼ぐために書いている時と、損得なしに好きなことを書いている時のどちらもある」という人が大半だろう。
そういう場合は、稼ぐための記事数が全体の5割を超えていたら、ビジネスブロガーとここでは考える。

損得なしに好きなことを書いているブロガーは、「ポエムブロガー」とここでは呼びたい(何でポエムなのかは後で書く)。

ビジネスブロガーがポエムブロガーのふりをするから混乱する

私は、ビジネスブロガーを批判するつもりは全くない。

例えば、家から出られない引きこもりが、もしブログで稼げるとしたら、それは大きな救いになる。
だから、稼げる人はどんどん稼げばいいと思う。

だけど、ビジネスブロガーの中に、ポエムブロガーのふりをする人がいるのは、混乱の元だと思う。
PVと収益を公開していて、アフィリ記事が全体の9割超えなのに、「好きなことを書いていたらたまたま儲かった」と言うような人々だ。

物慣れた人なら、それが真実ではなくポーズだと分かっている。
だが、それが真実だと思う素直な人もいるようだ。
そして、「自分も好きなことを書いているのに全然稼げない」と悩んでしまう。

なぜ好きなことを書いても稼げないのか

では、なぜ好きなことを書いても稼げないのだろう。

これは簡単で、「好きなこと」というのは条件つきだからだ。

例えば、月に10万稼ぎたいとする。
ブログに貼れる広告には、クリック課金型と成果報酬型(アフィリエイト)がある(もっと種類はあるけどここでは触れない)。

クリック広告は、だいたいPVに比例する。
たぶん、月にYさんが片手の半分くらいは、ポエムブロガーでもいけるかもしれない。
だけど、クリック広告だけでYさん2桁と考えると、最低でも〇〇万PVは必要に思える(根拠のない仮定です)。

〇〇万PVというのは、明確に検索を意識して記事を書かないと到達しない数字だ。
だから、好きなことを書くといっても、「(他人が検索するような)好きなこと」に限定される。
そして、好きなように書いてはダメで、SEO用のテンプレに沿ってキーワードを散りばめないとならない。
この時点で、好きなことであっても、好きに書ける要素は薄くなる。

さて、〇〇万PVは難しいから、クリック広告とアフィリエイトを合わせて10万稼ごうと考える。
そう考えると、報酬が大きいものを売りたくなる。

例えば、去年の年末まで、Aから始まるあるサービスは、1人無料契約させるごとに3,000円もらえた。
この場合の「好きなこと」は、「(そのサービスの中での)好きなこと」に限定される。

これらが「好きなこと」かといえば、まあ、好きなことではあるだろう。
だけど、ポエムブロガーの「好きなこと」、つまり好きなタイミングで書き殴る心の叫び、とは明らかに違う。
(この感じを伝えたくて、ポエムブロガーという呼び方にした。蔑称ではなく尊称)

ビジネスブロガーの「好きなこと」というのは、「(稼げるタイミングで、稼げるジャンル内での)好きなこと」なのだ。
つまり、去年の秋から年末まで、Aから始まるサービスの記事をひたすら連発し、被リンクをつけるために互助会活動に勤しむという「努力」あっての、「好きなことを書いたらたまたま儲かった」なのである。

ブログのどこに楽しさと辛さを感じるか

繰り返すが、私はビジネスブロガーを批判したいわけではない。
それぞれ、向き不向きがあるのだと思う。

例えば、稼ぎたくても、稼げるタイミングで稼げるジャンルの記事を続けて書くことが苦痛なら、ビジネスブロガーはできない。
たぶん、稼げるビジネスブロガーは(文章を書く作業を離れ、儲けを生み出す作業として)そのことを楽しんでいて、そういう意味では「好きなことをしている」は真実なのだろう。

同じく、ただただ心の叫びを書き留めたいと思っても、ビジネスブロガーの収益報告を読んでいて辛いのなら、ポエムブロガーには向かない。
ポエムブロガーに向いているかどうかの最大のポイントは、「他人のことを気にせず、文章を書く自分に没頭できるか」だと思う。

つまり、ブログのどこに楽しさと辛さを感じるか、そしてそのバランスに、どういうブロガーを目指したらよいかの向き不向きがあると思う。

ブログを書いている人は、「ブログの何が楽しくて何が辛いのか」「自分はビジネスとポエムのどちら寄りなのか」「どんな人と付き合ったらよい影響を受けるのか」ということは考えておいた方がよい。
ポエムブロガーなのに、ビジネスブロガーと付き合って「今月は〇〇万PV〇〇万円収益でした!」に惑わされるのは不毛だから。

ポエムブロガーでもできそうな収益化

心のままに思ったことを書き殴るポエムブログでも、書評なら、ブログの雰囲気を壊さずに収益化できるかもしれない。

SEOテンプレ通りの書評やランキングは論外として、選んだ本や感想にその人らしさが出ている記事なら、ブログ読者が読んでも面白く、もっと読みたいと思うから。

まあ、ビジネスでやっている人以外は、ブログは楽しいから書いて辛かったらやめる(でも消さないで残しておく)でよいと思う。

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生きづらい人々の体験談集を自費出版して配り歩きたい

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生きづらい人々の体験談集を自費出版して配り歩きたい

生きづらさ

だれの話か忘れたが、自費出版で出した本のうちの一冊を、海外のゲストハウスに置いてきたという話があった。
多くの人の手から手に渡って、感想を書いてもらって、最後には自分の元に帰ってくるように、メッセージを本に書いて。
そうしたら、本当に戻ってきたという話。

先日、「はてなベストエッセイ集」の企画紹介 をしていて、こんな話を思い出した。

これは、電子書籍ではできない。
モノとしての実体がある、紙の書籍でないとできない。

生きづらい人々の体験談集は、人の手から手に渡るべき本なのでは

「本が人の手から手に渡って読まれ続ける」
この考えに魅了されて、いろいろ考えているうちに、私は心療内科の待合室を思い出した。

心療内科の待合室には、たいてい本が置かれている。
イメージ的には、ちょっとスピリチュアル系の、字数が少ない絵本みたいなのが多い気がする。
待っている時、救いみたいなものを求めて、本棚を眺めたことが多々あるが、そこに望んでいるものはなかった。

それで思った。
心療内科の待合室に、例えば、うつ病などから寛解した人々が、その後どうにかこうにか生きていく体験談集があったら、どんなに心が慰められるだろうと。

一度レールから外れた後は、自分でレールを作ることになるのかもしれない

私は「ブログのこれから、私のこれから」で、人が挫折した後どう生きたらいいのか、ライフハックを作りたいと書いた。

(これは私の感想だけど)たぶん今の日本では、一度レールから外れたら、再びレールに乗ることができる可能性よりも、自分でオリジナルのレールを作って生きていくことになる可能性の方が高いように思える。

日本は他国に比べれば恵まれた国だけど、なぜか皆がレールに乗ること(会社に入って、結婚して、子どもを育てて、定年まで勤める)を求められ、レールから外れた人の社会保障などはあまり想定されていない。

不思議なのだが、レールに乗ることを求められる割には、そこから外れた人が再びレールに乗れる道はあまりない。
「レールに乗り続けていること=普通」「レールから一度でも外れたこと=異端」のような区別意識がうっすらある。

だから、レールから外れた時に30代後半以上だったら、再びレールに乗ろうと苦しむよりも、自分でレールを作る方が楽なように思える。

レールから外れた後のノウハウ本がない理由

でも、レールから外れた後のノウハウが書かれた本は、ほとんどない。
その理由は2つあると思う。

1つは、レールから外れた後、自分でオリジナルのレールを作って成功した(or成功したと自分で思える)人があまりいないのだろうと思われること。

「成功したと自分で思える」というのは大事なポイントである。
たぶん、自分のレールを作るためには、レールに乗っていた時に持っていたものを何かしらあきらめる必要が出てくる。
その時、レールに乗っていた時の価値観を引きずっていると、いま自分が幸せだと自分で思えない。
実際はすごく上手くやっているのに、本人は「レールに乗っていた頃の方がよかった」と思っていたりする。

もう1つは、出版社(本を作る側)にそのような企画観点がないこと。
あっても、こうした本は売れないだろうと思われる(or出版社側が思っている)こと。

損してもいい個人なら、何でもできる

だけど、利益を出さないといけない出版社と、私はちがう。

「生きづらい」というと幅が広すぎるが、うつ病などや発達障害などで、レールを外れたり、普通の人と同じように働けない人などが、どうやってオリジナルのレールを作って生きていっているか、がテーマになる。

(この記事ではまだ募集はしないけど)たぶん募集したら、けっこう集まりそうである。
なぜなら、普段からTwitterのDMなどで、そのような体験談をいただいているので。

5~9人くらいにじっくりと話をうかがう。
出版社だったら大人の事情で全部は書けないことも、個人出版だったら全部書ける。

まず電子書籍で販売して、儲けを人数+私で割って、私分の収益で、自費出版(印刷製本)する。

そうしてできた紙の本を、生きづらい人々がいそうな場(支援団体とかフリースクールとか心療内科とかと)に配って歩く。
個人に配ってもいい。
その場合は、できたら感想を書いて、次の人に渡してもらったりする。

たぶん儲からなそうなので、印刷製本はほぼ自腹だろう。でも、やりたい。

ネットのコンテンツは、一時期話題になっても、すごい勢いで流れて忘れ去られる。
また、体験談は検索されにくい。

生きづらい人々の体験談は、流してはいけないコンテンツだと思う。
出版社が作らなくても、本として大切に保管すべきコンテンツだと思う。

掌の火を手づたいで渡していきたい。
その火に勇気づけられて、新たな火が灯ることもあるだろう。

儲けようと思うと、何もできない。
損してもよいと思うと、何でもできると思った。

実際の体験談募集は、夏ごろにします。

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自腹で他人のエッセイ集を出版する、最高の大人の道楽|はてなベストエッセイ集

エッセイ紹介

自腹で、はてなブログや増田(はてな匿名ダイアリー)に投稿されるエッセイをまとめて出版したいという、お大尽が現れた。

dk4130523.hatenablog.com dk4130523.hatenablog.com dk4130523.hatenablog.com

「はてなベストエッセイ集」の企画概要

3番目の記事に、こう書いてある。

  • 2017年中にはてなブログ(+増田)に発表されたエッセイの中から
  • id:dk4130523氏が24編選んで(+特別寄稿)、エッセイ集仕立てにする
  • 230部を刷って、氏が書店を回って置いてもらう
  • 300円(未定)で売上は寄付
  • 電子化はたぶんしない(PDFは作るかも)
  • この活動を10年続けたい

(詳しくは元記事を読んでください)

記事には特に自腹とは書いていないが、直接聞いたら自腹とのことだった。

230部を印刷製本するなら、安い業者を使っても10~30万はかかるだろう。
ちなみに、出版社の自費出版を使うと200万くらいかかる。
1冊300円だから、230部売れても売上69,000円と、初めから赤字である。

電子書籍なら経費ゼロで作れるのに、あえてコストがかかる紙媒体を選び、モノにこだわるところにドラマを感じる。

私がdk4130523氏を「お大尽」と思うのは、自分が「いい」と思った他人のエッセイを自腹で出すところに、古風な大人の道楽や気概を感じるからだ。

あと、この前書いた姪とレロレロを氏が気に入ってくれて、私を選考委員にしてくれたのだが、お金を出すのはお大尽なので私は協力するけど口出ししない、と思ったことを忘れないためである。

人はなぜブログを書くのか

例えば、心の暗がりについて書くとき、「そんなことはブログで全世界に公開することではない。日記帳に書いてだれにも見せるな」と批判する人がいる。
「ほめられたいからだろう」「さびしいからだろう」と批判する人もいる。

私も、このことについて悩むことがある。
なぜブログを書いて、だれかに読んでほしいと思うのだろう。
思ったことをありのまま書きたいのは、別に承認欲求からではない。だけど、この気持ちをうまく説明できない。

dk4130523氏は、このことについて鮮やかな答えをくれた。

もっと本質的に、なぜか。それは表現は読み手(読者)を必要とするからです。承認欲求? ちがう。そんなどうでもいい言葉が被せられる以前の自意識の風景の話を、おじさんはしている。そもそも対話というのは、1人ではできません。1人でやれたら、やり続けられたら精神に異常を来します。もっと端的にいうと、表現するのは、寂しいからです。そしてそれだって別にメンヘラじゃない。

しゃべるよりも、友達とわいわいがやがやするよりも、書いたものを通じてコミュニケーションをとるほうが、自分のこの部分には、自分によりよくフィットすると感じる種族が、いる。

面倒くさくていい(改題)

私は、書いたものをネットの海に投げることで、どこかにいるだろう、分かってくれるだれかと対話をしたいのかもしれない。

「純粋なよみもの」に光をあてる試み

さて、はてなブロガーの間で最も目立っているのは、「お金のためにブログをやっている人たち」のコミュニティだろう。
はてなブログを始めたばかりの人が、知り合いを作りたいと思ったら、たぶんそのコミュニティに入ることになる。

そこに入ると、ブログの価値をPVと収益でしか測れなくなってしまう。
つまり、「良いブログ=稼げるブログ」という価値観でしか、自分や他人のブログを見られなくなってしまう。

自分の心を吐き出した「純粋なよみもの」は、「稼ぐ」ことと相性が悪い。

まず、検索されない。
検索されるように、タイトルを工夫して文中にキーワードを盛り込むなどとやり始めた時点で、よみものとしての大事な何かを失ってしまう。

次に、拡散されにくい。
例えば、家族について書いた素朴なエッセイは、何らかの意外性がないと何百もブクマがつくことは考えにくい。

だから、優れた日記やらエッセイやらが、ブクマもあまり付かずに(=書いた本人にも、その文章が優れていることが分からない形で)、ネットの片隅でひっそり咲いているのをよく見る。

dk4130523氏は、人知れず咲いているその花をそっと集めてお披露目することで、もっと色とりどりの花が咲き乱れるような環境を作ろうとしている。

自分の信念のためにポンと金を出すなんて、まさにお大尽だ。
(もっといい単語ないかな……。パトロンとかだと月並みなんだな)

たぶん、著作権とか各ブロガーに払うお金とか(私はいらない)、はてなさんとの交渉とか、いろいろ大変だろうし何か言ってくる人もいるだろうけど、私はこの心意気だけで、氏を尊敬して無条件に協力しようと思う。

あと、氏の企画とは別に、私も純粋なよみものの良さを広めるために何かしたい。

それで、このブログでも月に1回、私がいいなと思ったブログのエッセイを紹介しようと思う(氏の企画とは、必ずしも連動せず)。
このブログのPVは多くないので、紹介する人へのPVの足しには全くならないと思うけど、大事なのは気持ちだ。
1月はあまりはてなを見ていなかったので、1・2月分を一緒に、3月中に紹介する予定。

はてなベストエッセイ集がボトルメールになるといい

だれの話か忘れたが、自費出版で出した本のうちの一冊を、海外のゲストハウスに置いてきたという話があった。
多くの人の手から手に渡って、感想を書いてもらって、最後には自分の元に帰ってくるように、メッセージを本に書いて。
そうしたら、本当に戻ってきたという話。

はてなベストエッセイ集を、あえて「紙」で出したいという氏の話を聞いて、この話を思い出した。

氏が書店を行脚して、一冊一冊地道に置いていく本。
売れるかどうかも分からない。
たまたま、はてななど全く知らない人が買って、読んだら案外面白かった。
検索すると、普通には流通していない本のようなので、他の人にも貸してみる……。

こんな風に、手紙を入れた瓶がどこかの海辺に流れ着くように、漂流していく本を思い浮かべた。

電子書籍ではない紙の本なら、人の手から手に渡るように、いろんな展開が考えられる。
ゲストハウスに置いたり、図書館に寄贈したり、老人ホームに置くのもいいかもしれない。
考えるのもまた道楽である。

お大尽はどんな人?

最後に、こんな面白い企画を考えたdk4130523氏はどんな人なのだろう。
氏が自分のブログなどで公開している情報を並べてみる。

  • 43歳独身バツイチ
  • 困った人に手作りごはんを食べさせるのが趣味
  • 猫のはなちゃん・くるみちゃんと暮らしていて、自分を「下僕」と呼んでいる
  • 猫のシェルターの活動を支援している
  • 離婚後も、元妻の姪を可愛がって、アップルパイを作って食べさせたりしている
  • 2chで知り合ったよよんくんを大切に思っていて、たまにお墓参りをしている
  • 1980年代のスポーツノンフィクションについてブログを書いているけど、最近は猫とご飯の話が多い
  • Twitterでは謎の猫語またはべらんめえ口調

なんか、氏自身が、小説の主人公になれそうだ。
スパゲッティを茹でていたら、電話がかかってきて、姪と猫とエッセイを探し求める旅が始まるとか。
いや、スパゲッティじゃなくてアップルパイか。

この企画に応募したい人、氏を応援したい人はこちらへどうぞ。
盛り上がり次第で、クラウドファンディングも可能になり、選択肢が広がるので、ぜひ応援ください。

お大尽のTwitter dk4130523.hatenablog.com

姪とレロレロ

家族と私

私には、生後3ヶ月の姪がいる。

私は2人姉妹の長女で、自分には子どもがいない。
姪は私の両親にとって、長い間待ちに待った初孫だった。

冬休みに、久しぶりに姪に会った。
姪は、私と両親の住む町から、特急電車で1時間ちょっとの町に住んでいる。

たぶん普通の人なら、毎週末に通える距離だろう。
でも、私には電車に乗ると強い不安が生じるという訳わからん持病があり、体調のよい時しか行けないのである。

2ヶ月ぶりに姪に会ったら、笑うようになっていた。

私は、何としても、姪の笑顔の写真をたくさん持ち帰りたいと思った。

姪に会えない間、両親と私は、繰り返し姪の写真を見ている。
LINEでビデオ通話もするが、そんなに長時間の通話もできない。
なので、こちらの都合でずっと眺めていられる何かを、滞在中に絶対手に入れたかった。

しかし、笑顔の写真を撮るのは難しい。

姪が笑顔になって、さあ撮ろうとカメラを向けると、とたんに普通の顔に戻ってしまう。
ちょうど滞在中に、声を出して笑うことを覚えた時期だったこともあり、かなり工夫しないと笑ってくれない。

定番のいないいないばあでも笑ってくれない。
試行錯誤した結果、高速で舌をレロレロと出し続けると、笑ってくれることを発見した。

たぶん、これまでそんな、良く言えばオーバーリアクション、普通に言えばアホみたいな表情をする人を見たことがなかったのだろう。
あんなに苦労したのに、いとも簡単に笑ってくれるのだ。

レロレロレロレロレロレロレロレロ……。
あーうー、あーうー。
レロレロレロレロレロレロレロレロ……。

途中の「あーうー」というのは、クーイングというやつである。
姪はまだ言葉は話せないが、姪の出すあーうーを真似て、目を見つめて同じ口の形と音程であーうーと返してやると、イルカの通信みたいに、無限にあーうーコミュニケーションができるのだ。

カメラを握りしめ、「○○たんー、レロレロレロレロ…、あーうー、あーうーー…」と、赤子に向かって舌を出し続け、シャッターを押しまくる中年独身女の姿は、さながら狂人である。

途中、スマホが勝手に起動し、「レロレロ」を音声検索した。

妹夫婦にも爆笑され、妹の旦那に「おねえ、頭大丈夫ですか」「おねえを動画に撮って、テレビに応募していいですか」と言われる始末である。

このように、自我も羞恥も捨てて無我の境地に至り、レロレロひとつで解脱に至りそうなほど精進した結果、いい写真がたくさん撮れた。
私は満足して、そろそろこの気狂いをやめようと思った。

だが、姪を見ると、私の口をじっと見ている。
そして、気のせいか舌をチロチロ出し始めている気がする。

あれ?
そう思った次の瞬間、姪は立て続けに舌を思いっきり出した。
レローン、レローン、レローン。

あれ、偶然かな?
なおも、姪は私を見て、舌を出し続ける。
レローン、レローン、レローン。

姪の舌が届く最大限の長さを目指して、大胆に舌を出し続ける。
いつもの、ちろっと可愛く舌を覗かせる動作とは、明らかに違う。

あっ、これ真似してるんだ。
思わず動画に収めてしまった。

「おねえ、まずいっすよ。はい、○○たん、だめだよー」

しまった。
姪に気狂いの境地を伝授してしまった。
もう真似ができるとは思っていなかったのである。

妹はけらけらと笑っていたが、妹の旦那は手慣れたもので、さっとほ乳瓶を加えさせた。
しばらく飲ませて、これで忘れてくれるかなと思ってほ乳瓶を外すと、私を見てレローンする。

「○○たん、だめだよー、お口の形が変になっちゃうよー。お風呂に入って、ねんねしようねー」

幸い、お風呂に入ったら忘れてくれたらしく、以降はレローンしなかった。
私は心配で、姪の視界に入らないところから(私を見ると思い出すので)、ずっと姪がレローンしないかはらはらしながら見守っていた。
これって変な影響とかないよね、とググり続けた。

* * *

次の日(今日)は、私が帰る日だった。

お別れの前に、しばし姪と遊んだ。
もうレロレロできないので、笑顔の口の形であーうーあーうーイルカ通信していたら、やっぱり少し覚えているのか、昨日レローンする前にやっていた、舌をチロチロする動きを繰り返す。

レロレロは? 今日はレロレロはやらないの?

そんなことを言いたげな口の動きで、レロレロを誘うのである。

ごめんね、もうレロレロは封印なんだよ。

私はそんな気持ちを込めて、悲しげに「あーうーー」とクーイングし、レロレロをやらないでいると、姪はちょっと不機嫌になって、不満げに「あーうー」と返してきた。

ごめんね、レロレロのことは忘れてね。
そう思いながら、すべすべした真っ白なほっぺたをなでて、自宅へと帰った。

* * *

帰りの特急電車の中で、何回も姪のレローン動画を見た。

明日には、姪はレローンを忘れてしまうだろう。

もし私が母親だったら、面白いからレローンを仕込んでしまったかもしれない。
現実の、レローンを忘れるだろう姪と、私だけの仮定の中の、レローンを忘れない姪。

姪は、すごい勢いで成長していく。
今日のあーうーと、明日のあーうーは違う。
やがて、あーうーも卒業していく。

この動画は、私の気狂いにあーうーしか言えない姪が答えてくれた、二度とは撮れない、一瞬の共犯の記録なのである。

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