ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

豊田真由子氏と「超エリート・準エリート」|人の上に立つ「器」

自民党の豊田真由子衆院議員が、秘書に暴言を吐いている音声を、デイリー新潮が公開し、ネット上に批判があふれた。

(ストレスに弱い人は聞かない方がよいです)
https://www.youtube.com/watch?v=Bc6UEvT9H_o

それに対し、桜蔭中・高、東大での同級生が、Facebookで豊田氏を擁護し、話題を集めた。
豊田真由子さんと私の関わり

上記についたはてなブックマーク上で、(私の)「感想を聞いてみたい」とリクエストをいただいたので、書いてみたい。

さて、これまで、私はTVなどでこの音声を聞かないように避けていた。
私は上司(男女ともに)にパワハラを受けたことがあり、そのことを思い出したくなかったからだ。

しかし、感想を書くため、意を決して音声を聞いた。
パワハラから数年たっているからか、一瞬気持ち悪くはなったが、何時間も残るほどではなかった。
さらに、下記の疑問が出るほど、心のゆとりを回復している自分に気づいた。

豊田氏は、この精神状態で、普通に仕事ができていたのか?

政治家は、前職の官僚よりも更にストレス負荷が高く、コントロール技術が必須である。
そういう面では、豊田氏は政治家には向いていなかったのかもしれない。

本人に心の余裕がないため、衝動的にパワハラを行う人

パワハラを行う人には、2種類のタイプがあるように思う。
「手段として、確信的に行う人」「本人に心の余裕がない結果、衝動的に行う人」だ。

豊田氏は後者のように思えるし、私にパワハラを行った女性上司もそうだった。

私の上司は、叱責を行うとき、いきなり机をバンッと叩いたり、椅子をガンッと蹴飛ばしたり、ヒステリーに怒鳴ったりした。

上司は慶應卒で、ガリガリと言っていいくらい細い人だった。
38キロという体重を誇り、標準体重くらいの人をよく「デブ」と罵っていた。
私は同期とお昼を食べたかったのだが許してもらえず、上司とお昼を食べていた(上司は他に食べる人がいなかった)。
上司は歩くのが異様に早く、一緒にお昼を買いに行くときに、目の前をカツカツとピンヒールを鳴らして歩き「早く」と急かされたことを、昨日のことのように思い出せる。
よく、叱責されながらお昼を食べたものだ。

しかし、私が異動でその上司から離れて2年後くらいに、上司はうつ病で会社を辞めてしまった。

上司は、学歴・体重・結婚などの分かりやすい指標で他人を評価し、何か足りない人をこき下ろしていた。

しかし、その評価は同時に、上司自身にも向けられていた。
上司はどうしても子どもが欲しかったようだが、なかなか授からなかった(そのことはとても気の毒だったと思う)。
「医者はもう少し太れって言うけど、デブにはなりたくないのよ。でも子どもは欲しい。子どもがいないと完璧になれないからね」
上司はいつも、分かりやすい指標における完璧を目指していた。

そうした余裕のなさが、私にパワハラとして向けられたのかもしれない。

「豊田氏は超エリートではなく、準エリート」という価値観

政治家などの公人や管理職などには、学歴・職歴などの分かりやすい指標とは全く別に、人の上に立つ「器」が必要だ。

豊田氏の経歴は、私立桜蔭中・高(女子御三家)から東大法学部、厚労省入省、ハーバード大大学院修了、衆院議員、文科大臣政務官など、華々しく見える。

しかし、住田裕子弁護士は、このようにコメントしている。

でも、私から言わせたら超エリートではなくて、準エリートぐらいの人ですね。厚労省に(同期は女性)1人ですけど、本当にそこに入りたかったのか、本当に福祉をやりたかったのか私は疑問です。その後の道のりを見ても、次官コースの超エリートではない。どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのではと、同じ東大だから思うんですけど。

引用:【豊田真由子議員の暴言】東大の先輩著名人は「超じゃない、準エリートぐらい」と指摘 高木美保氏らも持論

凡人から見れば、東大生は何でも同じに見えるが、文1~3・理1~3(または学部)の中で序列があり、浪人より現役、地方県立より開成などの私立というように、こと細かな序列がある。

就職後も、民間企業より官僚、同じ官僚でも省庁間の序列、同じ省庁でもポストや出世コースによる序列、うんぬんかんぬん、同じ東大卒なのに、ものすごく細かなカースト制の中で、一部の人は生きている(そうでない人もたくさんいる)。

住田弁護士が「(豊田氏は超エリートではないから)どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのでは」と言っているのは興味深い。
凡人から見れば華々しい経歴も、東大専用カースト制においては「準エリート」とみなされ、コンプレックスとなったのかもしれない。

そうした、他人の評価にもとづいた「超エリート」を目指す人が、その手段として、政治家や管理職といった「器」が必要なポジションにつくことは恐ろしい。

「超エリート」の経歴をへても、「器」が磨かれるとは必ずしも限らないからだ。

むしろ、「超エリート」の経歴にこだわること自体が、他人や自分への軽視につながり、「器」への弊害となることもある。

「超エリート」になるための受験勉強が、「器」への弊害となることもある

冒頭に戻って、桜蔭中・高、東大での同級生である田中絵里緒さんが、Facebookで豊田氏を擁護した件。

豊田真由子さんと私の関わり

はじめ、何の情報も入れずにこの文章を読んで、まとまりがないけど「おはなし」としては面白いと思った。

そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした。

頭がいい「だけ」の女性は評価されない。
モテて(こっちが先)、かつ、頭がよくないといけない。

豊田氏は厳しい家庭で育ち、親に背けない鬱屈を、一見奇妙に見えるエピソードの形で晴らしていたと、田中さんは言う。

大人になっても、その鬱屈を自然な形で解消する方法が身につかなかったから、今回の騒動につながったのではないか、と擁護しているように私は思った。

唐突に、東電OL殺人事件をモチーフにした桐野夏生「グロテスク」を思い出した。

厳しすぎる家庭で優等生として育った女性の中には、人生の後半で自分を制御できなくなる人がいる。
「グロテスク」の登場人物も、凡人がうらやむ経歴を持ちながら、売春によって女性としての価値を取り戻そうとした。

田中さんは、受験勉強のために子どもを厳しすぎる環境で育てると、ストレスを不自然な形で晴らすなどの弊害が出るため、よろしくない、と言いたいのだと思う。

「超エリート」になるための受験勉強が、むしろ、「器」への弊害となることもあるのだ。

「超エリート」と「準エリート」の違いを見るに、「超エリート」=「最短距離」ではないかと思う。

こうした価値観を持つ親にとって、大学入試に結びつかない、友達との遊びやクラブ活動、試行錯誤や回り道などは、全て「ムダ」に思えるのかもしれない。
だけど、人の上に立つ「器」は、そうした「ムダ」の中でのコミュニケーションや自己コントロールによって、磨かれるのではないか。

実際の人生はムダばかりで、最短距離の理想論では解決できない。
最短距離で走ることを目指した人ほど、「ムダ」に直面したときに、どうしてよいのか分からなくなるのではないか。

蛇足

言いたいことは終わりだが、書いておかないといけないことがある。

田中さんの文章は、あくまで「田中さんの記憶の中での豊田さん」であり、細かい点(たとえば、豊田氏の「ああ、あれでいいなら、あげるよ」との発言)の根拠にするべきではないと思う。

なぜなら、豊田氏はまず秘書への謝罪と、それができる精神状態の回復が先で、(仮に事実でない場合)田中さんに反論できるタイミングは、立場的におそらく無いだろうから。

最後に、豊田氏が行った、秘書への暴言と暴力については、(もし精神を病んでいるなら回復後に)謝罪が必要だと思う。

実際にパワハラを受けた身として、この記事は擁護記事ではなく、パワハラを行う個人の後ろに透けて見える、価値観や教育への問題提起である、と書いておきます。

東大女子を過労死させたり、京大専業主婦をもったいなくさせているのは日本社会
おじさんおばさんという人生の下り坂でも、楽に生きるために

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

「優れたコンテンツを無料で」という非常識がやりがい搾取につながる|とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話

漫画「とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話」を読んだので、感想を書きたい。

これは、2016年にネットで話題になった、新人漫画家(佐倉色さん)と出版社とのトラブルについて書かれたマンガだ。
トラブルの経緯は、このようになる。

  • 編集者が、佐倉さんにタダでカラー色紙1600枚を描かせる
  • 上記による忙しさや編集者のミスの連発で、心の余裕をなくした佐倉さんがTwitterで苦しさをつぶやき、トラブルが世に知られる
  • まとめサイトにトラブルを記事にされ、転載(サイト側の主張は引用)された画像の削除を佐倉さんがサイトに依頼、その後記事は削除

※このトラブルについては、担当編集者の個人的な資質も大きな要因ですが、今回はメインテーマにしていません

「契約書を交わさない」という出版社の「常識」

私は以前、出版社で編集者として働いていたことがある。
(といっても、かなり前のことなので、これは編集経験者の感想というより、単なる個人の感想として読んでほしい)

漫画以外の雑誌・書籍を担当していたので、この漫画を読んでとても驚いた。

漫画家はボランティアが多いと聞く
その上単行本を出すまで契約書を交わさない事が通例らしく
「信頼関係が契約書の代わりです」と言いつつ販促物は無償だわ
単行本にならないと生活できない原稿料なのに単行本が出ない事が多々あるわ
なにそのメンヘラヤ●ザ

私がいた出版社では、新規のライターさん等と取引を始めるときには、基本契約書を必ず交わしていた。
そして、小さな依頼でも、その都度、個別契約書を交わしていた。

また、無償で何かを依頼することなど絶対になく、(ほとんどないが)ページの都合などで急遽イラストなどが使えなくなっても、使わなかった分も料金を払っていた。

私がいた出版社が特別では、決してなかったと思う。
複数の出版社と取引があるスタッフさんから「御社はきちんとしてますね~、他社は……」と言われたことは特になかった。

たぶん、この出版社がおかしいのだと思う。

(この漫画について出版社側は完全スルーのようだが、たぶん秘密保持契約書を結んでいないから何もできないんだろう)

タダで仕事を依頼するのは「やりがい搾取」

ではなぜ、この出版社では、契約書を交わさないという「常識」が許されているのか?

これは、漫画編集者側に「出版社がデビューさせてやった」「出版社が仕事を与えてやっている」というおごりがあるからでは、と思う。

たとえば、作家や大学教授などに原稿を依頼するとき、「契約書はないです、信頼関係が契約書の代わりです(キリッ)」と言ったら、断られるだけでなく、Twitterなどでばらされてボコボコにされるだろう。

「(契約などを整えないと)優秀な書き手が他社に流れてしまう」という危機感がなく、「契約が不満で他社に行くならご自由に~(行けるもんならねっ)」というおごりが見える。

そこには、漫画家やライトノベル作家などになりたい人が多く、実際にデビューできるのは一握り、という背景も影響していると思う。

力関係が、出版社>>>>>新人漫画家で、対等の仕事相手(または基本的な契約が必要な一人の人間)とみなしていないのではと思えてしまう。

「好きを仕事にできるんだから、タダでもいいよねっ」という、やりがい搾取だ。

だれも新人漫画家を守ってくれない

さらに驚いたのは、作中で、このトラブルを記事にしたまとめサイトに、佐倉さん本人が連絡していることだ。

編集者が教えるまで、佐倉さんは記事について知らなかった。

それでなくてもここまで煽るような記者に
出版社側から記事の取り下げをお願いしたら
「出版社が事実を隠蔽」とか逆に書かれて騒ぎになる恐れがあるので…
でもですね…漫画家さんから…その…ご連絡するっていうのは…できますよ?

(作中の、編集者の言葉)

さて、新人漫画家がまとめサイトに(その意志がないのに)「商業撤退」と書かれたときは、「自分のブログなどで(サイト名は出さずに)商業撤退はしないことを淡々と否定し、コメントなどは完全スルー。サイトに連絡などしない」のがベストなのでは、と思う。

だから、編集者の言動には疑問を覚える。
記事の存在を知らせることなどせず、もし本人が気づいて何か言ってきたら、連絡しないように説得するべきだったと思う。
おそらく、「スタッフをトラブルから守る」という考えが全くなかったのだろう。

今回の漫画出版にあたって、まとめサイト側が反論している。
漫画『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』について、編集部の見解

この反論へのネットの反応を見て思うのは、「いつも佐倉さんが批判の矢面に立っている」ということだ。
仮に、編集者が連絡していたら、まとめサイト側に手厳しく反論されたのは出版社だったろうから。

契約書もなく、タダで色紙1600枚を描き、批判は全部個人で受ける。
新人漫画家って、こんなにつらい職業なのか。

正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?

こうした「やりがい搾取」が行われるのには、いまが「コンテンツが史上最も安い時代」であることも大いに関係するだろう。

たとえば、去年くらいから「ネットの情報はすべて正しいものであるべき(ただし無料で、広告もなしで!)」という意見をよく見る。

しかし、書籍編集をしていた身としては、「タダで正しい情報を提供することは難しい」と思う。

本の内容が正しいのは、「お金をかけているから」だ。

信頼できる著者に原稿依頼し、校正・校閲をかけ、有識者にも吟味してもらう。
全部、お金がかかっているのだ。
それでも、つぶし切れずにミスが出ることだってある。
そのくらい、正しい情報を提供するのは大変で、コストがかかることなのだ。

「正しい情報を無料で得たい」という人には、「正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?」と聞きたい。

(たまに、弁護士などの有識者が無料ブログをやっているが、あれは、本来は有料の情報を「好意で」無料公開してくれているだけだ)

コンテンツそのものにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツが生まれなくなる

しかも、経費だけでは、優れた情報は再生産されない。利益が絶対に必要だ。

新人漫画家にタダで色紙1600枚依頼するトラブルが起きたのは、

(業界全体で漫画が売れないから)販促費が取れない
→弱い立場の新人漫画家に、そのしわ寄せがいってしまっている

という構図もあると思う。

いま、出版物は売れない。
以前は存在しなかった、無料スマホゲーム(一部の重課金者が支えている)、無料で見られる違法アップロード動画などがライバルになっているのと、出版物自体が違法ダウンロードされていることも、大きな一因だろう。

「無料で楽しめる」ことが「常識」になっていて、コンテンツそのものにお金と敬意を払うことのハードルが、すごく上がってしまっているのだ。

この漫画を読んで、「コンテンツは無料で当然」という「常識」が、回り回って、コンテンツを作りたいと志望する弱い立場の人への「やりがい搾取」につながっているように思えた。

出版社側が、契約書という超基本的な体制を整えるのはいうまでもない。

だが、新人漫画家が、基本的なことさえ交渉できずに「やりがい搾取」されているのには、漫画が売れないという背景もあると思う。

もし、Twitterなどで個人営業して、自作の電子書籍をバンバン売る漫画家がたくさん現れたら、(よい書き手を確保するために)こうした体制も変わってくると思うのだ。

コンテンツにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツは生まれなくなっていく。

応援したい作家や漫画家などがいるなら、「お金を出してコンテンツを買う」ことが何よりの応援だと思う。

久々に寄稿を再開したので、お読みいただけるとうれしいです~
父親との確執のおはなしも書いています~

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妻が夫との行為を拒む理由|渡辺ペコ「1122」

おじさんおばさんという人生の下り坂でも、楽に生きるために

『なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。』という記事を読んだ。

私は、夫も子どもも定職もお金もない(わりと悲惨な)おばさんだが、それでも、若いときと今を比べると、今の方が生きやすい。

今日は、人生の下り坂でも楽に生きるには、「年をとるメリットに着目する」「年をとるデメリットにとらわれない」が必要なのでは、ということを考えたい。

年をとることのメリットに着目する

年をとることは、体力や容姿などのダウンといったデメリットが強調されやすいが、実際は、年とともにアップしていくものもあると思う。

年とともに上がる能力もある

たとえば私は、記憶力と体力以外は、今がいちばん総合的な能力が高いと思う。

特に、文章を書くことについては、(ボケなければ)死ぬ間際に書く最後の文章が私のピークだと確信している。
私は苦しめば苦しむほど文章が書けるタイプだ。
晩年はきっと苦しむだろうから、その時に自分がどんな文章を書くのか今から楽しみである。

自意識が薄まって楽になる

10代のときは、道ゆくすべての人が自分を見ているような感覚(実際にはそんなことない)に襲われたが、今ではそんな感覚があったことさえ思い出せない。
よくパジャマで近くのパン屋に行くくらい、自意識とか恥じらいとかがなくなった(それは悪いことでは…)。

自意識が薄まると、コミュニケーション能力が伸びる。
私は、大学時代はゼミで発言するのも恥ずかしいほど自意識過剰だったが、今はもう人の目などどうでもよく、人見知りもほとんどしない。

年をとると、自分が大した人間ではないことを自然に受けとめられるようになるので、その分楽になった。

一つの価値観に縛られなくなる

20代くらいだと、親や学校、会社で出合った価値観くらいしか知らないため、そこからはみ出ることが怖くなる。

でも、30代に入ると、世の中には努力だけでは必ずしもうまくいかないことがあることが分かってくる。

たとえば、望んでも子どもができないこともある。
授かっても流れてしまうこともある。
結婚すればだれでもすぐ自然に子どもができると思うだろうが、実はそんなことはなく、健康な子どもは、まさに授かりもので奇跡だと思う。
だから、30代になると(そういう話の流れにならない限り)女性に「お子さんいますか?」と聞いたりしなくなる。

一見幸せに見える人も、みなそれぞれの天国と地獄を生きていることが分かり、あまり人と自分とを比べなくなる。

知っている価値観の数が少ないと、そこからはみ出た人を攻撃しがちなので、挫折が多い人のほうがムダな縛りがなくなって、自分にも他人にもゆるゆると生きられるのかもしれない。

年をとるのが楽しみになるような趣味をもつ

(うろ覚えですまないが)マンガ「昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)」の何巻かで、落語家は70過ぎてからがピーク、みたいな表現があった。
俳句の入門書などにも、俳句は30年くらいやって、やっと違いが分かってくる、みたいな表現がある。

このように、年齢や経験を積んでこそ達する極みを実感でき、年をとるのが楽しみになるような趣味を持ちたい。

そして、他人と比べることなく、自分比で「○年前よりうまくなってる」と自らの成熟を楽しめるようになりたい。

年をとることのデメリットにとらわれない

ここまで「年をとることのメリットに着目する」について考えてきたが、人生の下り坂でも楽に生きるには、同時に「年をとることのデメリットにとらわれない」ことも必要になる。

悲しいけれど、年をとるにつれ不利になる事柄はある。
「体力」「容姿」「恋愛・結婚・出産」などだ。

たとえば、容姿。
自分の存在意義を「女はやっぱり顔とカラダ!」としてしまうと、年をとるにつれ辛くなるばかりだ。

自分で自分を評価するときに、大事だと思うポイントを、容姿などの年をとるとダウンする要素から、(たとえば気品などの)年をとるとアップする要素へと移していった方が生きやすくなるだろう。

また、容姿などはどうしてもピークだったとき(20代など)と比べてしまいがちだが、「3年前と比べて、そんなに変わってない~」くらいの方が楽に生きられる。

年齢制限内にできなかったことは、もう仕方がない

あと、年齢制限があること(出産など)が若いうちにできなかった場合は、けっこうつらい。
私は、若くて体力があるときに出産できなかったことが大きな心残りで、あきらめることはできているが、何かの折に涙目になってしまうことはある。

だが、残念ながら、若くて体力があったときは戻ってこない。

それなら、この思いは自分を苦しめるだけでムダなので、たとえ血の涙を流すほどつらくても、「あ~、もう、しかたないっ」と心の中の冷凍庫で凍結させるしかない。

出産しなくても、子どもと関われる方法はいろいろある。
老後に、子ども向けの寺子屋を開いて先生になってもいいし、里親制度だってある。
できなかったことを悔やむより、今からできることを前向きに考えていきたい。


おじさんおばさんになっても、まだ人生は半分くらい残っている(ラッキーな場合)。

田舎の小さな図書館にある本でさえ、一生かかっても読みきれない。
未体験のエンターテイメントはいくらでもある。

私がおばあさんになるころは、氷河期世代の孤独老人が大量に発生して、社会問題になっているだろう。
でも私は、おばあさんだらけのシェアハウスを作るなど、自分ができる範囲のことをしたい。
おばあさんだらけのシェアハウスで、そのときの最新技術(なんだかわからないが)の勉強会を開いたりするんだ。楽しそうでしょ。

年をとることのデメリットや恐ろしさより、メリットと、今日も生きていられる喜びと感謝に目を向けて、生きられる限りは前向きに生きたい。
(いつもネガティブな私だからこそポジティブに書いた)

冬の体調不良を乗りこえて、久々に寄稿を再開したので、できたら読んでください~
父親との確執のおはなしも書いています~

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※これは、ぱっとしないおばさんが思った、単なる個人的な感想です。お金があるか、子どもがいるかなどで、考え方はかなり変わってくると思います。

妻が夫との行為を拒む理由|渡辺ペコ「1122」

新刊マンガ、渡辺ペコ「1122」(いいふうふ)1巻は、結婚7年目の仲良し・子なし・セックスレス夫婦が「婚外恋愛許可制(公認不倫)」を選択したという話。

とても面白いのだが、連載中のため、どこまであらすじにふれていいか分からないので、「1122」を読んで私が連想したことを書きたい。


日本家族計画協会「男女の生活と意識に関する調査」によると、セックスレス夫婦の割合は全体の47.2%(2016年)で、夫の理由は「仕事で疲れている」「家族のように思える」「出産後何となく」、妻の理由は「面倒くさい」「出産後何となく」「仕事で疲れている」である。

女性にとって、自身の性欲(以下『欲求』)が強いか弱いかで、結婚の意味は全くちがってくると思う。

私の観測範囲では、男性よりも欲求が強い女性もいれば、全く欲求がない女性もいて、個人差が激しい。
どっちが多いのかは分からない。

妻側の理由1位は「面倒くさい」だが、ここに隠されている、言語化できない本当の理由について考えてみる。

男性が求めるタイミングに合わせて、欲求を出せない

私は20代のとき、朝も昼も夜も土日も盆も年末も働いていた。
そのため、もともと欲求が弱いこともあり、疲れていて、恋人と会っているときに、タイミングよく欲求を出せないことで悩んでいた。

欲求は弱いけど、ないわけではないのだ。
だから、たまに土日に仕事がなかったとき、土曜日は一日寝て、日曜日の午前中に長風呂して、からだがあったまってひとごこちついたときに、「あれ、ずっと忘れてたけど、なんかもやもやするかも…」という気持ちになることはあった。

でも、恋人と会っているときに、その状態をタイミングよく出せないのである。
疲れを取って、一人でリラックスして…、というステップを踏んで、やっとぽわんと出てくる(そしてすぐ消える)ものだった。

働く主婦は忙しすぎる。
現在の労働環境は、男性の体力を基準にして設計されているので、週5日×8時間の定時上がりでも、女性の体力的にはけっこうつらい。
その上、帰っても家事やら姑やら、子どもがいれば育児やら、ずっと動きっぱなしで、リラックスできるのっていつなのと思う。
それで、疲れて布団に入って、タイミングよく欲求を出せるかというと、私だったら絶対無理なんである。

10代でタブーだったものを、妊娠適齢期にいきなり出せない

また、女性は10代のときに、(妊娠しないように)自身の欲求に「気づく」ことを厳しく禁じられていることも、大きな影響を与えていると思う。

そのため、欲求が弱いと、自分の欲求を肯定的にとらえ、そういう行為が楽しく後ろめたくないものだと再認識することが難しい。

だから、妊娠適齢期になったからといって、今までタブーだったものを、男性が求めるタイミングに合わせてパッと出せるかというと、欲求が弱い場合は無理なんである。

特に、現代的な暮らしにおいて、「動物」にならないとできないことって、性行為だけだと思う。
欲求が弱いと、その恥ずかしさや後ろめたさ、非日常感(いつもの自分を失うこと)を乗りこえられない。

さっきまでマンションのローンだの子どもの保育園道具に名前づけが必要だのという話をしていて、明日は5時に起きてお弁当を作らないといけない。
そのあいだの細切れ時間に、いきなり動物になって非日常に「切りかえ」できるかというと、私だったら無理なんである。

「○歳までに妊娠しないと」という脅し

さて、欲求が弱い女性も、そういう行為に向き合うことを必要とされるタイミングがある。
妊娠・出産である。

「1122」の中に、こんなシーンがある。

「まだってあなたそろそろ急がないと」
「産んで子宮を使わないと」
「女性のエネルギーは陰に傾くのよ」

そういう欲求が弱い女性の10~30代を、時系列でみるとこうなる気がする。

10代~20代前半:「セックスしちゃダメ」
20代後半~  :「疲れてセックスできない」
30代~    :「妊娠のためにセックスしないと!」

妊娠適齢期であろう20代前半は、大学生~社会人3年目くらいにあたり、出産するのは難しい。

大学生のときは、親に禁止される。
社会人になりたてのときは、会社に禁止される。
20代後半は仕事が忙しく、あっという間に30代になり、「羊水腐ってる」(実際は腐らない)「なんで20代で産まなかったの?」と言われるようになる。

女性にとって、性行為というのは、単体での良さを語られる場がほとんどないと思う。
若いころは禁止、適齢期を過ぎると(それまでに産めていなければ)脅しや自己否定という、マイナスな感情とセットになっている気がする。

性行為自体がよいものだと知らずに死んでいく女性は、それなりにいるんではないかな、私もだけど。


こうしたいろんな事情が言語化できなくて、夫婦間の営みがない妻側の理由1位が「面倒くさい」になっているのではないかと思う。

これはあくまで、欲求が弱い私の推察なので、欲求が強い女性の意見も聞いてみたい。
たぶん、そういう欲求が強いか弱いかで、全くちがう気がする。


「1122」の主人公・いちこ(35歳)も、性欲は「凪」(無風=なし)のようであり、1年くらいしていない。
夫をだれより信頼しているのに、いや、信頼しているから、「婚外恋愛許可制」をとっている。
いちこは「セックスくらいいいじゃん」(行為がなくても関係や信頼はゆるがない)と思っても、夫はそうではなく、体のつながりを外注している相手に夢中になっていく。

他にも、いちこの毒親や、夫の(ダブル)不倫相手が抱える事情(子どもの発達遅延やDVがありそうな夫)など、今後の展開から目を離せない。
(小ネタだけど、発言小町とはてな匿名ダイアリーも出てくるよ)

1122(1) (モーニング KC)

1122(1) (モーニング KC)

息してるだけで月6万円かかる女を降りたい

「他人や政治のせいにするな!」|成功者は、自らに運があったことに気づかない

最近、本田圭佑選手の、自殺に対するツイートが炎上した。

「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!! 生きていることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やっていることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな! 成長に囚われろ!」

本田選手は既に、ツイートの文意を補足済みである。

メッセージとして伝えたかったのは「死なないでほしい」、「生きていればいつか良いことがある」、「良しとする基準は自分が作ればいい」、「出来ることを見つけて少しずつ進んでほしい」ということなんです。

さて、若い人に死なないでほしいなら、「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」ではなく、「自分のせいにするな!」とアドバイスした方が効果的だ。

しかし今日は、だれよりも努力しただろう本田選手が、なぜ「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったかを推察してみたい。

成功=能力+気力+運

成功するためには、「能力+気力+運」が必要だと思う。

気力には、いわゆる気合や根性、精神力などを含める。

たとえば、「能力+気力+運=100以上」で成功する、という式があったとする。

成功=能力+気力+運

AさんとBさんは、能力と気力の初期値は同じだったが、運だけがちがった。

具体的には、Aさんは金持ちの家に生まれ、Bさんは貧しい家に生まれた。
Aさんは、能力や気力を伸ばせる環境に恵まれたが、Bさんは教育を受けるお金がなかった。

結果、Aさんは成功し、Bさんは失敗した。

成功した人は、自分には運があったことに気づかない、または忘れてしまう。
そして、自分は能力と気力だけで成功した(成功者バイアス)、と思いこんでしまう。

そして、AさんがBさんに、「成功できなかったのは、能力と気力が足りないからだ」と言う図式が生まれる。
本当は、能力と気力は同じ値だったのに。

なぜ成功者は「気力」を強調するのか

先ほどのBさんの例のように、成功するには「運」が最も必要だと、私は思う。

だが、成功者は「気力」の大切さばかりを強調する傾向がある。
ブラック企業にありがちな、「気力があれば何でもできるっ!」ってやつだ。

その理由は、2つあると思う。

  • 能力・気力・運の中では、気力のコントロールが一番簡単なように「見える」から
  • 気力を強調すると、他人を責めるのが簡単だから

能力と運は、自分でコントロールするのが難しい。
対して、気力は自分でコントロールできるように「見える」。

「能力がない」「運がない」と他人を責めても、対処法が少ないのでムダだ。
対して、気力は無制限なように「見える」ので、「気力がないから成功しない」と他人を責めるのが簡単だ。

なぜ、他人や政治のせいにしてはいけないと思われているか

さて、だれよりも努力した、つまり気力を発揮したであろう本田選手が、なぜ「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったのかを推察してみる。

成功には、ある程度の気力(=努力し続ける、集中し続ける)が必要だ。

たとえば、出世に必要な気力を100とする。
途中で、「社畜にならないと出世できない日本は嫌だ!」と批判に熱中したら、そちらに気力が逃げてしまって、気力が100に足りずに失敗してしまう。

だから成功者は、「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」(=そんな暇があったら集中しろ)と言いたくなるのだろう。

しかし、気合や集中は、諸刃の剣である。

確かに、「あること」を成しとげるのには盲目的な集中が必要だが、そうすると、「あること」が持つ問題点に気づきにくくなる。
結果、働きすぎの問題点に気づかないまま、集中して働いて廃人になる事態が、日本各地で起こっているのだと思う。

だから、そのカラクリを知っているブラック企業経営者が、「気力で何でも乗りきれる、そうじゃないならまだ気力が足りない」と言うのだろう。

実際には、気力は無制限ではない

気力は、自分でコントロールできて無制限に出せる、と思われがちだが、実際にはそんなことはないと思う。

能力と同じで、生まれつき持つ気力の量は、一人ひとり違う。
能力とは違って、一度使い切ると回復は大変だ。

私は、20代のときに過労で病気になったが、そのときに一生分の気力を使い切ったのではないかと思っている。
普通の人には何の苦もない週40時間が、私の気力ではギリギリで、休日は何もできない(だからブログの記事も人より少ない)。

自分に運がないことを嘆くなら、だれも傷つけない

本田選手が「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったように、自分の苦境を何かのせいにするのは、なぜか非常に嫌われる行為である。

それは、非正規雇用が増加した小泉・竹中政権から定着してしまった「自己責任」という言葉のせいだ。
「非正規雇用になったのは自己責任」というやつである。

自殺したいほど自分を責めている人は、「自分が苦しいのは、運がなかったせいだ」と思ってほしい。

実際、非正規雇用で苦しむ氷河期世代と、人手不足で引く手あまたの20代前半と、生まれた時代が良いか悪いかの「運」以外に何が違うのか?

苦しみを吐き出さずに、何のせいにすることもできず、自分を責めてばかりでは、もう死ぬしかない。
自分に運がないことを嘆くなら、他人のせいにするわけでもなく、だれも傷つけない。

そして、運は一定ではない。
ささいなことで好転するし、これからだって何が起こるか分からない。
だから、たとえ他人からみっともないと言われても、苦しみを吐き出して、生き抜いてほしい。

逃げたい人に「それは甘え」と言うより「短所をスルーできる戦略を考えよう」と言いたい

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