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一橋を出てニートになりました

元編集者。過労で退職→ニート→派遣の人生経験をもとに、主に労働問題について書いています。

NHK貧困女子高生は「美しい国」が生み出した

貧困

(前回:NHK貧困女子高生がヤラセなのかを冷静に検証する

NHK貧困女子高生問題で、「○○を買わなければ、進学できるはず」と、未成年のお金の使い方を叩く人々がいる。
だが、その苛烈さを、国のお金の使い方に向けたことがあるだろうか。

少女が食べた1000円のランチについて、「俺の方が貧しい」と競い合う人々。
あなたの貧しさは、「美しい国」が生み出したものかもしれないのに。

子どもの貧困率は、国内の政策によって増加している

「子どもの貧困率は、世界的な経済状況よりも、国内の政策という人為的かつ意図的なものに左右される度合いの方がはるかに大きい」と、「子どもの貧困」の著者である阿部彩氏は言っている。

子どもの貧困率:再分配前と再分配後
(出典:日本教育会館「相談室だより2009」より引用・上下の文章も)

再分配前:所得
再分配後:再分配前ー(税金+社会保険料)+社会保障給付

再分配前の日本の貧困率は、それほど高くない。
だが、他の国が再分配後にグッと貧困率が下がっているなか、日本だけが増加している。

この図の衝撃的なところは、日本が、OECD諸国の中で、唯一、再分配後の貧困率が再分配前の貧困率を上回っている国であることである。つまり、日本の再分配政策は、子どもの貧困率を削減するどころか、逆に、増加させてしまっているのである。

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

親の年収・学歴と子の学力は比例する

日本は、建前上は平等な国である。
家が貧乏でも、成り上がるチャンスはある、確かに。

だが実際は、親の年収・学歴が低いほど、子の学力も低い、という残酷なデータが出ている。

世帯収入と学力の関係
(出典:お茶の水女子大学「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」のデータをもとに筆者がグラフ作成)

赤は親の世帯収入が200万以下の子どもの正答率、青は1500万以上である。
はっきりと点差が分かる。
ここでは引用しないが、親の学歴と子の学力も比例している(上記調査より)。

日本の高等教育の私費負担は、世界で2番目に高い

上記の調査は、小学・中学の学力が対象となっていたが、親の年収と学歴が本格的に比例するのは高校からだと私は思う。
なぜなら、日本の高等教育の私費負担の割合は、世界で2番目に高いからだ。


出典:OECD"Education at a Glance 2015"のデータをもとに筆者がグラフ作成

日本の、高等教育に対する支出の私費負担の割合(赤)は65.7%であり、これはOECD平均の30.3%の2倍以上である。
サンダースが「公立大学の学費無料化」「奨学金ローン対策」で若者から圧倒的な支持を集めるほどひどい状況のアメリカよりも高い。

実際、子どもがほしい年齢層の氷河期世代が、最も気になるのは子どもの教育費だろう。

一般的には「子どもにかかる教育費は、1人1000万円以上」というのが定説になっている。教育費の記事では脅し文句といってもいい。しかし、文部科学省の「平成24年度 子供の学習費調査」と日本学生支援機構の「平成24年度 学生生活調査」によると、幼稚園から大学まで全部公立で769万円、全部私立なら2205万円かかる計算になるので、あながちウソというわけでもない。

PRESIDENT Online「子どもの教育費、最低限でいくらかかるのか」

 

小泉内閣の規制緩和をうけ、氷河期世代の非正規雇用は2015年時点で150万人(既婚女性を除く)。
国税庁の平成26年度「民間給与実態統計調査」によると、非正規雇用者の平均年収は男性222万、女性147万5千円である。
彼らは、子ども1人あたり1,000万円を捻出できるだろうか。悲しいけれど難しいだろう。

氷河期世代は劣っていたのではない。受験競争は下の世代より熾烈だった。生まれた時代が悪かっただけだ。
こうして、能力とは関係なく、運の悪さから生まれた格差は引き継がれて連鎖する。

奨学金は「支援」か

片山氏は「経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!」というが、その奨学金についてOECDが述べたコメントを紹介する。

多くのOECD加盟国には学生の学費負担をサポートする学生支援制度があるが、日本は制度の設備が比較的遅れている。日本では、成績は優秀だが学費を負担するのが難しい一部の学生は、授業料や入学金の減額や全額免除の恩恵を受けることができる。しかし、大半の学生とその家族は重い資金負担を迫られる。日本の高等教育機関の学生は民間ローンより低利の公的貸与補助の恩恵を受けることができるが、卒業時に多額の債務を課すこれらの貸与補助を利用している学生は38%のみである。

「図表でみる教育2015年版:OECDインディケータ」

 

「多額の債務」。
「支援」にふさわしい良い制度なら、利用率が38%ということはないだろう。

私の家も貧困ではないがお金がないので、奨学金を借りた。そして、いまだに返し続けている。
私は就職後、過労で倒れて引きこもりになった時期がある。
貯金を崩して実家に入れ、実家で暮らしていたが、毎月の奨学金の返済には気が重くなった。
貯金は日々減っていく。病気が治るきざしも見えない。奨学金の返済は終わるのだろうか、と。

奨学金の返済を3ヶ月以上延滞すると、個人信用情報機関に個人情報が登録される(日本学生支援機構のサイトより)。
すると、クレジットカードなどが作れなくなる。
この対応からいっても、奨学金は支援ではなく、借金である。
18歳にして、返済に十何年もかかる「多額の債務」を国が背負わせるのだ。

弱者を「正しくない」と排除して作る「美しい国」

片山氏は、なぜ貧困少女について言及したのだろう?
私はひねくれ者なので、今後、日本の国策によって、貧困や格差で苦しいと主張する人が続出することを予想して、「主張する貧困者は『正しい』貧困者ではない。もしくはヤラセである」と印象づけたいためかと思ってしまう。
それには、こうした政策も関係しているだろう。

介護保険の福祉用具レンタル 全額自己負担方針に悲鳴

消費税率の引上げ分は、全額、社会保障の充実と安定化に使われるといっていたのに、実際は、社会保障がどんどん削られていく。
一方、防衛費は過去最大レベルである。
日本にはサンダースはいない。片山さつきしかいない。

冒頭のデータは、2000年中頃の数値だった。
現在そして今後、再分配政策はもっともっと貧困率を増加させていくだろう。

美しい国日本。
私には、「汚い」「正しくない」弱者を見えなくして、貧困や障害や病気などの「欠陥のない」「正しく最短距離を生きる」強者だけの美しい国を作りたいように思える。
弱者はいないものとされる。「正しくない」と言われて、声も出せない。

美しい国の下には修羅がある。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような地獄。
ある弱者に、支援という蜘蛛の糸が差しのべられそうになると、弱者どうしで「俺の方が苦しい」「その程度の苦しみは正しくない」「お前は正しい弱者ではない」と、糸から引きずり落とそうとする。
結果、支援自体がなくなってしまう。弱者どうしで助け合って、蜘蛛の糸を太くしていくことができない。
弱者は、地獄を作った強者には気づかず、強者は責められることはない。
弱者には地獄、強者には天国の、美しい国日本。

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NHK貧困女子高生がヤラセなのかを冷静に検証する

貧困 ネット上の事象

NHKがニュースで扱った貧困女子高生が、実は貧困ではなく、NHKはやらせ・捏造を行ったのではないか、という疑惑が話題だ。
ここでは、そもそもNHKはやらせという意図を持っていたのかを、冷静に検証したい。

この番組は、ニュース内の1コーナー(4分程度)だった。
ニュースの内容は、一言でいうと「貧困の現状を知ってもらうため、『かながわ子どもの貧困対策会議』が開いた講演会で、少女がスピーチをした」、それだけである。

では、その講演会はなぜ企画されたのか。

まず、神奈川県が設置した会議「かながわ子どもの貧困対策会議」の議事録を見たい。
(なお、会議を設置した目的は、設置要綱より「神奈川県の子どもの貧困対策に高校生や大学生、支援者の視点を反映させるため」である)

議事録から、この講演会の目的が分かるくだりを引用する。
(この会議には、大人の有識者数名に加えて、高校生代表と大学生代表が1名づつ、子ども部会委員の高校生が3人参加している。その中に少女もいる)

(大学生代表委員)
提案の一つ目が講演会の企画と開催。これは子どもの貧困に対する誤った認識などを正しく理解してもらうために、高校生や学校の教員、私としては特に学校の教員に知って欲しいと思っております。

(中略)

(高校生代表委員)※少女かは不明
私は高校生で、私立高校に通っていますが、身の周りにあまり日本の子どもの貧困について知識がない、見たことがないという友人が多い。このような講演会や会議を開くことによって、子どもの貧困、日本にも子どもの貧困があるんだということを気づくきっかけにもなると思うので、マイナスなイメージを持つということよりも、まず知ることから子どもの貧困について始めるべきだと思います。

(中略)

(赤間委員)
(中略)そしてなによりも、自分の置かれている立場を知らない子たちも、たくさんいると思います。 例えば、部活の遠征に行けない、給食費が払えないとか、そういった生活がずっと続いているから、それが当たり前だと思っている。それをあえて困窮しているなんて認識はないです。児童養護施設の利用者のなかでも、回転寿司に初めて行って、どう取っていいか分からない子たちもいます。
そのため、今置かれている生活が基準で、本当に困窮していることが分かっていない子たちが当事者たちにいること。そして、一生懸命勇気を出して、私たちはこういうことで我慢していたんだというメッセージを伝えることによって気づいていない子どもが共感していくことが必要ではないかと思います。
(太字は筆者)

つまり、この講演会は、こんな目的で行われた。

  • 子どもの貧困を正しく理解してもらうため
  • 身近に子どもの貧困があることに気づいてもらうため
  • 自らが貧困だと気づいていない子どもに、講演会のスピーチをきっかけに意識を持ってもらい、交流・相談会への参加につなげる
  • 高校生や学校の教員が対象

この2・3番目を受けて、少女から下記のような言葉が出たのだと思う。

家にはパソコンがなかった。学校の授業ではうまく扱えず、付いていけない。中学校時代には塾に行けなかった。その都度、母や先生に助けられて乗り越えてきた。だが自分は「貧困」に当てはまるのかもしれないー。フォーラムの準備を進める部会に参加して、初めて感じた。

貧困問う青年の主張 県対策会議に高校生ら|カナコロ(神奈川新聞)

つまり少女は、自分が貧困だと今まで気づいていなかったが、この講演会の準備活動を通して自覚した。
(これは、少女が貧困ではなかったという意味では決してない)

この講演会のねらいは、高校生や教員に、貧困が「人ごとではない」と気づかせることである。
少女も、委員としての活動を通して、貧困を自分の身にひきつけて考えたとき、初めて自分が貧困であることに気づいたのだろう。

NHKはヤラセを行ったのか?

結論としては、NHKは「貧困は身近なものであると気づかせるための講演会で、少女がスピーチした」というニュースを伝えただけであり、やらせや捏造を行ったとはいえない。
講演会はNHKが企画したものではなく、少女もNHKが用意したわけではないからだ。

だが、NHKの報道のしかたには、下記の問題がある。

  • 名前と顔を出す必要はない(Xさん等の無関係なイニシャルと、首から下だけの映像でよい)
  • 冷房がわりに保冷剤を使ったり、パソコン練習用にキーボードだけ買ったというエピソードは、たとえスピーチの中にあっても、取り上げる必要はない
  • エピソードを紹介することで、少女を「コンテンツ」として消費するのではなく、この講演会のねらいや貧困が起こる背景の方をより説明するべき
  • たとえ捏造でなくとも、自社の報道で少女の家に他人が押し寄せるほどの騒ぎになっているのだから、何らかの説明をするべき

さらに、神奈川県と「かながわ子どもの貧困対策会議」も、県と会議が主催した講演会のために、未成年がこれほどのネットリンチの被害を受けているのだから、マスコミを通して何らかの説明と対策をするべきだ。

疑問なのは、なぜか神奈川県のサイトには、講演会のための会議の議事録はあるのに、実際の講演会のページがない。
詳細は分からないが、県と会議が少女に配慮していることが伝わるような、対策ページを至急作るべきだ。

今は少女ひとりが矢面に立っていて、会議の議事録にあった、貧困である子どもへの配慮の言葉がむなしく響く。

心配されるのは、やはりみんなが強い人間ではない。強くない人間を無理に前に出してくると挫ける。どうやってその足元を固めてあげられるか。一緒に寄り添ってあげられるか。

最後に、少女は貧困なのか? どこかの議員が言ったように「嘘つき」なのか?
これについては、お金がなくて進学ができない、この1点だけで絶対的に貧困である
その理由は、下記で説明する。

続き:NHK貧困女子高生は「美しい国」が生み出した
※日本は、子どもの貧困率を国策が増加させている唯一の国(OECD内)ということを知ってほしいので、拡散していただけるとありがたいです。

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性行為は愛と暴力どちらに基づくか

女性 書評

コンビニの成人コーナーに並ぶ雑誌と、リアルな性行為、そして少女マンガ。
私にとって、この3つの間には埋められない溝がある。

私は、夢見がちな子どもだった。
童話に出てくるような、みんなが優しくて、悪い人がいない世界が大好きだった。
今でも、残念なことにそれは変わっていない。
くまモンやひこにゃんには「中の人」がいて、時給制(安いことが多い)で働いていることは分かっているのに、それには目をつぶり、くまモンがやんちゃでいたずら好きな実在するクマの子と思い込んで、「くまモンかわいい…」とか言っているのだ(きもちわるい)。

また、「花とゆめ」で連載していた「ぼくの地球を守って」というマンガが好きだった。
あらすじは省くが、テーマの一つに「輪廻転生」がある。
主人公の二人は「前世は恋人どうし」。私はその「特別な絆」に憧れた。
たぶん、互いが互いのオンリーワンで、それを裏づける前世という運命(さだめ)が好きだったのだろう(あほだから)。
主人公の課題の一つに「前世の束縛から自由になること」があるが、最終的に二人は、前世の絆をも超えて、現世を生きる互いの意志で再びお互いを選びなおす。

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

他にも、「赤毛のアン」のアンとダイアナのように、互いが互いの一番の親友みたいな設定にめちゃくちゃ憧れた。
友情は、恋愛のように欲望(性欲)を介することなく、好意と信頼だけでつながることができる。
親友は、プラトニック関係の最高位であり、これは今も憧れたままだ。

さて、そんな私も、小学校高学年のときに性教育の授業を受けた。
生理のくだりは、「股から血が出る」ことが衝撃で覚えているが、性行為のくだりは全く覚えていない。
たぶん理解できなかったのだろう。
なにしろ、「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」と本気で思っていたのだから。

そして、「コンビニの成人コーナー的」な、男性が描く性行為に出あったのは、中学生のころだ。
それは、父の本棚にあった西村寿行だった。

西村氏は、バイオレンス小説をメインに幅広い作品を書く人気作家で、おもしろい小説も多い。
だから、批判したいのでも、表現の自由を狭めたいのでもない。
だが、私のような夢見がちな子どもの性教育の教材としては、最悪だった。

西村氏による行為の描写は独特だ。
男性の象徴、ここではその音読みから「だいこんさま」と呼ぼう。

西村氏の世界では、女性は皆、行為を拒んでいても「だいこんさま」を入れられた途端に豹変する。
入れられたら最後、「だいこんさま~」「だいこんさま~おめぐみを」と神のようにあがめたて、だいこんさまを求めるようになる。
「入れたもの勝ち」「だいこんさまこそ正義」の世界である。
西日がまぶしい部屋で、黒い喪服からのぞく真っ白な水蜜桃を、だいこんさまが背後から責め立てる話があった。
その女性は喪中で、亡き夫を心から愛していたのに、大嫌いな男性のだいこんさまで狂ってしまう。

だいこんさまの行為には、その女性である必然性はない。
だいこんさまの怒りがおさまれば、誰でもいいのだ。
さらに言うと、男性にすら、その男性である必然性はない。
人間ではなく、だいこんさまが主体なのだから。
そこにあるのは、暴力と支配とむき出しの欲望だけ。

夢見がちなお子さまだった私は、衝撃を受けた。
それまで行為の詳細を知らなかったのに、毎月血が出る部分にだいこんさまを入れられることが、コウノトリの真実とは。
しかも、それを行うと「だいこんさま~」と狂ってしまうらしい。
そしてその行為は、愛情ではなく暴力によって成立するらしい。
「互いが互いのオンリーワン」という必然性は、出る幕もないのだ。

少女マンガは、100%の愛(または虚構)で成りたっている。
コンビニの成人コーナーは、100%の暴力で成りたっている。
リアルな性行為は、何%かの愛と何%かの暴力、何%かのそれ以外で成りたっている。割合は、人によってちがう。
大人になってリアルを知った今も、私はこの3つの間の溝を埋められていないようだ。

実際、性行為は愛と暴力、どちらに多く基づいているのだろう?

愛がメインの性行為を体験できる人は、結婚できない男女が増えつつある今、おそらく少数派だろう。
恋人や配偶者がいても、必ずしも体験できるとは限らない。
私が思う「恋愛エリート」は、多くの人にモテる人ではなく、愛100%の性行為ができる特別な相手と出逢える人だ。
そしてそれは、普通のエリートになるよりも難しい。

対して、暴力がメインの性行為は、相手がいなくても、コンビニの成人コーナー的なもので疑似体験できる。
「入れたもの勝ち」「だいこんさまこそ正義」、つまり、最初が強姦でも和姦になれば無罪、和姦にできる性能を持つだいこんさまこそ正義、といった価値観も、ネットや事件でたびたび目にする。
えらい人でも普通の人でも、だいこんさまに振り回されて一生をダメにする人はたくさんいる。
「体験しやすさ」「思い込みやすさ」から言えば、愛<<<暴力であり、多数派はこちらなのかもしれない。

暴力に屈せず、性行為は100%愛に基づくべき、と言いたい。
でも、男性の衝動は分からない。
「私にとっての真実」「あなたにとっての真実」は、愛と暴力どちらに基づいているのだろうか?

*出てくる作品については、あえて、子どものころ私がうけた印象(つまり、子どもだった私にとっての真実)だけで書いているので、いろいろ違っていたらすみません

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