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ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

ボケのため母が仕事を辞めたことで

家族と私

考えが全く整理できていないが、12~2月に起こったことをザーッと書いていく。

12月に実家を出て一人暮らしを始めた

(これは、母が仕事を辞めることになる前の出来事である)
ここ2年くらい実家で両親と暮らしていたが、12月に一人暮らしを始めた。

  • 給料の半分を実家に入れていたが、父と意見が衝突すると「ここは俺の家だ」と言われて意見が全く通らない
  • 父が酒を飲んで夜遅く帰ってくるたびに怒った母とケンカになり、それを見るのが嫌

が主な理由(幼稚すぎて笑えるだろう)だが、実際一番大きいのは、

  • 父母がトイレの水を2~3回に1回しか流さないこと/風呂の水を2~3日に1回しか換えないこと
  • 父がトイレの戸を開けたまま用を足す音/父が朝、痰を切る音(ガラゴロガラゴロカーーーーーッ、ペッという地響きのような爆音)

が生理的に無理

という、これまた幼稚な理由であった。

父と意見が衝突した時に意見が通らない、というのは、母が少しボケてきているのではという思いがあり、「病院に連れて行った方がいい」と主張する私と、「夫婦の問題だからお前は口出しするな」という父との間で、ずっと揉めていたのである。

それを筆頭に、「母とケンカにならないよう、飲み会の時はもっと早く帰ってきてほしい」とか、(書くのもバカバカしいが)「トイレの水を毎回流してほしい」とか「トイレの戸を閉めて用を足してほしい」とかも、「ここは俺の家だからお前は口出しするな」と言われて全く聞き入れてもらえない。

「ここは俺の家だ」、確かにそうなんである。
なんか戦前の家みたいだが、私が子どもの頃から父は圧倒的な「家長」であり、給料の半分を家に入れているとはいえ、私は居候である。

なので、「一緒に暮らしているのだから、私の意見も聞いてほしい」と主張したり、父が出す音を聞きたくなくて耳栓をしたり、耳栓をする自分に自己嫌悪したりするのもアホらしくなってきたので、一人暮らしを始めた。
12月時点で、母は少しボケてきているように思えたが、切羽詰まった状況ではないし、実家から3分の家に住み、毎日様子を見に行った方が上手くいくように思われた。

私と父の仲の悪さは、「仲がよい」「ふつう」「仲が悪い」の3段階で、それぞれに「上」「中」「下」があるなら、「ふつうの下」か「仲が悪いの上」ではないかと思う。
一緒に暮らすのは苦痛だが、離れて暮らせばお互いを思いあえる(たぶん)程度だ。

事実、一人暮らしを始めてからは父と争うことは全くなくなり、父がパソコンで作った年賀状をプリンタで宛名とともに印刷してあげるなどして仲良く暮らしており、一件落着のように思われた。

母にとって仕事は生きがいだった

だが2月の始め、母が仕事を辞めることになった。
おそらく、「ボケてきたため業務に支障が出てきた」ことが理由で。

母がボケているのかどうかを書く前に、母のADHD疑惑について書いておく。
診断は受けていないが、母はADHD(注意欠陥・多動性障害)ではないかと私は思っている。
なぜなら、一般的なチェックリストの項目が、きれいなくらいに全てあてはまるからだ。
だから、母の症状が「ボケが原因のもの」なのか、「ADHDの症状が老化によって強くなってきたもの」なのか、その混合なのか分からないが、とりあえず書いていく。

父は年金暮らしだが、母はまだ60代後半なこともあり、介護助手として働き、夜勤もしていた。
施設が儲かっていることは豪華な外装を見れば一目瞭然だが、時給は830円と激安で、そのため常に人手不足だった。

母はペース配分ができない。
時給が激安ならそれなりにしか働かない、という決断もあっていいと思うのだが、母は決して手を抜かなかった。
出勤時間の30分前には職場に着いていて(無給)、朝から120%のペースで働き始める。
当然、帰ってきた時にはクタクタに疲れ果てている。

母を見ていて思ったのだが、疲労はボケによくない。
去年の秋頃から、夜勤明けにおかしな行動が増えてきた。
今日の日付を何回も聞かれるのはいい方で、短期的な記憶が抜けていることもあった。
本当は無かったことを妄想でつけ加えて、あたかも本当の出来事のようにその人の悪口を言うことも増えてきた。

だけど、ADHD疑惑もあるくらいなので、昔からそうと言えばそうなのである。
私も父も、母が最近特におかしいのか、昔からおかしかったのか、よく分からなかった。
だから、病院で診断してほしかったのだが、先述したように父とその点で争いになっていた。

仕事を辞めた方がいいと、母には言い続けてきた。
私から見れば、いくら60代後半といっても全く割に合わない仕事であり(母はその上、夜勤時に自費で同僚に差し入れまでしていた)、既に年金をもらえるのになぜ続けているのか理解できなかった。
それでも、母にとっては、この仕事が生きがいだったのだろう。辞めるとは絶対に言わなかった。
こうなったら、本人が辞めたいというまで続けさせるしかなかった。

2月に仕事を辞めた母の生きがい探し

そして2月の初めに、母は突然仕事を辞めることになった。
事情は、母本人から何回聞いても、記憶が抜けていたり自分に都合が悪いことは言わなかったりするのでよく分からない。

母の同僚から聞いた話では、去年の秋頃から、(名前が書いてあるのに)同僚の制服やシューズを間違えて着たり、仕事のミスも増えてきていた。
そして、1月に比較的大きなミスがあり、母本人も前から辞めたいと言っていたので、今回辞めることになったという(解雇ではない)。

これを受けて私は、「やっぱり母は、普通の状態とは違ってきているのかなあ」と思わざるを得なかった。
それまでは、「ボケてきているように思うけど、仕事はできているのだから、私たちの気のせいなのかも」と思って安心している部分もあったのだ。

母を病院に連れて行くかでさんざん父と揉めてきたが、今回、父はあっさり母を病院に連れて行った。
母も、それに同意した。
たぶん二人も、私と同じ気持ちだったのだろう。

検査の結果、現時点では、痴呆症やアルツハイマーではなかった。
ただ、小さな脳梗塞になりかけの部分があり、薬で治していくことになった。
脳梗塞になりかけると血流が悪くなってボケに似た症状が出ることもあるというから、それが原因なのだろうか?
または、老化によるボケなのだろうか?
ADHDはその病院では診断できず、遠くの病院に行く必要がある。
これについては、まず父にADHDとは何かを知ってもらう必要があり、これも相当揉めそうなので後回しにする。

仕事を辞めてから、母は落ち込んでいる。
初めて耳鳴りを訴え、前からあった飛蚊症と併せて辛いと言う(病院には連れていったが、特効薬はない)。
仕事の疲れがまだ取れなくて辛いと言い、同時に、もう働けなくて辛いと言う。

私は平日働いているので夜に実家に行くが、必ず「泊まっていったら」と言い、(実家から3分も離れていないのに)「帰ったら電話してね」と言う。なので、最近は実家に泊まっている。
私も12月時点で今回のことを予測できたら、一人暮らしはしなかったと思う。

落ち込んでいる母を元気づけるために、何ができるだろう。

私は2人姉妹の長女で、高速で1時間離れたところに妹夫婦と生まれたばかりの孫(私にとっては姪)が住んでいる。
仕事を辞めて時間ができたのだから、大好きな孫に会いにいくかと思ったら、なぜか行かない。
妹も来いと言っているし、義弟は世界一よくできた夫である。
今回も母に、孫との温泉旅行と、サプライズで現地でお花をプレゼントしてくれたのだ。

たぶん母は、慣れた家を離れるのが嫌なのだろう。
妹は、義弟が若くして買った新築に住んでいる。
素敵な家だが、3階建てで、泊まりにいくと母はいつも迷子になる。
部屋の都合で1階に寝るのだが、トイレは2階にある。
夜中、トイレで2階に行くと、なぜかそのまま3階に行ってしまって迷子になっている。
これは一例で、その他いろいろな新しめの仕組み(電気がボタンではなくリモコンで着くとか)が苦手らしい。
よく、「〇〇ちゃん(孫)がその辺に住んでいたら、ぱっと借りてこれるのに」と言っている。

母は、とにかく写真が好きだ。
なので、孫の写真をすぐ見られるようデジタルフォトフレームを買った。
すると、「やっぱり写真はプリントがいい」と言うので、プリントしていなかった最近の写真を全部プリントして、アルバムに入れた。
今は、母がプリントしたままで長年放置していた年代不明の写真を整理している。

これから私がすること

「ブログのこれから、私のこれから」で、「3月末に今の仕事を辞めるつもりだ」と書いたのだけど、それは延期にする。
とりあえず今は、母を元気づけることが最優先で、そのためにはお金がいるからだ。

私は、以下のことをするつもりだ。

  • 母の新たな生きがい探しを手伝う
  • ADHDの診断ができる病院に、母を連れて行く
  • 運転免許を取る?
  • 一人暮らししている家を引き払う?

驚くだろうが、私は運転免許を持っていない。
大学時代は生活費を稼ぐので精一杯で、会社員になってからは暇がなく、そうこうするうちにパニック障害と円錐角膜(右目の視力がすごく悪い)になってしまった。

私が住んでいる所は田舎で、もし免許を持っている父が倒れたら、父や母を病院に連れていけなくなる。
だから、免許を取らなければならないことは分かっているが、果たして私は車を運転できるのだろうか。

今年、いや来年の「夢」は、近くの花の名所に、車で母を連れて行って、写真を撮ってあげること、になりそうだ。

あと、なぜ冒頭の部分をあえて入れたのかというと、老いた親と暮らすということは綺麗ごとでは片づかないこともある、ということを言いたかったからである。
自戒として、私の幼稚な部分をあえて晒しておきたい。

追記:父の良いところが全く書けていないけど、父には長所がたくさんあるので、そのうちそのことも書きます。

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自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい|2017年の抱負

メモ

2月に年度の抱負なんて言う人はいないけど、思いついたことをメモしておく。

自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい

ブログを始めて1年8ヶ月(途中4ヶ月中断)。
だんだん、自分がブログでやりたいことが見えてきた。
始めから明確に見える人もいるだろうけど、私はその時々で重視することが変わってきている。

稼いでみたい→一瞬儲かって「これじゃない」→自分が考えたことを多くの人に知ってもらいたい→一瞬すごいPVの時があって「これじゃない」→今に至る

今は、「自分の心を(損得なしに)そのまま吐き出したい」である。
PVとか、ブクマ数とか、人にどう思われるとかは、一切気にしない。

続きを読む

「ブログに好きなことを書いたら稼げる」って嘘だよ

「ブログを書いていても、自分は成功者になれないから、しばらく休む」という、Aさんの記事を読んだ。
(ここで紹介してAさんを傷つけたら嫌なので、リンクは貼らない)

文中に「好きなことを追求しろと成功者は言うが、好きなことなんてない」という記述がある。
この「好きなことを追求すれば稼げる」、これは条件つきの「好きなこと」なんだけど、意外と誤解している人がいるので、ちょっと書いておく。

PV数を公開している人はビジネスブロガー

はてなでは、「ブロガー」という言葉の中に、「稼ぐためにブログを書いている人」と「損得なしに好きなことを書いている人」が常にごちゃ混ぜになっていると思う。

この2つを区別した方が、話は分かりやすい。

稼ぐためにブログを書いている人は、たとえ個人でも、ビジネスとして書いている。
プロフィールに「毎月〇万PV」と書いていたり、収益報告記事を書いたりするブロガーを、「ビジネスブロガー」とここでは呼びたい。

実際は、「稼ぐために書いている時と、損得なしに好きなことを書いている時のどちらもある」という人が大半だろう。
そういう場合は、稼ぐための記事数が全体の5割を超えていたら、ビジネスブロガーとここでは考える。

損得なしに好きなことを書いているブロガーは、「ポエムブロガー」とここでは呼びたい(何でポエムなのかは後で書く)。

ビジネスブロガーがポエムブロガーのふりをするから混乱する

私は、ビジネスブロガーを批判するつもりは全くない。

例えば、家から出られない引きこもりが、もしブログで稼げるとしたら、それは大きな救いになる。
だから、稼げる人はどんどん稼げばいいと思う。

だけど、ビジネスブロガーの中に、ポエムブロガーのふりをする人がいるのは、混乱の元だと思う。
PVと収益を公開していて、アフィリ記事が全体の9割超えなのに、「好きなことを書いていたらたまたま儲かった」と言うような人々だ。

物慣れた人なら、それが真実ではなくポーズだと分かっている。
だが、それが真実だと思う素直な人もいるようだ。
そして、「自分も好きなことを書いているのに全然稼げない」と悩んでしまう。

なぜ好きなことを書いても稼げないのか

では、なぜ好きなことを書いても稼げないのだろう。

これは簡単で、「好きなこと」というのは条件つきだからだ。

例えば、月に10万稼ぎたいとする。
ブログに貼れる広告には、クリック課金型と成果報酬型(アフィリエイト)がある(もっと種類はあるけどここでは触れない)。

クリック広告は、だいたいPVに比例する。
たぶん、月にYさんが片手の半分くらいは、ポエムブロガーでもいけるかもしれない。
だけど、クリック広告だけでYさん2桁と考えると、最低でも〇〇万PVは必要に思える(根拠のない仮定です)。

〇〇万PVというのは、明確に検索を意識して記事を書かないと到達しない数字だ。
だから、好きなことを書くといっても、「(他人が検索するような)好きなこと」に限定される。
そして、好きなように書いてはダメで、SEO用のテンプレに沿ってキーワードを散りばめないとならない。
この時点で、好きなことであっても、好きに書ける要素は薄くなる。

さて、〇〇万PVは難しいから、クリック広告とアフィリエイトを合わせて10万稼ごうと考える。
そう考えると、報酬が大きいものを売りたくなる。

例えば、去年の年末まで、Aから始まるあるサービスは、1人無料契約させるごとに3,000円もらえた。
この場合の「好きなこと」は、「(そのサービスの中での)好きなこと」に限定される。

これらが「好きなこと」かといえば、まあ、好きなことではあるだろう。
だけど、ポエムブロガーの「好きなこと」、つまり好きなタイミングで書き殴る心の叫び、とは明らかに違う。
(この感じを伝えたくて、ポエムブロガーという呼び方にした。蔑称ではなく尊称)

ビジネスブロガーの「好きなこと」というのは、「(稼げるタイミングで、稼げるジャンル内での)好きなこと」なのだ。
つまり、去年の秋から年末まで、Aから始まるサービスの記事をひたすら連発し、被リンクをつけるために互助会活動に勤しむという「努力」あっての、「好きなことを書いたらたまたま儲かった」なのである。

ブログのどこに楽しさと辛さを感じるか

繰り返すが、私はビジネスブロガーを批判したいわけではない。
それぞれ、向き不向きがあるのだと思う。

例えば、稼ぎたくても、稼げるタイミングで稼げるジャンルの記事を続けて書くことが苦痛なら、ビジネスブロガーはできない。
たぶん、稼げるビジネスブロガーは(文章を書く作業を離れ、儲けを生み出す作業として)そのことを楽しんでいて、そういう意味では「好きなことをしている」は真実なのだろう。

同じく、ただただ心の叫びを書き留めたいと思っても、ビジネスブロガーの収益報告を読んでいて辛いのなら、ポエムブロガーには向かない。
ポエムブロガーに向いているかどうかの最大のポイントは、「他人のことを気にせず、文章を書く自分に没頭できるか」だと思う。

つまり、ブログのどこに楽しさと辛さを感じるか、そしてそのバランスに、どういうブロガーを目指したらよいかの向き不向きがあると思う。

ブログを書いている人は、「ブログの何が楽しくて何が辛いのか」「自分はビジネスとポエムのどちら寄りなのか」「どんな人と付き合ったらよい影響を受けるのか」ということは考えておいた方がよい。
ポエムブロガーなのに、ビジネスブロガーと付き合って「今月は〇〇万PV〇〇万円収益でした!」に惑わされるのは不毛だから。

ポエムブロガーでもできそうな収益化

心のままに思ったことを書き殴るポエムブログでも、書評なら、ブログの雰囲気を壊さずに収益化できるかもしれない。

SEOテンプレ通りの書評やランキングは論外として、選んだ本や感想にその人らしさが出ている記事なら、ブログ読者が読んでも面白く、もっと読みたいと思うから。

まあ、ビジネスでやっている人以外は、ブログは楽しいから書いて辛かったらやめる(でも消さないで残しておく)でよいと思う。

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自腹で他人のエッセイ集を出版する、最高の大人の道楽

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生きづらい人々の体験談集を自費出版して配り歩きたい

生きづらさ

だれの話か忘れたが、自費出版で出した本のうちの一冊を、海外のゲストハウスに置いてきたという話があった。
多くの人の手から手に渡って、感想を書いてもらって、最後には自分の元に帰ってくるように、メッセージを本に書いて。
そうしたら、本当に戻ってきたという話。

先日、「はてなベストエッセイ集」の企画紹介 をしていて、こんな話を思い出した。

これは、電子書籍ではできない。
モノとしての実体がある、紙の書籍でないとできない。

生きづらい人々の体験談集は、人の手から手に渡るべき本なのでは

「本が人の手から手に渡って読まれ続ける」
この考えに魅了されて、いろいろ考えているうちに、私は心療内科の待合室を思い出した。

心療内科の待合室には、たいてい本が置かれている。
イメージ的には、ちょっとスピリチュアル系の、字数が少ない絵本みたいなのが多い気がする。
待っている時、救いみたいなものを求めて、本棚を眺めたことが多々あるが、そこに望んでいるものはなかった。

それで思った。
心療内科の待合室に、例えば、うつ病などから寛解した人々が、その後どうにかこうにか生きていく体験談集があったら、どんなに心が慰められるだろうと。

一度レールから外れた後は、自分でレールを作ることになるのかもしれない

私は「ブログのこれから、私のこれから」で、人が挫折した後どう生きたらいいのか、ライフハックを作りたいと書いた。

(これは私の感想だけど)たぶん今の日本では、一度レールから外れたら、再びレールに乗ることができる可能性よりも、自分でオリジナルのレールを作って生きていくことになる可能性の方が高いように思える。

日本は他国に比べれば恵まれた国だけど、なぜか皆がレールに乗ること(会社に入って、結婚して、子どもを育てて、定年まで勤める)を求められ、レールから外れた人の社会保障などはあまり想定されていない。

不思議なのだが、レールに乗ることを求められる割には、そこから外れた人が再びレールに乗れる道はあまりない。
「レールに乗り続けていること=普通」「レールから一度でも外れたこと=異端」のような区別意識がうっすらある。

だから、レールから外れた時に30代後半以上だったら、再びレールに乗ろうと苦しむよりも、自分でレールを作る方が楽なように思える。

レールから外れた後のノウハウ本がない理由

でも、レールから外れた後のノウハウが書かれた本は、ほとんどない。
その理由は2つあると思う。

1つは、レールから外れた後、自分でオリジナルのレールを作って成功した(or成功したと自分で思える)人があまりいないのだろうと思われること。

「成功したと自分で思える」というのは大事なポイントである。
たぶん、自分のレールを作るためには、レールに乗っていた時に持っていたものを何かしらあきらめる必要が出てくる。
その時、レールに乗っていた時の価値観を引きずっていると、いま自分が幸せだと自分で思えない。
実際はすごく上手くやっているのに、本人は「レールに乗っていた頃の方がよかった」と思っていたりする。

もう1つは、出版社(本を作る側)にそのような企画観点がないこと。
あっても、こうした本は売れないだろうと思われる(or出版社側が思っている)こと。

損してもいい個人なら、何でもできる

だけど、利益を出さないといけない出版社と、私はちがう。

「生きづらい」というと幅が広すぎるが、うつ病などや発達障害などで、レールを外れたり、普通の人と同じように働けない人などが、どうやってオリジナルのレールを作って生きていっているか、がテーマになる。

(この記事ではまだ募集はしないけど)たぶん募集したら、けっこう集まりそうである。
なぜなら、普段からTwitterのDMなどで、そのような体験談をいただいているので。

5~9人くらいにじっくりと話をうかがう。
出版社だったら大人の事情で全部は書けないことも、個人出版だったら全部書ける。

まず電子書籍で販売して、儲けを人数+私で割って、私分の収益で、自費出版(印刷製本)する。

そうしてできた紙の本を、生きづらい人々がいそうな場(支援団体とかフリースクールとか心療内科とかと)に配って歩く。
個人に配ってもいい。
その場合は、できたら感想を書いて、次の人に渡してもらったりする。

たぶん儲からなそうなので、印刷製本はほぼ自腹だろう。でも、やりたい。

ネットのコンテンツは、一時期話題になっても、すごい勢いで流れて忘れ去られる。
また、体験談は検索されにくい。

生きづらい人々の体験談は、流してはいけないコンテンツだと思う。
出版社が作らなくても、本として大切に保管すべきコンテンツだと思う。

掌の火を手づたいで渡していきたい。
その火に勇気づけられて、新たな火が灯ることもあるだろう。

儲けようと思うと、何もできない。
損してもよいと思うと、何でもできると思った。

実際の体験談募集は、夏ごろにします。

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自腹で他人のエッセイ集を出版する、最高の大人の道楽|はてなベストエッセイ集

エッセイ紹介

自腹で、はてなブログや増田(はてな匿名ダイアリー)に投稿されるエッセイをまとめて出版したいという、お大尽が現れた。

dk4130523.hatenablog.com dk4130523.hatenablog.com dk4130523.hatenablog.com

「はてなベストエッセイ集」の企画概要

3番目の記事に、こう書いてある。

  • 2017年中にはてなブログ(+増田)に発表されたエッセイの中から
  • id:dk4130523氏が24編選んで(+特別寄稿)、エッセイ集仕立てにする
  • 230部を刷って、氏が書店を回って置いてもらう
  • 300円(未定)で売上は寄付
  • 電子化はたぶんしない(PDFは作るかも)
  • この活動を10年続けたい

(詳しくは元記事を読んでください)

記事には特に自腹とは書いていないが、直接聞いたら自腹とのことだった。

230部を印刷製本するなら、安い業者を使っても10~30万はかかるだろう。
ちなみに、出版社の自費出版を使うと200万くらいかかる。
1冊300円だから、230部売れても売上69,000円と、初めから赤字である。

電子書籍なら経費ゼロで作れるのに、あえてコストがかかる紙媒体を選び、モノにこだわるところにドラマを感じる。

私がdk4130523氏を「お大尽」と思うのは、自分が「いい」と思った他人のエッセイを自腹で出すところに、古風な大人の道楽や気概を感じるからだ。

あと、この前書いた姪とレロレロを氏が気に入ってくれて、私を選考委員にしてくれたのだが、お金を出すのはお大尽なので私は協力するけど口出ししない、と思ったことを忘れないためである。

人はなぜブログを書くのか

例えば、心の暗がりについて書くとき、「そんなことはブログで全世界に公開することではない。日記帳に書いてだれにも見せるな」と批判する人がいる。
「ほめられたいからだろう」「さびしいからだろう」と批判する人もいる。

私も、このことについて悩むことがある。
なぜブログを書いて、だれかに読んでほしいと思うのだろう。
思ったことをありのまま書きたいのは、別に承認欲求からではない。だけど、この気持ちをうまく説明できない。

dk4130523氏は、このことについて鮮やかな答えをくれた。

もっと本質的に、なぜか。それは表現は読み手(読者)を必要とするからです。承認欲求? ちがう。そんなどうでもいい言葉が被せられる以前の自意識の風景の話を、おじさんはしている。そもそも対話というのは、1人ではできません。1人でやれたら、やり続けられたら精神に異常を来します。もっと端的にいうと、表現するのは、寂しいからです。そしてそれだって別にメンヘラじゃない。

しゃべるよりも、友達とわいわいがやがやするよりも、書いたものを通じてコミュニケーションをとるほうが、自分のこの部分には、自分によりよくフィットすると感じる種族が、いる。

面倒くさくていい(改題)

私は、書いたものをネットの海に投げることで、どこかにいるだろう、分かってくれるだれかと対話をしたいのかもしれない。

「純粋なよみもの」に光をあてる試み

さて、はてなブロガーの間で最も目立っているのは、「お金のためにブログをやっている人たち」のコミュニティだろう。
はてなブログを始めたばかりの人が、知り合いを作りたいと思ったら、たぶんそのコミュニティに入ることになる。

そこに入ると、ブログの価値をPVと収益でしか測れなくなってしまう。
つまり、「良いブログ=稼げるブログ」という価値観でしか、自分や他人のブログを見られなくなってしまう。

自分の心を吐き出した「純粋なよみもの」は、「稼ぐ」ことと相性が悪い。

まず、検索されない。
検索されるように、タイトルを工夫して文中にキーワードを盛り込むなどとやり始めた時点で、よみものとしての大事な何かを失ってしまう。

次に、拡散されにくい。
例えば、家族について書いた素朴なエッセイは、何らかの意外性がないと何百もブクマがつくことは考えにくい。

だから、優れた日記やらエッセイやらが、ブクマもあまり付かずに(=書いた本人にも、その文章が優れていることが分からない形で)、ネットの片隅でひっそり咲いているのをよく見る。

dk4130523氏は、人知れず咲いているその花をそっと集めてお披露目することで、もっと色とりどりの花が咲き乱れるような環境を作ろうとしている。

自分の信念のためにポンと金を出すなんて、まさにお大尽だ。
(もっといい単語ないかな……。パトロンとかだと月並みなんだな)

たぶん、著作権とか各ブロガーに払うお金とか(私はいらない)、はてなさんとの交渉とか、いろいろ大変だろうし何か言ってくる人もいるだろうけど、私はこの心意気だけで、氏を尊敬して無条件に協力しようと思う。

あと、氏の企画とは別に、私も純粋なよみものの良さを広めるために何かしたい。

それで、このブログでも月に1回、私がいいなと思ったブログのエッセイを紹介しようと思う(氏の企画とは、必ずしも連動せず)。
このブログのPVは多くないので、紹介する人へのPVの足しには全くならないと思うけど、大事なのは気持ちだ。
1月はあまりはてなを見ていなかったので、1・2月分を一緒に、3月中に紹介する予定。

はてなベストエッセイ集がボトルメールになるといい

だれの話か忘れたが、自費出版で出した本のうちの一冊を、海外のゲストハウスに置いてきたという話があった。
多くの人の手から手に渡って、感想を書いてもらって、最後には自分の元に帰ってくるように、メッセージを本に書いて。
そうしたら、本当に戻ってきたという話。

はてなベストエッセイ集を、あえて「紙」で出したいという氏の話を聞いて、この話を思い出した。

氏が書店を行脚して、一冊一冊地道に置いていく本。
売れるかどうかも分からない。
たまたま、はてななど全く知らない人が買って、読んだら案外面白かった。
検索すると、普通には流通していない本のようなので、他の人にも貸してみる……。

こんな風に、手紙を入れた瓶がどこかの海辺に流れ着くように、漂流していく本を思い浮かべた。

電子書籍ではない紙の本なら、人の手から手に渡るように、いろんな展開が考えられる。
ゲストハウスに置いたり、図書館に寄贈したり、老人ホームに置くのもいいかもしれない。
考えるのもまた道楽である。

お大尽はどんな人?

最後に、こんな面白い企画を考えたdk4130523氏はどんな人なのだろう。
氏が自分のブログなどで公開している情報を並べてみる。

  • 43歳独身バツイチ
  • 困った人に手作りごはんを食べさせるのが趣味
  • 猫のはなちゃん・くるみちゃんと暮らしていて、自分を「下僕」と呼んでいる
  • 猫のシェルターの活動を支援している
  • 離婚後も、元妻の姪を可愛がって、アップルパイを作って食べさせたりしている
  • 2chで知り合ったよよんくんを大切に思っていて、たまにお墓参りをしている
  • 1980年代のスポーツノンフィクションについてブログを書いているけど、最近は猫とご飯の話が多い
  • Twitterでは謎の猫語またはべらんめえ口調

なんか、氏自身が、小説の主人公になれそうだ。
スパゲッティを茹でていたら、電話がかかってきて、姪と猫とエッセイを探し求める旅が始まるとか。
いや、スパゲッティじゃなくてアップルパイか。

この企画に応募したい人、氏を応援したい人はこちらへどうぞ。
盛り上がり次第で、クラウドファンディングも可能になり、選択肢が広がるので、ぜひ応援ください。

お大尽のTwitter dk4130523.hatenablog.com