ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

東大を2留して、レールを外れたと思っているこうさんへ

「『レールから外れたら人生終了』という日本に蔓延る神話が皆を不幸にしている」というtogetterを読んだ。

これは、「東大を2回も留年した人のブログ」を書いている「こう」さんのセルフまとめだ。
こうさんは、東大2年生(4回生・2留)である。

こうさんのこれまで

こうさんは、

ぼっちで趣味がないことから、受験勉強に熱中

東大合格で燃え尽き、必修授業以外は出なくなる

コミュ障だが、頑張ってテニスサークルに入る
しかし、白内障のため5月末まで活動に参加できず

「進振り」により、2年生の秋に経済学部へ進学
クラスが無くなったことでクラスメイトの「シケプリ」に頼れなくなり、試験対策できなくなる
コミュ障のため、誰にも助けを求められず

ネトウヨ活動にのめり込む

経済学部の勉強が全く分からない
再度「進振り」を受けて学部変更するために、試験を受けずに留年

留年と学部変更を親に納得させることができず、再び経済学部へ進む

FXにのめり込んで大損

2回目の留年。今度は親も学部変更を受け入れる

サークルの同期の起業を手伝う

自らの付加価値を「東大生」「留年」「コミュ障」に設定し、TV出演を目指す Now!

という流れを経ている。

東大で2回も留年した話(前編)

ちなみに、冒頭でセルフまとめされていたレール関連の記事には、私の寄稿記事が紹介されていて、それで親近感を抱いた。 www.onecareer.jp

私は最初、こうさんが「2留したから官僚になるのは難しい」など、東大出身者独特のレールを外れたことを嘆いているのかと思ったのだが、そうではなかった。

レールの外れ方には、積極的・消極的の2パターンがある

私は、20代がいわゆる「新卒カード」を捨てることについて、いまだ、どうアドバイスするか態度を決めかねている。

レールの外れ方には、「外れたいから外れる」積極的なパターンと、「外れざるを得なかった」消極的なパターンがある。

やりたいことがあって新卒カードを捨てる場合は、(そのやりたいことが具体的でなくても)私は応援するようにしている。
なぜなら、今の20代前半は超売り手市場であり、失敗してもいくらでもやり直し可能だからだ。

しかし、こうさんの場合、やりたいことがあって留年したのではなく、留年せざるを得なかった状況だと思う。

消極的に外れたのに、その理由を直視せず、個性として売り出そうとしている。

本当にやりたいことがある人の場合、中退という道もあるが、こうさんが何をやりたいのかは「有名になる」以外は分からない。
このまま学業から逃げていると、3度目の留年を迎えてしまうのではないか……?

2度の留年=レールを外れた、とは私は全く思わない。
むしろ、有名ブロガーを目指して、また留年することの方が、ずっと危うい。
今から真面目に学業と就活に取り組めば、何の問題もないのに。

今のこうさんに必要なこと

今のこうさんに本当に必要なことは、下記だと思う。

  1. 大学の授業に毎回出席し、内容を理解すること
  2. 相談できる人や居場所を作ること

1:大学の授業に毎回出席し、内容を理解すること

なんといっても、「大学の授業に毎回出席し、内容を理解すること」が最大優先である。

こうさんのブログには、留年決定後に勉強を頑張ったという記述がない。

ネトウヨ活動やFXなどに逃避し、2回目の留年後も、サークル同期の起業を手伝ったり、インターンに行ったり(この2つ自体は良いことだが)、今またブログを書いたりしている。

次に絶対進級できる余裕があるなら、課外活動を行ってもよいが、はたして本当に進級できるのか?
受験勉強の燃え尽き症候群で、勉強をしたくないという気持ちは分かるが、現在の自分の状況を冷静に把握した方がいい。

2:相談できる人や居場所を作ること

こうさんは、コミュ障だけど可愛い女の子に出会いたくてテニスサークルに入ったが、そこで居場所は築けたのだろうか。
完全ぼっちではない、とのことだが、もし居場所が築けていたら、「シケプリ」に似たものをサークル経由で入手でき、留年はしなかったと思うのだ。

日本一有名なニートであるphaさんにとっての京大熊野寮のような場所が、こうさんにもあるとよいなあと思う。
(熊野寮で留年する人は多いが、こうさんのように、孤立して留年するのはつらいと思うので)

つまり、「コミュ障でも受け入れてもらえる居場所」だ。

また、これまでの経緯を、理解ある大人に相談した方がよいと思う。
東大には、京大の学生総合支援センターのように、理解ある相談先はないのだろうか。
(私でよければ、twitterでDMください。返信はすっごい遅いですが……)

学生さんへ 留年について|京都大学

あと、4回生ということなので、同期の就活状況をできるだけたくさん聞いておいた方がいい。
起業するにしても、一般企業で働くことは大きな経験になるので、いろいろな選択肢を意識して残しておいた方がいい。

中退について

「大学での勉強には意味がない」と思う程度なら、中退は絶対しない方がいい。
どうしても勉強したくないなら、いろんな人に相談して、要領よく試験を乗り切れる方法を探してほしい。

ただ、「本当に、どうしてもどうしても、勉強についていけない」ということはあり得ると思う。
その状態であっても、下記を満たすまでは中退しない方がいい。

  • 勉強についていけない場合は、学生課などに相談する
  • 中退して何をやりたいか、具体的なプランを作る
  • そのプランで、親を含む周りの人を納得させることができる
  • 実際に、東大中退した人の話を「会って」聞く

こうさんはレールから外れていないし、まだ乗ってもいない

こうさんは、留年したことがつらくて、それを「個性」として積極的に売り出すことを考えたのかもしれない。

だけど、こうさんは、レールから外れていない。まだ乗ってもいない。

出版社に入社後、過労で精神疾患になり、いまは辛うじてフルタイム派遣で働けているけど体力気力がなくて毎日ギリギリで生きている私(もし体力があっても年齢的に正規雇用は絶望)から見れば、うらやましいほどの可能性に満ちあふれている。

日本社会におけるレール神話が持つ、真の選別基準は「年齢」であって、その点では、こうさんは圧倒的な勝ち組のままなので、安心してほしい。

コミュ障はつらいだろうけど、既にインターンで働けているなら、標準以上のコミュ能力を身につけなくても、ちょっと下くらいで余裕で生きていける。

コミュ障でも働きやすい企業や職種について人よりも熱心に情報収集し、自分に合った企業や働き方(プロブロガー以外)にめぐりあってほしい。

(メンヘラ.jpのわかり手さんが言った、「フリーライターの世界ってのはパラリンピック」はその通りで、アフィリエイト以外のブロガーで有名になるのを目指すことは、「普通」に生きられない人の最後の砦だと、私は思っている。もちろん、趣味で書く場合は何の問題もない)

追記

23日16時追記・21時変更(短くした):こうさんとtwitterで話をした。

こうさんは、前期課程の単位は取得済。学部変更のために2度留年したため、秋の後期課程から頑張ればよく、それまではブログ活動ができるとのこと。現時点では中退は考えていないらしく、良かった。

あと、「『テレビ出演』がこのブログの目標だ」で、こうさんは「テレビ出演を果たしたら実名での活動に切り替えようかとも思っている」と書いているが、売り出し方をよく考えないと、実名でのTV出演は就活でマイナスになるかもしれない。

新卒プロブロガーが、各企業の人事部にブラックリスト化されているという噂がある。バカバカしいし、そういう話は大嫌いだが、「新卒カード」は残しておいた方がいい。

おまけ:
同じ東大生ブロガーに、東大生の1日を50円で売っている高野りょーすけ氏がいる。
高野りょーすけとブログ

「現役東大生が1日を50円で売ってみたら」を出版している。留年している。彼のように、純粋な企画の面白さで売り出せるのなら、実名顔出しもプラスになるのかも……。

現役東大生が1日を50円で売ってみたら

現役東大生が1日を50円で売ってみたら

日本の精神医療は遅れているのか?|外国との歴史比較

日本の小中学生に英語を教えていたニュージーランド人男性、ケリー・サベジさん(27歳)が、日本の精神病院で10日間身体拘束された結果、心肺停止状態になって亡くなった、というニュースがネット上で話題になっている。

死因は、身体拘束されたことにより、血栓ができて心臓発作につながったものとみられている。

日本の精神病院でニュージーランド人男性が変死 母国でニュースに
ニュージーランド人男性の変死【続報】 大和市の精神病院が記録提出を拒否

ニュージーランドでは大きく報道されているのに、7月15日夜現在、日本の大手マスコミでは一切報道されていなかった。

身体拘束調査の時間単位は、外国では「時間」、日本では「月」

ここで、外国でも長期間の身体拘束を行うのかどうかを見てみる。

身体拘束1000日超の患者も|読売オンライン「ヨミドクター」によると、外国における身体拘束の平均継続時間は「米国カリフォルニア州4時間、米国ペンシルベニア州1.9時間、ドイツ9.6時間、フィンランド9.6時間、スイス48.7時間」である。

対して、日本では「回答病院で身体拘束を継続的に受ける患者(768人)の約67%が、調査時点で1か月以上の拘束を受けていた」。

また、この記事の他の調査では、「回答病院における身体拘束の平均継続時間は約100日」という結果が出ている。


外国調査の単位は「時間」だが、日本調査の単位は「月」だ。

例えばアメリカには、日本のような健康保険制度がなく医療費が高額なため、長期入院が金銭的に難しいなどの事情もあるだろう。
しかし、逆にいえば、外国では短時間の身体拘束で対応できているのだ、と言える。

平均で100日を超える身体拘束。はたしてそれは、医療なのか?

ヨーロッパの精神医療史

冒頭のケリーさんの母、マーサさんは「中世の映画の出来事のようでショックを受けています」「この拘束は、現代社会のできごとには思えず、ニュージーランドでは絶対に起こりえないこと」と述べている。

はたして、日本の精神医療は遅れているのだろうか?

この疑問に答えるべく、ヨーロッパと日本の精神医療史を、ざっと一覧できるようまとめた。

(私は専門家ではなく、この記事は、調べた結果を自分用にまとめたものなので、詳しくは参考文献やリンクから各自あたってください)


ヨーロッパの精神医療は、今でこそ進んでいるが、第二次世界大戦前までは実は日本とそれほど差異はなかった。

15~17世紀後半、魔女狩りの犠牲者の中には、明らかな精神病者も多数いた

18世紀ごろ、産業革命によって、農村から都市に流入してきた人々の中には、浮浪者や泥棒のような「働かざる者」がいて、精神病者も一緒くたに、地下牢のような収容院に入れられていた

19世紀、「働かざる者」の中に、精神病者(「早発性痴呆」、現統合失調症)がいることを発見。収容院から隔離施設に入れられた

フランス革命時に、病者を人道的に扱うべきだという「道徳療法」が生まれる。
しかし、植民地支配時代には、精神病は脳の器質的な病であるため治療は無意味という医学観が主流になった

『近代的精神病院というものが誕生しても、それは治療・看護の意味での近代化ではなく、精神病者を選別・隔離し、管理する意味での近代化でした。精神病者は依然として、鎖に繋がれ、手枷、足枷で転がされていたのです。
精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)より引用)


こうした流れが大きく変わったのは、第二次世界大戦後である。

イギリスで、大戦中の空爆を避けるため、精神病院は、入院患者を一時的に解放した。
戻ってこないという予想に反し、大半が戻ってきたため、精神科医が「精神病院における鍵とは何か」を考える契機となった

1948年 スコットランドのディングルトンが世界初の全開放制に踏み切った

1954年 英国保健省が「今後10年間で10万床の精神病床を削減する」と発表し、それに見合うケア施設を地域に作ることを決定

1960年 フランス厚生省が「地域精神医療分区制」の方針を打ち出した

1971~1977年 イタリアのバザーリア氏が、県知事ザネッテイの後押しのもと、サンジョバンニ病院の患者1150人を、強制入院の法的規制を解き、町に移住させ、病院のスタッフを地域に移してケアにあたらせる形で、病院を閉鎖した

1978年 イタリアで180号法案(公立精神病院への入院を禁止する法案)が公布

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

ヨーロッパでは、精神病者の地域移行化が順調に進んできたが、1970年代のアメリカでは、財政的理由から、ケア施設などの受け皿がないまま、州立病院から大量の患者を追い出した結果、彼らはホームレスになってしまった。

ようするに、地域で精神病者をケアするには、国の理解と財政的後押しが絶対に不可欠なのです。それはアメリカの失敗例を見れば明らかです。バザーリアが政治の地平で改革を行ったように、国に本腰を入れさせない限り、大きな改革は難しい。
精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)より引用)


一覧できるよう、ものすごく大雑把にヨーロッパの精神医療史をまとめたが、覚えてほしいのは2点である。

「ヨーロッパでも、第二次世界大戦前までは、精神病者を(治療ではなく)隔離・管理するために、精神病院が作られていた」

「しかし、戦後のヨーロッパでは、精神病院の開放化と、収容患者の地域移行化が進んだ。それは、国の理解と財政的後押しがあったから可能だった」

明治初期の日本には、精神病者が地域で治療を受けられる場があった

第二次世界対戦後、ヨーロッパは、精神病者が病院ではなく地域で治療を受けられるような改革を進めてきた。

実は、外国から近代精神医学が入ってくる前の、江戸時代後期から明治初期の日本には、既にそういった場があったのだ。

高尾山薬王院などの神社仏閣で、水治療や温泉療法などが行われていた。

その背景には、江戸時代の医学が中国医学に基づいていたため、精神病も"気"の乱れでできた隙間から憑き物などが入ってきて起こった、一時的な病と思われていたことがある。
だから、治る頃合いまで一定期間そこに留まり、家族だけではなく、治療を行う行者たちや地域の人たちが、病者を支えていた。

この後、日本だけが真逆の方向に迷走していくことを思うと、この事実は皮肉である。

日本の精神医療史(戦前)

さて、明治時代の日本は、欧米との不平等条約改定にあたり、精神病院の有無が文明化の証の一つとなると考えた。

そのため、先ほど述べたように、第二次世界大戦前にヨーロッパが取っていた「精神病者の隔離収容政策」を取り始めたのである。

1900(明治33)年 「精神病者監護法」の成立
精神病院が不足していたため、精神病者の「私宅監置」(座敷牢への閉じ込め)について、監護責任者(主に肉親)に届け出を義務づけたもの。
つまり、本来は国が負うべき、精神病者の管理を、家庭に押しつけた法律。

1916(大正5)年 入江事件・榊原事件(私宅監置されていた精神病者による殺人事件)により、それまではなかった「(地域で平和に暮らしている者も含めて)精神病者は危険な存在」という偏見が広まった

1919(大正8)年 「精神病院法」の制定
上記事件が引き金となり、「地方長官が特に入院を必要と認めた者」などが、精神病院に収容されるようになった。
また、公立精神病院の設置を命じるが、財政難のため、民間資本の私立病院増設に依存するようになってくる。

精神病院の誕生に伴い、民間治療場の終息または管理化、民間療法の根絶

1940(昭和15)年 「国民優生法」の制定
精神病者に強制的に不妊手術を受けさせることによって、「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者」(精神病者のこと)の増加を絶つことが目的だった。
女性障害者 第3回「優生思想の過ちをただす」|NHK福祉ポータル「ハートネット」

流れとしては、明治初期の「精神病は一時的な病」という認識から、「精神病者は危険であり、監禁すべき存在」を経て、「精神病者を増やさないために去勢する」という地点にまで達したのが恐ろしい。

また、戦後から現在までに影響を及ぼす、「国が負うべき負担を家族に丸投げ」「(同じく)私立病院に丸投げ」「治療ではなく隔離・監視」という流れができていたことを押さえておきたい。

日本の精神医療史(戦後)

戦後のヨーロッパでは、精神病院の開放化と、収容患者の地域移行化が進んだが、日本はそうした潮流に全く逆行した道をたどった。

1950年代末から、社会治安の一環として、精神病者を精神病院に入れるというキャンペーンを国単位で行っていた

1964(昭和39)年 ライシャワー事件
ライシャワー大使が、19歳の統合失調症患者に刺された事件。のちに少年は自殺。
エドウィン・O・ライシャワー|Wikipedia
日本の精神医療に大きな影響を与えたライシャワー事件

1965(昭和40)年 「精神衛生法」改正
上記の事件を引き金に、「緊急措置入院制度」(自傷他害の恐れのある精神病者を、強制入院させることが可能)の新設。私宅監置の禁止。
これにより、家でカラオケをしていただけで通報され、以後何十年も精神病院に入院することになった人も存在するほど、精神病者を「本人の同意なく」(本人の同意が最優先されるようになるのは何と1988年)、簡単に入院させることが可能になった。

国の低金利融資を受け、私立精神病院の建設ラッシュ

1967(昭和42)年 WHOから日本政府に「クラーク勧告」がなされるが、無視
患者の過剰収容による精神病院の利益追求が、大きな人権侵害につながるという内容

1968(昭和43)年 栗岡病院事件
院長と看護人が患者13人を角材で殴打、1人を死なせる
1968(昭和43)年 安田病院事件
看護人が患者3人をバットで撲殺し隠蔽。数ヶ月後に、看護助手をさせられていた「患者」が、他の患者を撲殺して発覚
(以降、病院スタッフによる患者殺害事件が、数十件単位で多発しているが、代表的なもののみ記載)

1975(昭和50)年 日本精神神経学会がロボトミー手術の廃止を宣言
ロボトミーとは、高度な思考や感情を司る前頭葉を切断する手術。うつ病患者などに行われ、日本では1938年から始まった。多くが廃人化するなど、非常に問題ある手術だった。

1984(昭和59)年 宇都宮病院事件
国連人権委員会で討議され、日本政府に改善勧告が出されたほどの大事件。
事件発覚までの3年余で、院内死した患者は200余人以上に上る。
宇都宮病院事件:Wikipedia

1988(昭和63)年 上記事件を受けて「精神保健法」改正
ようやく「任意入院」(患者本人の同意と意思が最優先)が法定化。それまで強制入院しか法定されていなかった。

1997(平成9)年 大和川病院事件
入院患者の不審死が26件明らかになる
精神病院不祥事件が語る入院医療の背景と実態――大和川病院事件を通して考える

2000(平成12)年 介護保険制度施行

2001(平成12)年 朝倉病院事件
人権無視の拘束、不必要なIVH(中心静脈栄養)注射、老人患者40名の不審死。

2001(平成12)年 箕面ヶ丘病院事件
10年間、違法拘束された患者は「ポチ」と呼ばれていた。

2006(平成18)年 障害者自立支援法施行

2009(平成21)年 貝塚中央病院にて精神科患者が拘束死
【違法拘束】精神科患者死亡めぐり「貝塚中央病院」元看護師を逮捕|ケアマネタイムス

2013(平成25)年 国連人権理事会が日本政府に警告
精神障害者が、自らの意思に反して、長期間にわたって「社会的入院」されていることや、身体拘束・隔離が過剰に用いられていることを警告

2014(平成26)年 障害者権利条約を日本が批准

2015(平成27)年 石郷岡病院で、准看護師による患者の暴行死が発覚
弟のこと。~その陽はまだ沈まない~(ご遺族のブログ)

2016(平成28)年 相模原障害者施設殺傷事件
知的障害者施設に、元職員の男が侵入し、19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた。
相模原障害者施設殺傷事件|Wikipedia


流れの一覧化を重視したため、ものすごく大雑把な説明になっている。

戦前からの、「精神病者は去勢してもいい対象(つまりは人権無視)」「治療ではなく隔離・監視」という流れのまま、

私立精神病院の乱立が進み、

「入院患者は固定資産」「精神医療は牧畜業」と公言するような、治療が抜け落ちた儲け主義のもと、

病院スタッフによる患者のリンチ死が、数十件単位で発生する(ついに表面化しなかった事件も多数あるだろう)、

という流れがあった。

同じ時代にヨーロッパでは、精神病者の病院から地域への移行化が着実に進んでいたのに。


これは昭和時代のことで、今は改善していると思う人もいるだろう。

もちろん、(後日紹介するが)昭和40年代のように、「不潔部屋」と病院スタッフが名づけた、糞尿まみれの部屋に放り込まれたりすることはない(しかもそれは二流の病院であり、最低ランクではなかったのだ)。

しかし、2013年になっても、国連人権理事会は日本政府に、精神障害者の数十年単位に及ぶ「社会的入院」や、過剰な身体拘束・隔離に対して、警告を出している。

厚労省の調査によると、精神病院で身体拘束を受けた患者数は、10年間で約2倍(2003年:5,109人→2014年:10,682名)に増えている。

はてなブログを何気なく読んでいても、身体拘束の(しかも問題ありと思われるような)体験記事はそこそこ目にする。

ちょっと病棟の集団生活のルールに違反しただけで、2日とか3日くらい鎮静させる点滴をされて、手と足の4点をベッドにくくり付けられてしまう。いわゆる身体拘束だ。

精神科病棟で身体拘束をされてみてより)

さらに、2015年に病院職員に暴行を受けて亡くなった方の、ご遺族のブログを読むと、きっかけは「落ち込むことがあるため」精神科を受診したという、本当にささいなことなのに、大量の薬が出されて(5ヶ月で17種類)、それなのに診断名はあいまいで、突然身体拘束され、薬の副作用で薬剤性ジストニアになり、電気ショックで失禁するようになるなど、病院に関わったためどんどん状態が悪化していき、最後は病院職員による暴行のために亡くなってしまうのである(享年36歳)。

「日本の精神医療は遅れているのか?」

素人目には、「遅れている」と言わざるを得ない。

つづく

(続きの方が面白いんですが、書く気力が尽きているので、読みたい人はこの記事をシェアしてもらえると、励みになります~)

参考文献:
どちらも、Kindle Unlimited(読み放題)の対象になっています。
今年読んだ中で、最も面白い本でした。

精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)

精神医療に葬られた人びと?潜入ルポ 社会的入院? (光文社新書)

ルポ・精神病棟 電子書籍加筆復刻版

ルポ・精神病棟 電子書籍加筆復刻版

高齢者や障害者が処分される近未来(短編)

豊田真由子氏と「超エリート・準エリート」|人の上に立つ「器」

自民党の豊田真由子衆院議員が、秘書に暴言を吐いている音声を、デイリー新潮が公開し、ネット上に批判があふれた。

(ストレスに弱い人は聞かない方がよいです)
https://www.youtube.com/watch?v=Bc6UEvT9H_o

それに対し、桜蔭中・高、東大での同級生が、Facebookで豊田氏を擁護し、話題を集めた。
豊田真由子さんと私の関わり

上記についたはてなブックマーク上で、(私の)「感想を聞いてみたい」とリクエストをいただいたので、書いてみたい。

さて、これまで、私はTVなどでこの音声を聞かないように避けていた。
私は上司(男女ともに)にパワハラを受けたことがあり、そのことを思い出したくなかったからだ。

しかし、感想を書くため、意を決して音声を聞いた。
パワハラから数年たっているからか、一瞬気持ち悪くはなったが、何時間も残るほどではなかった。
さらに、下記の疑問が出るほど、心のゆとりを回復している自分に気づいた。

豊田氏は、この精神状態で、普通に仕事ができていたのか?

政治家は、前職の官僚よりも更にストレス負荷が高く、コントロール技術が必須である。
そういう面では、豊田氏は政治家には向いていなかったのかもしれない。

本人に心の余裕がないため、衝動的にパワハラを行う人

パワハラを行う人には、2種類のタイプがあるように思う。
「手段として、確信的に行う人」「本人に心の余裕がない結果、衝動的に行う人」だ。

豊田氏は後者のように思えるし、私にパワハラを行った女性上司もそうだった。

私の上司は、叱責を行うとき、いきなり机をバンッと叩いたり、椅子をガンッと蹴飛ばしたり、ヒステリーに怒鳴ったりした。

上司は慶應卒で、ガリガリと言っていいくらい細い人だった。
38キロという体重を誇り、標準体重くらいの人をよく「デブ」と罵っていた。
私は同期とお昼を食べたかったのだが許してもらえず、上司とお昼を食べていた(上司は他に食べる人がいなかった)。
上司は歩くのが異様に早く、一緒にお昼を買いに行くときに、目の前をカツカツとピンヒールを鳴らして歩き「早く」と急かされたことを、昨日のことのように思い出せる。
よく、叱責されながらお昼を食べたものだ。

しかし、私が異動でその上司から離れて2年後くらいに、上司はうつ病で会社を辞めてしまった。

上司は、学歴・体重・結婚などの分かりやすい指標で他人を評価し、何か足りない人をこき下ろしていた。

しかし、その評価は同時に、上司自身にも向けられていた。
上司はどうしても子どもが欲しかったようだが、なかなか授からなかった(そのことはとても気の毒だったと思う)。
「医者はもう少し太れって言うけど、デブにはなりたくないのよ。でも子どもは欲しい。子どもがいないと完璧になれないからね」
上司はいつも、分かりやすい指標における完璧を目指していた。

そうした余裕のなさが、私にパワハラとして向けられたのかもしれない。

「豊田氏は超エリートではなく、準エリート」という価値観

政治家などの公人や管理職などには、学歴・職歴などの分かりやすい指標とは全く別に、人の上に立つ「器」が必要だ。

豊田氏の経歴は、私立桜蔭中・高(女子御三家)から東大法学部、厚労省入省、ハーバード大大学院修了、衆院議員、文科大臣政務官など、華々しく見える。

しかし、住田裕子弁護士は、このようにコメントしている。

でも、私から言わせたら超エリートではなくて、準エリートぐらいの人ですね。厚労省に(同期は女性)1人ですけど、本当にそこに入りたかったのか、本当に福祉をやりたかったのか私は疑問です。その後の道のりを見ても、次官コースの超エリートではない。どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのではと、同じ東大だから思うんですけど。

引用:【豊田真由子議員の暴言】東大の先輩著名人は「超じゃない、準エリートぐらい」と指摘 高木美保氏らも持論

凡人から見れば、東大生は何でも同じに見えるが、文1~3・理1~3(または学部)の中で序列があり、浪人より現役、地方県立より開成などの私立というように、こと細かな序列がある。

就職後も、民間企業より官僚、同じ官僚でも省庁間の序列、同じ省庁でもポストや出世コースによる序列、うんぬんかんぬん、同じ東大卒なのに、ものすごく細かなカースト制の中で、一部の人は生きている(そうでない人もたくさんいる)。

住田弁護士が「(豊田氏は超エリートではないから)どっかで物足りないものがあったので、政界に転身したのでは」と言っているのは興味深い。
凡人から見れば華々しい経歴も、東大専用カースト制においては「準エリート」とみなされ、コンプレックスとなったのかもしれない。

そうした、他人の評価にもとづいた「超エリート」を目指す人が、その手段として、政治家や管理職といった「器」が必要なポジションにつくことは恐ろしい。

「超エリート」の経歴をへても、「器」が磨かれるとは必ずしも限らないからだ。

むしろ、「超エリート」の経歴にこだわること自体が、他人や自分への軽視につながり、「器」への弊害となることもある。

「超エリート」になるための受験勉強が、「器」への弊害となることもある

冒頭に戻って、桜蔭中・高、東大での同級生である田中絵里緒さんが、Facebookで豊田氏を擁護した件。

豊田真由子さんと私の関わり

はじめ、何の情報も入れずにこの文章を読んで、まとまりがないけど「おはなし」としては面白いと思った。

そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした。

頭がいい「だけ」の女性は評価されない。
モテて(こっちが先)、かつ、頭がよくないといけない。

豊田氏は厳しい家庭で育ち、親に背けない鬱屈を、一見奇妙に見えるエピソードの形で晴らしていたと、田中さんは言う。

大人になっても、その鬱屈を自然な形で解消する方法が身につかなかったから、今回の騒動につながったのではないか、と擁護しているように私は思った。

唐突に、東電OL殺人事件をモチーフにした桐野夏生「グロテスク」を思い出した。

厳しすぎる家庭で優等生として育った女性の中には、人生の後半で自分を制御できなくなる人がいる。
「グロテスク」の登場人物も、凡人がうらやむ経歴を持ちながら、売春によって女性としての価値を取り戻そうとした。

田中さんは、受験勉強のために子どもを厳しすぎる環境で育てると、ストレスを不自然な形で晴らすなどの弊害が出るため、よろしくない、と言いたいのだと思う。

「超エリート」になるための受験勉強が、むしろ、「器」への弊害となることもあるのだ。

「超エリート」と「準エリート」の違いを見るに、「超エリート」=「最短距離」ではないかと思う。

こうした価値観を持つ親にとって、大学入試に結びつかない、友達との遊びやクラブ活動、試行錯誤や回り道などは、全て「ムダ」に思えるのかもしれない。
だけど、人の上に立つ「器」は、そうした「ムダ」の中でのコミュニケーションや自己コントロールによって、磨かれるのではないか。

実際の人生はムダばかりで、最短距離の理想論では解決できない。
最短距離で走ることを目指した人ほど、「ムダ」に直面したときに、どうしてよいのか分からなくなるのではないか。

蛇足

言いたいことは終わりだが、書いておかないといけないことがある。

田中さんの文章は、あくまで「田中さんの記憶の中での豊田さん」であり、細かい点(たとえば、豊田氏の「ああ、あれでいいなら、あげるよ」との発言)の根拠にするべきではないと思う。

なぜなら、豊田氏はまず秘書への謝罪と、それができる精神状態の回復が先で、(仮に事実でない場合)田中さんに反論できるタイミングは、立場的におそらく無いだろうから。

最後に、豊田氏が行った、秘書への暴言と暴力については、(もし精神を病んでいるなら回復後に)謝罪が必要だと思う。

実際にパワハラを受けた身として、この記事は擁護記事ではなく、パワハラを行う個人の後ろに透けて見える、価値観や教育への問題提起である、と書いておきます。

東大女子を過労死させたり、京大専業主婦をもったいなくさせているのは日本社会
おじさんおばさんという人生の下り坂でも、楽に生きるために

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

グロテスク〈上〉 (文春文庫)

「優れたコンテンツを無料で」という非常識がやりがい搾取につながる|とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話

漫画「とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話」を読んだので、感想を書きたい。

これは、2016年にネットで話題になった、新人漫画家(佐倉色さん)と出版社とのトラブルについて書かれたマンガだ。
トラブルの経緯は、このようになる。

  • 編集者が、佐倉さんにタダでカラー色紙1600枚を描かせる
  • 上記による忙しさや編集者のミスの連発で、心の余裕をなくした佐倉さんがTwitterで苦しさをつぶやき、トラブルが世に知られる
  • まとめサイトにトラブルを記事にされ、転載(サイト側の主張は引用)された画像の削除を佐倉さんがサイトに依頼、その後記事は削除

※このトラブルについては、担当編集者の個人的な資質も大きな要因ですが、今回はメインテーマにしていません

「契約書を交わさない」という出版社の「常識」

私は以前、出版社で編集者として働いていたことがある。
(といっても、かなり前のことなので、これは編集経験者の感想というより、単なる個人の感想として読んでほしい)

漫画以外の雑誌・書籍を担当していたので、この漫画を読んでとても驚いた。

漫画家はボランティアが多いと聞く
その上単行本を出すまで契約書を交わさない事が通例らしく
「信頼関係が契約書の代わりです」と言いつつ販促物は無償だわ
単行本にならないと生活できない原稿料なのに単行本が出ない事が多々あるわ
なにそのメンヘラヤ●ザ

私がいた出版社では、新規のライターさん等と取引を始めるときには、基本契約書を必ず交わしていた。
そして、小さな依頼でも、その都度、個別契約書を交わしていた。

また、無償で何かを依頼することなど絶対になく、(ほとんどないが)ページの都合などで急遽イラストなどが使えなくなっても、使わなかった分も料金を払っていた。

私がいた出版社が特別では、決してなかったと思う。
複数の出版社と取引があるスタッフさんから「御社はきちんとしてますね~、他社は……」と言われたことは特になかった。

たぶん、この出版社がおかしいのだと思う。

(この漫画について出版社側は完全スルーのようだが、たぶん秘密保持契約書を結んでいないから何もできないんだろう)

タダで仕事を依頼するのは「やりがい搾取」

ではなぜ、この出版社では、契約書を交わさないという「常識」が許されているのか?

これは、漫画編集者側に「出版社がデビューさせてやった」「出版社が仕事を与えてやっている」というおごりがあるからでは、と思う。

たとえば、作家や大学教授などに原稿を依頼するとき、「契約書はないです、信頼関係が契約書の代わりです(キリッ)」と言ったら、断られるだけでなく、Twitterなどでばらされてボコボコにされるだろう。

「(契約などを整えないと)優秀な書き手が他社に流れてしまう」という危機感がなく、「契約が不満で他社に行くならご自由に~(行けるもんならねっ)」というおごりが見える。

そこには、漫画家やライトノベル作家などになりたい人が多く、実際にデビューできるのは一握り、という背景も影響していると思う。

力関係が、出版社>>>>>新人漫画家で、対等の仕事相手(または基本的な契約が必要な一人の人間)とみなしていないのではと思えてしまう。

「好きを仕事にできるんだから、タダでもいいよねっ」という、やりがい搾取だ。

だれも新人漫画家を守ってくれない

さらに驚いたのは、作中で、このトラブルを記事にしたまとめサイトに、佐倉さん本人が連絡していることだ。

編集者が教えるまで、佐倉さんは記事について知らなかった。

それでなくてもここまで煽るような記者に
出版社側から記事の取り下げをお願いしたら
「出版社が事実を隠蔽」とか逆に書かれて騒ぎになる恐れがあるので…
でもですね…漫画家さんから…その…ご連絡するっていうのは…できますよ?

(作中の、編集者の言葉)

さて、新人漫画家がまとめサイトに(その意志がないのに)「商業撤退」と書かれたときは、「自分のブログなどで(サイト名は出さずに)商業撤退はしないことを淡々と否定し、コメントなどは完全スルー。サイトに連絡などしない」のがベストなのでは、と思う。

だから、編集者の言動には疑問を覚える。
記事の存在を知らせることなどせず、もし本人が気づいて何か言ってきたら、連絡しないように説得するべきだったと思う。
おそらく、「スタッフをトラブルから守る」という考えが全くなかったのだろう。

今回の漫画出版にあたって、まとめサイト側が反論している。
漫画『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』について、編集部の見解

この反論へのネットの反応を見て思うのは、「いつも佐倉さんが批判の矢面に立っている」ということだ。
仮に、編集者が連絡していたら、まとめサイト側に手厳しく反論されたのは出版社だったろうから。

契約書もなく、タダで色紙1600枚を描き、批判は全部個人で受ける。
新人漫画家って、こんなにつらい職業なのか。

正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?

こうした「やりがい搾取」が行われるのには、いまが「コンテンツが史上最も安い時代」であることも大いに関係するだろう。

たとえば、去年くらいから「ネットの情報はすべて正しいものであるべき(ただし無料で、広告もなしで!)」という意見をよく見る。

しかし、書籍編集をしていた身としては、「タダで正しい情報を提供することは難しい」と思う。

本の内容が正しいのは、「お金をかけているから」だ。

信頼できる著者に原稿依頼し、校正・校閲をかけ、有識者にも吟味してもらう。
全部、お金がかかっているのだ。
それでも、つぶし切れずにミスが出ることだってある。
そのくらい、正しい情報を提供するのは大変で、コストがかかることなのだ。

「正しい情報を無料で得たい」という人には、「正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?」と聞きたい。

(たまに、弁護士などの有識者が無料ブログをやっているが、あれは、本来は有料の情報を「好意で」無料公開してくれているだけだ)

コンテンツそのものにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツが生まれなくなる

しかも、経費だけでは、優れた情報は再生産されない。利益が絶対に必要だ。

新人漫画家にタダで色紙1600枚依頼するトラブルが起きたのは、

(業界全体で漫画が売れないから)販促費が取れない
→弱い立場の新人漫画家に、そのしわ寄せがいってしまっている

という構図もあると思う。

いま、出版物は売れない。
以前は存在しなかった、無料スマホゲーム(一部の重課金者が支えている)、無料で見られる違法アップロード動画などがライバルになっているのと、出版物自体が違法ダウンロードされていることも、大きな一因だろう。

「無料で楽しめる」ことが「常識」になっていて、コンテンツそのものにお金と敬意を払うことのハードルが、すごく上がってしまっているのだ。

この漫画を読んで、「コンテンツは無料で当然」という「常識」が、回り回って、コンテンツを作りたいと志望する弱い立場の人への「やりがい搾取」につながっているように思えた。

出版社側が、契約書という超基本的な体制を整えるのはいうまでもない。

だが、新人漫画家が、基本的なことさえ交渉できずに「やりがい搾取」されているのには、漫画が売れないという背景もあると思う。

もし、Twitterなどで個人営業して、自作の電子書籍をバンバン売る漫画家がたくさん現れたら、(よい書き手を確保するために)こうした体制も変わってくると思うのだ。

コンテンツにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツは生まれなくなっていく。

応援したい作家や漫画家などがいるなら、「お金を出してコンテンツを買う」ことが何よりの応援だと思う。

久々に寄稿を再開したので、お読みいただけるとうれしいです~
父親との確執のおはなしも書いています~

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妻が夫との行為を拒む理由|渡辺ペコ「1122」

おじさんおばさんという人生の下り坂でも、楽に生きるために

『なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。』という記事を読んだ。

私は、夫も子どもも定職もお金もない(わりと悲惨な)おばさんだが、それでも、若いときと今を比べると、今の方が生きやすい。

今日は、人生の下り坂でも楽に生きるには、「年をとるメリットに着目する」「年をとるデメリットにとらわれない」が必要なのでは、ということを考えたい。

年をとることのメリットに着目する

年をとることは、体力や容姿などのダウンといったデメリットが強調されやすいが、実際は、年とともにアップしていくものもあると思う。

年とともに上がる能力もある

たとえば私は、記憶力と体力以外は、今がいちばん総合的な能力が高いと思う。

特に、文章を書くことについては、(ボケなければ)死ぬ間際に書く最後の文章が私のピークだと確信している。
私は苦しめば苦しむほど文章が書けるタイプだ。
晩年はきっと苦しむだろうから、その時に自分がどんな文章を書くのか今から楽しみである。

自意識が薄まって楽になる

10代のときは、道ゆくすべての人が自分を見ているような感覚(実際にはそんなことない)に襲われたが、今ではそんな感覚があったことさえ思い出せない。
よくパジャマで近くのパン屋に行くくらい、自意識とか恥じらいとかがなくなった(それは悪いことでは…)。

自意識が薄まると、コミュニケーション能力が伸びる。
私は、大学時代はゼミで発言するのも恥ずかしいほど自意識過剰だったが、今はもう人の目などどうでもよく、人見知りもほとんどしない。

年をとると、自分が大した人間ではないことを自然に受けとめられるようになるので、その分楽になった。

一つの価値観に縛られなくなる

20代くらいだと、親や学校、会社で出合った価値観くらいしか知らないため、そこからはみ出ることが怖くなる。

でも、30代に入ると、世の中には努力だけでは必ずしもうまくいかないことがあることが分かってくる。

たとえば、望んでも子どもができないこともある。
授かっても流れてしまうこともある。
結婚すればだれでもすぐ自然に子どもができると思うだろうが、実はそんなことはなく、健康な子どもは、まさに授かりもので奇跡だと思う。
だから、30代になると(そういう話の流れにならない限り)女性に「お子さんいますか?」と聞いたりしなくなる。

一見幸せに見える人も、みなそれぞれの天国と地獄を生きていることが分かり、あまり人と自分とを比べなくなる。

知っている価値観の数が少ないと、そこからはみ出た人を攻撃しがちなので、挫折が多い人のほうがムダな縛りがなくなって、自分にも他人にもゆるゆると生きられるのかもしれない。

年をとるのが楽しみになるような趣味をもつ

(うろ覚えですまないが)マンガ「昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)」の何巻かで、落語家は70過ぎてからがピーク、みたいな表現があった。
俳句の入門書などにも、俳句は30年くらいやって、やっと違いが分かってくる、みたいな表現がある。

このように、年齢や経験を積んでこそ達する極みを実感でき、年をとるのが楽しみになるような趣味を持ちたい。

そして、他人と比べることなく、自分比で「○年前よりうまくなってる」と自らの成熟を楽しめるようになりたい。

年をとることのデメリットにとらわれない

ここまで「年をとることのメリットに着目する」について考えてきたが、人生の下り坂でも楽に生きるには、同時に「年をとることのデメリットにとらわれない」ことも必要になる。

悲しいけれど、年をとるにつれ不利になる事柄はある。
「体力」「容姿」「恋愛・結婚・出産」などだ。

たとえば、容姿。
自分の存在意義を「女はやっぱり顔とカラダ!」としてしまうと、年をとるにつれ辛くなるばかりだ。

自分で自分を評価するときに、大事だと思うポイントを、容姿などの年をとるとダウンする要素から、(たとえば気品などの)年をとるとアップする要素へと移していった方が生きやすくなるだろう。

また、容姿などはどうしてもピークだったとき(20代など)と比べてしまいがちだが、「3年前と比べて、そんなに変わってない~」くらいの方が楽に生きられる。

年齢制限内にできなかったことは、もう仕方がない

あと、年齢制限があること(出産など)が若いうちにできなかった場合は、けっこうつらい。
私は、若くて体力があるときに出産できなかったことが大きな心残りで、あきらめることはできているが、何かの折に涙目になってしまうことはある。

だが、残念ながら、若くて体力があったときは戻ってこない。

それなら、この思いは自分を苦しめるだけでムダなので、たとえ血の涙を流すほどつらくても、「あ~、もう、しかたないっ」と心の中の冷凍庫で凍結させるしかない。

出産しなくても、子どもと関われる方法はいろいろある。
老後に、子ども向けの寺子屋を開いて先生になってもいいし、里親制度だってある。
できなかったことを悔やむより、今からできることを前向きに考えていきたい。


おじさんおばさんになっても、まだ人生は半分くらい残っている(ラッキーな場合)。

田舎の小さな図書館にある本でさえ、一生かかっても読みきれない。
未体験のエンターテイメントはいくらでもある。

私がおばあさんになるころは、氷河期世代の孤独老人が大量に発生して、社会問題になっているだろう。
でも私は、おばあさんだらけのシェアハウスを作るなど、自分ができる範囲のことをしたい。
おばあさんだらけのシェアハウスで、そのときの最新技術(なんだかわからないが)の勉強会を開いたりするんだ。楽しそうでしょ。

年をとることのデメリットや恐ろしさより、メリットと、今日も生きていられる喜びと感謝に目を向けて、生きられる限りは前向きに生きたい。
(いつもネガティブな私だからこそポジティブに書いた)

冬の体調不良を乗りこえて、久々に寄稿を再開したので、できたら読んでください~
父親との確執のおはなしも書いています~

www.onecareer.jp

※これは、ぱっとしないおばさんが思った、単なる個人的な感想です。お金があるか、子どもがいるかなどで、考え方はかなり変わってくると思います。