ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

独身中年の孤独|家族は「制約」か「絆」か

7月末にTOKYO FMのラジオ番組に出演するという、myブログ史上、最高の栄誉を得た直後に入院した。
退院できたものの、気力がなくなって何もできなくなり(寝るしかできない)、最近やっと浮上してきた。

その間、はてなでは「独身40代の孤独」について盛り上がってたようで。

anond.hatelabo.jp

qtamaki.hatenablog.com

2つ目の記事の結論「子供を作る」は、ある意味真理だけど、独身40代にとっては難しい。

既に3周遅れだけど「独身中年の孤独」について、独身・中年・子なし・恋人なし・金なし・職なし(自称ライター笑)・精神疾患・不健康・母は認知症、の私が思うことを書いてみる。

「孤独」は独身最大のデメリットでありメリット

「孤独」は、独身最大のデメリットだと誰もが思うだろう。

しかし、独身最大のメリットである「自由」は、孤独と表裏一体だ。

私はよく「両親を看取った後はどこでも行ける」と考える。
そうすると、目の前が開けてどこまでも草原が広がっていくような、すごく自由な気持ちになるのだ。

もし夫や子供がいたら、夫の両親とか、夫自身とか、子供が大きくなるまでとか、様々な制約がかかるが、私の場合は両親2人分しか制約がない。

夫や子供がいなくて孤独だが、その分自由だ。

家族を「制約」「絆」どちらに捉えるかが、結婚に向いているか向いていないかの分かれ目

上記で、両親を「制約」と捉えるか「絆」と捉えるか、これが、結婚に向いているか向いていないかの分かれ道のように、私には思える。

結婚は向いている人と向いていない人がいる。

パートナーがいたら、自分の時間とお金を100%自分で使うことは難しくなる。
子供が欲しくて結婚したのに、パートナーが不妊だと分かったとか、病気になってしまったとか、人生には予想外なことがいろいろ起きる。

その時、パートナーを「制約」と思うか、時間やお金や苦労を分かち合って人生を積み重ねていける「絆」と思えるか。

「制約」と思ってしまうなら、結婚しないことをお勧めする。
「絆」と思うことができるのにまだ結婚していないなら、全力で相手を探すことをお勧めする。

私も、仲の悪い父と力を合わせ、認知症の母を見守っていて、正直自分にしては頑張っていると思う。
それでも、両親を「制約」と思ってしまう私は、やはり結婚に向いていない。
だから、「挿入は要らない」で書いたように離婚したのだけど。

「自由だけど孤独」「孤独ではないけど不自由」どちらを選ぶか

私のように、「自分は結婚に向いていない」「孤独と自由は一体」と分かっている場合は、匿名ダイアリーの「独身四十代の孤独」に書かれていたような絶望的な孤独感は少ない。

でも、「自由は欲しいけど、孤独は辛い」と感じる人には、独身は辛いかもしれない。
しかし、そういう人は結婚したらしたで、「孤独ではないけど、自由が欲しい」と思うのかもしれない。

「自由だけど孤独」「孤独ではないけど不自由」どちらを選ぶのか。

繰り返しになるが、不自由を不自由と思うのではなく、パートナーと人生を分け合える醍醐味と思える人は、結婚に向いている。

結婚しても孤独

独身だろうと既婚だろうと、「どう孤独に向き合うか」については、誰もが考える必要がある。

独身だから孤独、と思いがちだが、結婚しても孤独という状態はあり得る。
むしろ、誰かと一緒なのに感じる孤独は、一人の時に感じる孤独よりも寒い。

私は、結婚している時にパニック障害(精神疾患の一種)を再発したが、元夫は仕事で忙しく、私の病気に無関心だった。
実際、仕事で忙しいと言いつつ風俗に行っていたことが後で分かったが、それは、そうさせてしまった私が悪い。

それでも当時は、独身の今よりも孤独だった。
それは、夫に期待していたからだろう。独身なら、誰にも期待はしないから。

人は、誰といても結局は一人なのだと思う。
当時私は、病気の再発がショックで、人生を投げていた。
自ら人生を投げた妻を支えてくれる夫などいない。
自分の病気は自分で治す気概が必要なのだ、たとえ結婚していても。

誰と生きていても、同時に、一人で自立していること
自立とは孤立ではなく、いろんな人に「程良く」ヘルプを出せること。
他人と助け合いつつも、自分の問題は最後は自分で解決するしかないという意味で、人は結局は一人なのだ。

他人との距離感を保ちつつ、知り合いをたくさん作る

どう孤独に向き合うか、自立して生きられるか、そのためには「他人に期待しないこと」、つまり、他人との距離感が大切だと思う。

期待しなければ、裏切られず寂しくもない。
裏切られるというのは、他人に裏切られるのではなく、他人に期待しすぎた浅はかな自分の心持ちに裏切られているのだ。

そして、「他人との距離感を保ちつつ、知り合いをたくさん作る」ことは、私にとっては有効である。

私は、母をできるだけ外に連れていくようにしている。
その一つとして、あるボランティアを始めた。
メンバーは(私以外は)60〜80代女性で、普段あまり接する機会のない年齢層の人たちと一緒に何かをやることは新鮮で楽しい。

独身の場合、学校や会社、趣味の範囲で知り合いを作ることが多いだろう。
主婦だったら、ママ友や地域関連などそれ以外の知り合いもできるのだろうが。

だが、実は独身者こそ、地域の知り合いを作った方が生きやすいのではないか。

仕事の知り合いは退職すれば仲も終わるが、ボランティアなら一生続ければつきあいも死ぬまで続く。
独身男性には難しいと思うかもしれないが、私がやっているボランティアには若い男性がいないので(30〜40代でも「若い」扱い)、大歓迎されるだろう。

ネットで他人を酷評しないのは、自分のため

知り合いをたくさん作るためには、他人に対する評価をできるだけしない、つまり、人を選別しないことが最も大切だと思う。

たとえば、ネットで叩きやすい人(プロブロガーなど)を汚い言葉で酷評する人がいるが、そういう行為は自分のためにやらない方がよい。
(批判と酷評はちがう。批判するのに口汚く罵る必要はない)

自分のためにというのは、自分の評判を落とさないためという意味ではなく、ネットでの習慣は実生活をも侵食していくからだ。

ネットで他人を酷評している人は、リアルでも他人との距離感が分からなくなって、品定めしたり、上から目線になったりなど、無意識に失礼な行為を取っている可能性がある。
行動には出していなくても、偏狭で容赦ない価値観を持っていると、言葉の端々から何となく伝わるものだ。

独身こそ知り合いはできるだけ作っておきたいので、やわらかい雰囲気を保てるよう、心の努力が必要だと思う。

ただ、怪しいビジネスや新興宗教などに誘われる可能性もあるので、他人に対する直感や評価の材料はキープしつつ、判断をあえて途中で止めておいて、決定打が出るまでは仲良くなりすぎない、というようにするのがよいかも(難しいが)。

最期はどうするか

独身だと、どうしても孤独死のことを考える。

それについては、私は絶対これだけはやると決めたことがあって、幸い60過ぎまで生きることができたら、おばあさん(おばさん?)だらけのシェアハウスを作りたい(作るには様々な問題があるけど、ここでは語らない)。

私は氷河期世代なので、この世代が高齢化すると、お金も身寄りもない高齢者が世に溢れるだろうと思っている。
独身中年は氷河期世代ともかぶっているので、できるだけ同世代で連携したい。

そのためにはやはり、他人を評価するのをやめ、やわらかい雰囲気を醸し出すことが大切だ。

えらそうなことを書いてきたが、自分が20代に戻った夢を見て「よかった、私まだ20代なんだ。あれ、ほんとにそうだっけ?」と夢の中で年齢を数えてしまう、どうしようもない私のための自戒のメモです。