ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

「産めない」「稼げない」人に人権はないのか|杉田水脈議員のLGBT発言

自民党の杉田水脈衆院議員が、「新潮45」8月号に寄稿した「『LGBT』支援の度がすぎる」(以下ここから引用)が物議を醸している。

LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。

これには3つの間違いがある。

  • 子供を作らない人には生産性がない
  • 生産性がない人に税金を使う必要はない
  • 「生産性」の定義

今回は、「生産性がない人に税金を使う必要がない」という主張について考えていきたい。

自民党は元々、「普通」から外れた人に苛烈

自民党は、BuzzFeed Newsの取材に対して「杉田水脈衆院議員の寄稿文につきましては、議員個人としてのものと理解しております」と回答し、杉田氏を容認している。

杉田水脈議員のLGBT寄稿、自民党は「個人としてのものとして理解」

それは、自民党議員や支持層は、内心同じことを思っているからではないか。

「子供を作らない人には生産性がない」については、直近では、「3人以上の子どもを産み育てていただきたい」と発言し、のちに撤回した自民党の加藤寛治議員は、撤回後に「批判は、甘んじて受けなければいけないが、それ以上の賛同と激励をいただいた」と述べている。

“3人以上産んで”発言「賛同と激励もある」加藤氏

「生産性がない人に税金を使う必要はない」については、第2次安倍政権発足後の2013年から継続して、生活保護費が削減され続けている。
また、今年になって、日本年金機構が障害年金受給者1000人に対して、打ち切りの可能性を予告したことがあった(後に撤回)。

生活保護費の削減 安倍政権下で総額年1480億円

杉田氏は、こんなことも述べている。

『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は、『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

自民党にとっての「普通」の人々とは、子供をたくさん産む男女の夫婦や、生活保護や障害年金をもらわない人なのだろう。

そして、「生産性がない人に税金を使う必要はない」という主張は、自民党支持者においては一定の支持を得ているのだろうと予想する。

日本の人権教育には、「貧困」という視点が抜けている

この「生産性がない人に税金を使う必要はない」という主張は、人権侵害である。

人権の考え方については、ブレイディみかこ「THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本」(以下全てここから引用)を紹介したい。

英国の公立小学校では、ヴィクトリア朝時代の英国における社会格差について学ぶ。

ディケンズの小説「オリバー・ツイスト」について教わり、貧困層の子供の格好をして当時の生活を疑似体験する。
そして、貧困とは人間から人権を奪うもので、現代の子供たちが煙突掃除やメイド仕事などの労働をせずに学校に行けるのも、不衛生なスラムの部屋で暮らさずにすむのも、人権が守られているからだと教わる。

対して、日本はどうか。

法務省「人権教育・啓発に関する基本計画」の、第4章「人権教育・啓発の推進方策」において、人権教育の各課題の中に「貧困」はない。

日本で「貧困と人権」という話になると、路上生活者へのいじめはやめましょうとか、そうした「差別」の方面から語られることは多い。が、そもそも、著しい貧困は人の尊厳を損なうものであり、そのことを社会が放置することの人権的な問題は教えられていないのだろうか。差別だけが人権課題ではない。貧困をつくりだす政治や経済システムもまた人権課題なのである。

日本の社会運動が「原発」「反戦」「差別」のイシューに向かいがちで経済問題をスルーするのと同じように、人権教育からも貧困問題が抜け落ちているのではないだろうか。

私感だが、「貧困は尊厳を損なうものであり、そのことを社会が放置することには人権的な問題がある」という問題提起自体をあまり聞かない。

むしろ、貧困を「自己責任」と定義し「自らの努力不足を社会のせいにするな」と責めることが、日本では一般的に思える。

実際、日本に行くまでわたしは、英国やスペインの若者や失業者たちが「新自由主義と緊縮財政の犠牲になっているのは自分たちなのだ」と立ち上がる姿を見ていたので、どうして日本でも同じことが起きないのか、と思っていたのである。しかし、もやいで困窮者の若い人々を見ていると、彼らにそれを望むのは酷な気がしてきた。

日本の貧困者があんな風に、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力なくぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、つまるところ「アフォードできること(支払い能力があること)」だからではないか。それは結局、欧州のように、「人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を持っている」というヒューマニティの形を取ることはなかったのだ。

「どんな人にも人権と尊厳がある」はずだが、日本では「稼げる」=尊厳であり、何らかの事情で稼げなくなった人が、自らの権利を主張する気力を失って罪悪感とともに生きていく例は、SNSなどでもよく見られる風景だ。

今よりも「義務」が強調され、人権が軽視されていく

自民党の「日本国憲法改正案」では、現在の憲法に、下記の太字が追加されている。

(国民の責務) 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

つまり、権利には「義務」が伴うことが強調されている。

この憲法のもと、納税の義務を果たせない貧困者・障害者への支援が縮小(既にされている)ゆくゆくは切り捨てられる未来や、「義務」が「子供を産む義務」にまで拡大されて、LGBTや不妊に悩む人などの子供を産めない人の権利が縮小されていく未来が、目に見えるようだ。

「稼げない」人への抑圧が、「産めない」人や他の層にも拡大される可能性

さて、私は精神障害者であり、「挿入は要らない」でも述べたように同性が好きな、杉田氏の定義では「生産性がない人」である。

だが、杉田氏の発言を知っても「あ〜、自民党ならそう思うだろうな〜」と特に驚かなかった。
それは、私が「稼げない」「生産性がない」「『普通』ではない」ために、普段から抑圧に慣れきって麻痺しているからだ。

だから、勝間氏が自ブログに自民党への批判記事を投稿したことについて、逆に新鮮さを感じた。
ああ、これが真っ当な反応なのだと。やはり、声を上げていくことは大事なのだと。

これから勝間氏のような、「稼げる」ために自民党のマイノリティ軽視に気づいていなかったが、「稼げない」層への抑圧が(「産めない」などの)自らの属性に拡大されることで、自民党の党是に気づく人たちが増えるのかもしれないと思った。

私たちは、経済を人質に取られ、自民党に投票している。

気づいた時には、義務ばかりが重く課せられ、権利は奪われているのかもしれない。

「どうして『人権は誰にでもある』という話になったかというと、そうしないと社会はありとあらゆる人を排除していくだけだからです」

「私たちはみな資源に依存して生きている。ところがその資源が消えることもある。お金もそうだし、体の機能が停止するとか、言葉がわからない国に行かなくてはならないとか。そのときに、資源が全部なくなっちゃったとしても、最後まであるのが人権です。逆に言うとそのときまで人権は表に出て来ません。お金があるならお金を使いなさい。友達がいるなら友達に頼りなさい。体力に自信があるならそれを駆使して頑張ればいい。でも、それが全部なくなって頼るものがなくなったとき、底にある蓋が人権です。社会には制度というバケツがあり、このバケツにはけっこう穴が開いているので、それをうまく底で受け止めている蓋が人権なんです」

THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本

THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本