ニャート

出版社を過労で退職→ひきこもり→非正規雇用を経て、社会のあり方について思うことを書いています。

ひきこもりを殺さないで

「ひきこもりが再び働き始めた朝に」で書いたように、私は過労でパニック障害になり、退社後はひきこもりになった。

働いていたときの貯金から生活費を出していたので、金銭的には親の負担になっていないはずだが、心理的には大きな負担を与えていたと思う。

パニック障害は、呼吸困難などとともに「このまま死ぬのでは」と強い不安を覚える発作が起こる。そのため、一時期は全く外に出られなかった。

人生に絶望した私はCG動画製作に没頭し、昼も夜もモニタを見続ける生活を送る。
飽きっぽい私が、そこまで何かにはまったのはこの時期だけだ。
いま振り返れば、挫折した(と思い込んだ)人生をCG製作で取り返したいという代償行動だったのかもしれない。

家族から見れば、そんな私はさぞかし異常に映ったことだろう。
批判されて、夜中に隠れてパソコンを立ち上げるようになった。

ある日もそうして、暗闇にほの暗く光るモニタの中で踊る人形を見つめていると、突然ふすまが開く。
父が土下座をしていた。
「頼むから、もうパソコンをやめてくれ。怖くても、向き合わないと病気は治らない。人生を投げるなよ……」
父は嗚咽していた。

これを機に、私は動画製作を封印し、パニック障害を克服するために努力する。
そして、短期のアルバイトから始めて、派遣などの非正規雇用を転々としているが、7年ほど働き続けている*。


その後、母が認知症になった。
以前から母は「もし痴呆症になったら自殺する」といっていたので、本人には内緒にしている。

父も私も、母が認知症になったことを受けとめるのに少し時間がかかった。
母がアルツハイマー病と診断されたことを父は1年ほど隠し、私と妹に打ち明けてからも、要介護認定の申請に反対した(最終的には申請した)。

それまで受診していた病院に不安な点があったので、私がよい病院を探して変えた。
その病院では毎回、「最近、印象に残ったニュースは何ですか」などの質問をしてくれる。
母は突然質問されると(覚えていないから)答えられないので、父が出そうな質問の答えを直前に教えている。
認知症の進行判定を妨げるので、その件で私と父は何度も争ったが、あることに気づいてからは父に任せている。

初めは、父自身がショックで受けとめられないのだと思っていた。
でも、ちがう。父はいつでも、母がどう思うかを考えているのだ。

質問に答えられないと、母が「恥ずかしい」と気にするから、答えを教える。
ヘルパーさんが家に入ったり、デイケアに行ったりすると、母が「私は痴呆症なの?」と気づいてしまうから、要介護認定を申請してもサービスを使わない。

父本人が「恥ずかしい」のではなく、母が「恥ずかしい」と感じてしまわないように配慮している。


元事務次官の父親がひきこもりの息子を殺害した事件で、父親が「川崎の事件を見て、息子も周りに危害を加えるかもしれないと思った」と供述しているニュースを見た。

まるで自分のことのように思えた。
殺された息子と私と、どれだけ差があったというのか。
そして、父は泣き崩れたあのときも、私を信じてくれていたことに気づいた。

父の外見は松方弘樹に似て正直怖く、「めんどり(女性)がトップになったら組織は滅ぶ」「毛唐(外国人)は出て行け」など暴言の塊なのだが、意外にも行動はやさしい。

あの夜、私との軋轢が最も高まったときでさえ、父がとった行動は泣き崩れることだったのだから。

父が、ひきこもった私を「恥ずかしい」と思うタイプの親だったら、殺されていてもおかしくなかった。
でも、父は私に手を出さずに、自身が泣き崩れた。

もし父が私を殺していたら、いま母の介護をしている私はいない。
介護している(役に立っている)から、働いているから、私が生きていても許されるといいたいのではない。
ひきこもり問題に限らず、人は相手を、今この瞬間だけで「この人は終わった」「恥ずかしい」と断じるのではなく、「まだ人生は続く」「ここから変わる可能性がある」と信じる必要があるのではないか。

父は、認知症の母のことも信じているのだ。
認知症は治らないが、ケアの仕方で進行はかなり遅くなると私は実感している。

母は1分前のことも覚えていないが、「何時何分に何をした」とこまめにメモを重ねていけば、メモが記憶代わりになって記憶があるかのように行動することができる(覚えてはいない)。

家にいたきりでは、脳が刺激されずにどんどん進行していく。
脳を刺激するために、私は毎日母と公園を散歩して、朗読ボランティアなど集まりの場にも一緒に参加している。
アクセントなどを指摘されても覚えていないが、読む直前に私が教えればよい。
実際、「まだこんなに上手に読めるんだ」と感動することも多いのだ。

認知症だけど、周りがサポートすれば、その人のペースで活動できる。
おそらく、ひきこもりも同じだ。

だけど、周りにサポートする手間をかけさせるくらいなら、親子間でさえも「一人で死ね」と断じるのがいまの日本のように思える。

ひきこもりになった私を受けとめられずに迷った父。
だけど、私の未来を信じると決断してくれた父。
私を殺さないで、信じてくれて、ありがとう。

子どもがひきこもりなら、親が殺してもよいという風潮が怖い - ニャート

*これは「りっすんブログコンテスト2019」への応募コラムです。そのため、意見の主張にまでは至っていません。 私自身は就労によって問題が半分解決しましたが、ひきこもりの解決策が就労とは思っていません。また、親が動画製作を否定せずに外部とつなげるきっかけにするという考え方もあったと思います。まとめて後日に書きます。

#「迷い」と「決断」

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