ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

氷河期世代のゆるい団結方法を考えたい(ふんわりしたメモ)

今後、日本がますます沈没してきたら、真っ先に切られるのは氷河期世代という話。

togetter.com

まあそうなるよね。

この話、このブログで何回するんだよという感じだが、氷河期世代は政治から見放されているのに団結できない、ではどうするかについて、今日は頭を真っ白にしてもっとゆるく考えてみたい。

氷河期世代が個人で政治的主張をするのは効果的ではない

私の実体験から思うに、個人がブログなどで氷河期世代の待遇改善を訴えるのは、自らにヘイトを集めるだけであまり効果的ではない。

主張の内容ではなく、個人の属性が注目されて「自己責任」と叩かれて終わるだけだ。また、どうしてもネガティブなイメージになるので、ブロガー個人のブランディングが難しくなる。そうするとブログが苦痛になって続かない(私のように)。

ストライキはハードルが高く「思える」

個人で訴えるのが効果的でないのなら、集団ではどうだろう。

ひとつの方法として、ストライキが挙げられる。労働者に与えられている労働三権はかなり強力で、使わないのはもったいない。

しかし、非正規雇用が長い自分のこれまでを振り返ると(n=1)、金にも気持ちにも余裕がない人がストライキを起こすのは、かなりハードルが高く「思える」。これはただのイメージで、実際はそうでもないかもしれないが、気持ちに余裕がない時は実際の着手まではイメージを鵜呑みにしてしまいがちだ。

さらに、自分の待遇改善を訴えるのは恥ずかしいという気持ちがある。「自己責任」の呪いは強大で、訴えないといけないほど待遇が悪いのは自分のせい(自己責任)と考えてしまう。本当はそうではないのだが、ここで「本当はそうではない」と書くのもためらわれるほど心のブレーキが作用している。

このような、「個人の待遇が悪いのは100%個人のせい」という社会的なブレーキを取り除いていかないと、ストライキとそれに対する理解は広がりにくいだろう。このブログでもその試みが論理的にできるといいが。

ゆるく楽しく政治的な主張を集団でできる方法を考えたい

ストライキ権は強力な権利だが、氷河期世代の年代でもなじみのない、時代遅れのスタイルであるとは言える。

ここはガラッと発想を変えて、ゆるく集団でつながれて、楽しく政治的な主張をするスタイルを考えるのはどうだろう。他の世代から見て、ネガティブすぎず疎まれない形で。今はノーアイデアなので、これから考えていきたい。

氷河期世代が集団での社会的活動を避けるのは、思春期にオウム真理教の騒動を目にした影響があるように思える。あの騒動で「集団はダサい」と印象づけられ、個にこだわり、政治的・労働的に最低限必要な集団活動まで放棄してしまっているのでは。

……今日はここまで。

私の近況だが、去年(2021年)の春頃に婚活を始めて現在の婚約者と知り合い、約1年前に実家を出て婚約者と暮らしていた。(つまり両親とは別居していたが)今月、父がアルコール依存症で入院してしまい、認知症の母を現在は私が実家で見ている。ショートステイの手続き等はしているが、これからどうなるか。

↑この段落だけでネタがいっぱいで、これをブログに活かさない手はない。今後このブログは、「アル依の父と認知症の母」と婚活コラムと検索用記事、合間に氷河期世代のゆるい記事で考えている。

続き nyaaat.hatenablog.com