ニャート

パニック障害で退職→ひきこもり→非正規雇用の氷河期世代。だめ人間が何とか日常を投げずに生きていくためのメモ書き。

失敗例から考えた、批判の受けとめ方と伝え方

ブログを書いていると、いただいたコメントについて「これは受けとめるべきか?」と悩むことがあります。
今回は、私の失敗例をもとに考えた「批判はどこまで受けとめるべきか、そしてどうやって伝えればよいか」についてメモしておきます。

批判/非難/中傷/意見のちがい

まず、言葉の定義から。(引用すべて:デジタル大辞泉)

批判:
1.物事に検討を加えて、判定・評価すること。
2.人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

非難:人の欠点や過失などを取り上げて責めること。

中傷:根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること。

批判と非難のちがいは「責めているか/いないか」、非難と中傷のちがいは「根拠があるか/ないか」であることが分かります。

意見:
1.ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。
2.(意見する)自分の思うところを述べて、人の過ちをいさめること。異見。

私の中では「意見」はやわらかいイメージがありましたが、「批判する」も「意見する」も「相手の過ちを指摘する」という意味を持つようです。

アイデアを伝えることと批判のちがい

私は、一緒に何かをやる人とは「意見交換」をしたいと前に書きましたが、これはアイデア出しやブレストのことです。

アイデア:思いつき。新奇な工夫。着想。

ブレーンストーミング:米国で開発された集団的思考の技術。自由な雰囲気で、他を批判せずにアイデアを出し合い、最終的に一定の課題によりよい解決を得ようとする方法。ブレスト。

中には、「この目的のためには、こういう方法がありますよ~」と伝えることを、自分に対する「非難」と受けとってしまう人がいます。

そうした誤解を防ぐためには、最初に相手がアイデア出しを望んでいるかを確認してから、「これはアイデア出しですよ」(あなたを批判するものではないですよ)と宣言して始めるのがいいと学びました。

批判をどこまで受けとめるか

ブログを書いていると、批判をどこまで受けとめるかは悩むところです。
私は、難しく考えないで、これでいいのではと思います。

  • 事実誤認や迷惑行為は正す
  • エゴサーチ(自分の名前などでの検索)はしない
  • 攻撃的な文章は読まなくていい
  • 自分も直したい点への批判は受けとめればいい
  • 考え方や生き方など人格に関わる批判は、「非難」であることが多い

批判する側は、「俺の批判は、全文を注意深く読み、誤読せず、全部受けとめて、言動をすぐさま正せ」と思いがちですが、そんな必要はありません。

批判する権利もあれば、スルーする権利もあるし、相手が正しいとも限りません。

それでも、最低限修正が必要なポイント(事実誤認や迷惑行為)は修正しなければなりませんが。

自分も直したい点への批判は受けとめればいい

私は1年前に「エゴサーチをしない」と決め、はてなブックマークのコメントも読んだり読まなかったりします。

だけど、「嫌味な文章」「読みづらい悪文」などの、文章の分かりやすさに対する批判は、どんなものでも比較的受けとめて、直すよう努力をしています。

つまり、自分も直したい点への批判は受けとめて、別にこのままでいい点への批判はスルーすればいいと思います。

考え方や生き方など人格に関する批判は、「非難」であることが多い

たとえば、(これは私宛てではありませんが)「精神疾患で障害年金をもらうな」という批判。

批判の定義は「相手の間違いを正す」ですが、精神疾患で障害年金をもらうことは、別に間違いではありません。
だから、批判ではなく、非難(相手を責めること)になってしまっています。

相手を非難している人は、そのことへの自覚がないことが多いです。

「あなたのためを思って」「老婆心から」と言ったりしますし、受け入れないと「批判と非難のちがいも分からないのか」と怒ったりします。


まとめると、

  • 批判する権利があれば、スルーする権利もあるので、気楽に考える
  • 最低限必要なことだけ正し、自分が必要なことだけ受けとめればいい

で、よいのではと思います。

批判をどうやって伝えるか

今度は逆に、批判を伝えたいときはどうすればよいのかを考えてみます。
失敗談をもとにしているので、私も全然できていません。

  • 個人への批判はしない
  • どうしても批判したいなら、三倍返しにされる覚悟を持つ
  • シンプルかつ最低限の量で、強い言葉は使わず、淡々とした文体で
  • 「相手が間違っている」という認識は自分の主観に過ぎない、という観点を持つ

「お前が言うか」と言われるでしょうが、「個人への批判はしない」というのが、数々の失敗から至った私の結論です。

どうしても批判したいなら、三倍返しにされる覚悟を持つ

自分が先に批判したのに、いざリアクションを返されると、怒ったり記事を消したりする人を見かけます。

忘れがちですが、批判は双方向のコミュニケーションですので、相手からの反応を想定したり、相手に効果的に伝える工夫をしたりする必要があります。

下手すれば恨まれて、言及で三倍返しにされることもあります。

だから、どうしても批判したいなら、その人と絶縁する可能性まで想定しておく必要があります。

シンプルかつ最低限の量で、強い言葉は使わず、淡々とした文体で

批判は、全部読んでもらえるとは限らないし、正しく伝わらないことが多いです。

相手が嫌がるような単語や手法(いくつか引用して理詰めで追いつめるなど)を使うと、全部読まれずに誤解されて、恨まれることもあるかもしれません。

批判に限らず、文章は、まず読んでもらって、正しく伝わらなければ、意味がありません。

そのためには、シンプルかつ最低限の量で、相手が嫌がりそうな強い言葉は使わず、淡々と平易に書いた方がいいと思います。

「相手が間違っている」という認識は自分の主観に過ぎない、という観点を持つ

何かを批判したい場合、「相手が間違っていて、自分が絶対正しい」と思いがちですが、その認識は危ういと思います。

世の中にはいろいろな考え方があります。
Aの立場から見れば相手が間違っているように見えても、Bの立場から見れば自分が間違っているように見えることもあります。

「相手が間違っている」という認識は絶対ではなく、自分の主観に過ぎない可能性もある、という観点を持つことは大切です。

まとめ

「相手が嫌がる表現を使ったら批判は伝わらないよ」「批判もコミュニケーションだからどういえば伝わるかは考えようね」「相手を殺したいから非難する人ははむケツぺんぺんだよ」

(これはハムスターのイラストです)

さて、このイラストは、私自身にもブーメランで返ってきます。

個人を批判しても、「わざわざ自分が批判する必要はなかった」「批判の伝え方が悪かった」ということになりがちです。

私のように血で血を洗う武闘派ブロガーになりたくなければ、個人への批判はしない方がいいでしょう。

はーむケーツぺーんぺんっ

(一部、笑いに昇華できていない部分があったので、削除しました)