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ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

宗教は金を超えられるか(猫になりたい班)

生きづらさ

phaさんの「宗教っていいよね」を読んだ。

「自分がもし身寄りの無い年寄りで、家族も友達もいなくて寂しく一人暮らししていたとしたら、誰かが定期的に訪ねてきてくれたらそれだけでものすごくうれしくない?」
それはすごくいいなと思ったし、そういう役割を果たしているのは、宗教か家族くらいしか現実的には存在しないのかもしれない。

戦後の日本社会は、終身雇用のもと、会社が個人の面倒をみてきた。
手厚い福利厚生や、行事や飲み会、社宅コミュニティなどのコミュニケーションなど。
終身雇用が当たり前だったから、それ以外の「中間集団」が発達しなかったのかもしれない。
だから、その枠から外れる人(非正規など)が増えてきている今、受け皿が少ないのかもしれない。

例えば、派遣社員は3年で雇用が終了する。
周りも、3年でいなくなる人と、深い関係を持とうとしない。

前に働いていた会社で、「派遣社員から結婚式に呼ばれて困っている。どうせいなくなってしまうのに、ご祝儀を出したくない。空気を読んでほしい」と言っていた正社員の人がいた。
就職後は、一日の大半を仕事が占める。
職場のコミュニティから締めだされると、就職前のコミュニティ(学生時代の友人など)以外、結婚を祝ってくれる集団もないことをさみしく思った。

外国だと、会社以外にも、教会とか、労働組合とか、合唱団とか、いろいろな中間集団がある。
やはり、大きいのは宗教団体だろう。

私の中で、宗教は「金をとられる」「だまされる」「マインドコントロールされる」というイメージが強い。
実は、引きこもり時代に宗教に入りたくて(救われたくて)、いろいろ調べたことがあった。でも、いい団体は見つからなかった。

引きこもりを脱した後、ある宗教団体に属している社長を間近でみる機会があった。
その社長は、宗教団体が顧客になってくれることもあり、かなり儲かっていた。
社長は、商売上、悩んでいる人に理解がありそうな顔をするけど、相手が自分の宗教理論を受け入れなければ(=商品を買ってくれなければ)、「悪しき存在に憑かれているから救えない」とバサッと切り捨てた。

社長自身も、宗教で満たされているようにはみえなかった。
承認欲求がとても強く、常に「あなたはすごい」と言われないと気がすまない人だった。
取り巻きはそれを分かっていて、お金がほしい時は褒めたたえる。
社長は、取り巻きにかなりのお金を使っていた。

私は思った。
宗教なのに、いや、宗教だからこそ、結局は金のつながりなんだな、と。

この前書いた「生きづらい人々の受け皿がプロブロガーしかない問題」は、ブログサロンを行うプロブロガーに対する感情を整理できないまま、複数の論点をごちゃまぜにして書いたので、「こいつ何いってんだしねよ」って感じだったかもしれない。
「受け皿がない」ではなく、「受け皿は少ないけど、このようなものがある」と紹介する方が良かった。だから、もっと後で訂正記事を書くと思う。

あれは、徹底的に私の主観なのだ。
私は単に、一見いい顔をして、実は金やメリットにつなげることしか考えていない人々が、嫌いなのだ。

私がブログサロンを問題と思ったきっかけは、ブログコンサルを受けてブログの方針を悪い方に変えてしまった、心を病んでいるブロガーを見たためだ。
マネタイズを意識しすぎる前は、精神障害者支援を受けた体験を書くなど、情報価値もある素朴ないいブログだったのに。

PVや収益を誇るはてなブロガーたちやサロン仲間と楽しそうにしていたから、「幸せなら私が口を出すことはない」と思っていたら、儲からないと悩み、仲間うちで揉めて、突然消えてしまった(特定されないよう曖昧にしか書けない)
(ブログのマネタイズ自体は、家から出られなくても小銭を稼げるなど、いい面もたくさんある。ただ、金のことしか考えられなくなり、自分のブログのよさが分からなくなるのは問題だと思う)

金やメリットでつながっている仲間は、それがなくなれば離れていく。


生きづらい人々が所属できるなら、別に宗教でなくてもよいけれど、今日は宗教のあり方について考えてみたい。
宗教は、本当は、苦しんでいる人が生きていく支えになるべきものだと思う。

そういう宗教団体で「気軽に」入れるものが日本にあるのかは、正直よく分からない。
ふつうに過ごしていれば、新興宗教が問題を起こした時のニュースくらいしか聞かないため、宗教には親しみよりも警戒心を覚える。
仏教やキリスト教などの大きな宗教は、教義が好きになれないし、ストイックさを強制されるのも嫌だ。

そんな宗教にうとい私がようやく思いついたのは、イエスの方舟事件だ。
リアルタイムでこの事件がどのように報道されたのかを全く知らないため、これから書くことは私の主観にすぎない。

イエスの方舟事件は、千石氏の聖書を読む活動に共感した信者たちが、(自分の意志で)千石氏と共同生活を始めたことを、「千石イエスよ、わが娘を返せ」とマスコミが糾弾した事件だ。
逮捕状が出たため千石氏は出頭したが、結局は容疑事実がないとして不起訴処分になった。 信者たちはいったん家庭に戻されたが、再び千石氏と共同生活を始め、千石氏が信者の生計を立てるために作った「シオンの娘」というクラブで働いていた。
(詳しくは、Wikipediaを参照)

ジャーナリストの秋尾沙戸子氏が「新潮45」2001年1月号に掲載した下記の文章も、ぜひ読んでほしい。
「イエスの方舟」漂流後の二十年 (秋尾氏のサイト)

信者たちは、事件の二十年後(2001年)も、まだ千石氏と暮らしていた。
千石氏はこの記事の後、2001年に亡くなっているが、「シオンの娘」は今もまだある(当時の信者がやっているのかは不明)。

いま読める文献を見る限りでは、千石氏の活動は金目当てではないように思える。
女性信者が多いので「千石ハーレム」と揶揄されたが、肉体関係に関しての真偽は不明である。

秋尾氏の記事から、いくつか引用する。

「ここに来たい人は来たらいいし、去りたい人は去ったらいい。あくまでその人の主体性が尊重されるんです」(*千石氏の発言)

「『方舟』の根本は、個人の主体性が重んじられること。押し付けがなくて自由。オッチャンの教えに盲目的に従っているというわけではない。オッチャンは教祖ではなく、聖書を説かれる人。聖書の意味を私たちの現実に則しながら、日常生活のなかで説いてくれる人なんです」(*千石氏の実娘の発言)
「オッチャン」――これが「方舟」における千石剛賢の呼び方である。「自分は教祖ではない」と言いきる千石が自ら選んだものだ。

「主体性というのは、自分をどれだけ大事にできるかということ。親に言われたり、世間がそうだからと言って流されて結婚しちゃうのは、自分が希薄だからです。私たちは自分の幸せを真剣に考える。そうすると、自然に他人がなくなる。他人の壁をなくして相手のことをどれだけ親身に思えるか。大切なのは、他者の中に自己を見ることなんです」(*千石氏の実娘の発言)

「閉鎖的な空間を作ろうとしたのではない。世の中の生き方の間違いを正すのでもなかったんです。世の中の間違いを継承しないで、自分独自のあり方、生活をしていこうとしただけです」(*千石氏の発言)

見る限り、洗脳はなかったように思える。

さて、私が気にかかるのは、たとえ洗脳がなくとも、その宗教団体があまりにも心地いいと、信者本人が外の世界に出たくなくなるのではないか、ということだ。
実際に、千石氏の信者たちは「新しい人間関係を築きたくない」と言い、恋愛や結婚もしていないようだ。

私が思う、理想の宗教家像を、イエスの方舟事件をモデルにした「贖いの聖者」のWikipediaから引用する。

「人を日常に戻し、現実に再度つなぎとめるために捨てられることこそを自らの役割とする宗教家」

宗教家には、金や権力に狂ったり、自己の教義に自ら洗脳されたりしないように、常に冷静で客観的でいてほしい。
人を救うために自らが捨てられる、それでこそ宗教家なのだと。

さて、冒頭の話に戻ると、phaさんはこうも言っていた。

僕もそもそもそういうコミュニティを作りたい気持ちがあった。
家族でもムラでも宗教でもなく、そういうところから弾き出された人が、ゆるく助け合うような人の繋がり。そういうものがあれば自分や自分の周りにいるような人がそれなりに生き延びられるのではないかと思っていた。
だけどそれは結構難しいというのを日々感じている。
友達の繋がりとかシェアハウスの繋がりというのは結構弱くて、一時期仲良くしていても、引っ越しや転職や揉め事や結婚やその他いろいろの現世的な事情で、何年かするとなんとなく会わなくなってしまっていることが多い。
放っておくと人はどんどん孤立してバラバラになっていく。

既にシェアハウスを運営しているphaさんがこう言うなら、そうなんだろうな。
でも、つながりが弱いというのは悪いことばかりではない。
依存しなくても、自分の足で生きていけるということだから。

いつでも来れていつでも去れる、金やメリットを超えた、ゆるいつながり。
そんなものがあったら、ほんとにいい。

だからいつか、「猫になりたい班」を作りたい。
「いまから猫になりたい班の班活動をしますよー。集まってくださいー」みたいな。

条件は、「猫になりたい人」「ルールを守れる人」だけ。
ルールは、

  • お金を取らない
  • だまさない
  • 洗脳しない
  • ハーレム禁止(私は女だし、男性にも女性にも性的興味はないから安全)
  • 参加者間で、利用したり、危害を与えたりすることを禁止
  • 参加者間で、馬鹿にしたり、傷つけたりすることを禁止

など。
(ストーキングしないとか他人の個人情報をネットにばら撒かないとか、細かく定める必要はあるけど)

金やメリットでつながる人々は、「金儲けしたいと本音で語ることが大事」「Give and Takeのつながりが大事」「ポジティブになれ」とかうるさすぎる。
猫になりたい班では、「だらだら生きのびる」「ためになることをしなくていい」「でも悪いことはしない」を大事にしたい。

これも「ブログのこれから、私のこれから」でやりたいと言ったことと一緒で具体的にはまだ考えていないけど(おい)、IRC(ふるい)みたいなもので、家から出られなくても参加できて、別に会話しなくても作業しながら見ていられて、何か話したい時に話す相手がいる、プライベートなTwitterみたいなもので、そこでだけは批判されなくて安心できるようなもの(ネット上のつながりは常に中傷と陰口がつきまとってこわい)。シェアハウスみたいな場も作れればいいけど、Webサービスにできる可能性もあるのかも。今のネットに足りないものは、共感じゃないのかな。

来年の4月以降、募集するかもしれないし、しないかもしれない。
(私への、宗教やスピリチュアルの宣伝や勧誘はお断りしてます)

追記:
一部修正しました。


「ブログのこれから、私のこれから」で、「心の病などで普通の職場では働けない人たちが、体調のいい時に分業しあえる仕組みを作りたい」と言ったところ、まだ具体案もないのに、NPOが作れそうな人数の方から「手伝いたい」というお声がけをいただき、誠にありがとうございました。
当初は、しばらく一人でやっていくつもりでいたので、報酬など何も考えておらず、「しばらくお待ちください」とお伝えしたのですが、助成金をもらう仕組みなどを本格的に考えていき、随時ブログで進捗を報告したいと思うので、時が来たらまたこちらからお声がけします&お声がけしてください。

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