ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

「優れたコンテンツを無料で」という非常識がやりがい搾取につながる|とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話

漫画「とある新人漫画家に本当に起こったコワイ話」を読んだので、感想を書きたい。

これは、2016年にネットで話題になった、新人漫画家(佐倉色さん)と出版社とのトラブルについて書かれたマンガだ。
トラブルの経緯は、このようになる。

  • 編集者が、佐倉さんにタダでカラー色紙1600枚を描かせる
  • 上記による忙しさや編集者のミスの連発で、心の余裕をなくした佐倉さんがTwitterで苦しさをつぶやき、トラブルが世に知られる
  • まとめサイトにトラブルを記事にされ、転載(サイト側の主張は引用)された画像の削除を佐倉さんがサイトに依頼、その後記事は削除

※このトラブルについては、担当編集者の個人的な資質も大きな要因ですが、今回はメインテーマにしていません

「契約書を交わさない」という出版社の「常識」

私は以前、出版社で編集者として働いていたことがある。
(といっても、かなり前のことなので、これは編集経験者の感想というより、単なる個人の感想として読んでほしい)

漫画以外の雑誌・書籍を担当していたので、この漫画を読んでとても驚いた。

漫画家はボランティアが多いと聞く
その上単行本を出すまで契約書を交わさない事が通例らしく
「信頼関係が契約書の代わりです」と言いつつ販促物は無償だわ
単行本にならないと生活できない原稿料なのに単行本が出ない事が多々あるわ
なにそのメンヘラヤ●ザ

私がいた出版社では、新規のライターさん等と取引を始めるときには、基本契約書を必ず交わしていた。
そして、小さな依頼でも、その都度、個別契約書を交わしていた。

また、無償で何かを依頼することなど絶対になく、(ほとんどないが)ページの都合などで急遽イラストなどが使えなくなっても、使わなかった分も料金を払っていた。

私がいた出版社が特別では、決してなかったと思う。
複数の出版社と取引があるスタッフさんから「御社はきちんとしてますね~、他社は……」と言われたことは特になかった。

たぶん、この出版社がおかしいのだと思う。

(この漫画について出版社側は完全スルーのようだが、たぶん秘密保持契約書を結んでいないから何もできないんだろう)

タダで仕事を依頼するのは「やりがい搾取」

ではなぜ、この出版社では、契約書を交わさないという「常識」が許されているのか?

これは、漫画編集者側に「出版社がデビューさせてやった」「出版社が仕事を与えてやっている」というおごりがあるからでは、と思う。

たとえば、作家や大学教授などに原稿を依頼するとき、「契約書はないです、信頼関係が契約書の代わりです(キリッ)」と言ったら、断られるだけでなく、Twitterなどでばらされてボコボコにされるだろう。

「(契約などを整えないと)優秀な書き手が他社に流れてしまう」という危機感がなく、「契約が不満で他社に行くならご自由に~(行けるもんならねっ)」というおごりが見える。

そこには、漫画家やライトノベル作家などになりたい人が多く、実際にデビューできるのは一握り、という背景も影響していると思う。

力関係が、出版社>>>>>新人漫画家で、対等の仕事相手(または基本的な契約が必要な一人の人間)とみなしていないのではと思えてしまう。

「好きを仕事にできるんだから、タダでもいいよねっ」という、やりがい搾取だ。

だれも新人漫画家を守ってくれない

さらに驚いたのは、作中で、このトラブルを記事にしたまとめサイトに、佐倉さん本人が連絡していることだ。

編集者が教えるまで、佐倉さんは記事について知らなかった。

それでなくてもここまで煽るような記者に
出版社側から記事の取り下げをお願いしたら
「出版社が事実を隠蔽」とか逆に書かれて騒ぎになる恐れがあるので…
でもですね…漫画家さんから…その…ご連絡するっていうのは…できますよ?

(作中の、編集者の言葉)

さて、新人漫画家がまとめサイトに(その意志がないのに)「商業撤退」と書かれたときは、「自分のブログなどで(サイト名は出さずに)商業撤退はしないことを淡々と否定し、コメントなどは完全スルー。サイトに連絡などしない」のがベストなのでは、と思う。

だから、編集者の言動には疑問を覚える。
記事の存在を知らせることなどせず、もし本人が気づいて何か言ってきたら、連絡しないように説得するべきだったと思う。
おそらく、「スタッフをトラブルから守る」という考えが全くなかったのだろう。

今回の漫画出版にあたって、まとめサイト側が反論している。
漫画『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』について、編集部の見解

この反論へのネットの反応を見て思うのは、「いつも佐倉さんが批判の矢面に立っている」ということだ。
仮に、編集者が連絡していたら、まとめサイト側に手厳しく反論されたのは出版社だったろうから。

契約書もなく、タダで色紙1600枚を描き、批判は全部個人で受ける。
新人漫画家って、こんなにつらい職業なのか。

正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?

こうした「やりがい搾取」が行われるのには、いまが「コンテンツが史上最も安い時代」であることも大いに関係するだろう。

たとえば、去年くらいから「ネットの情報はすべて正しいものであるべき(ただし無料で、広告もなしで!)」という意見をよく見る。

しかし、書籍編集をしていた身としては、「タダで正しい情報を提供することは難しい」と思う。

本の内容が正しいのは、「お金をかけているから」だ。

信頼できる著者に原稿依頼し、校正・校閲をかけ、有識者にも吟味してもらう。
全部、お金がかかっているのだ。
それでも、つぶし切れずにミスが出ることだってある。
そのくらい、正しい情報を提供するのは大変で、コストがかかることなのだ。

「正しい情報を無料で得たい」という人には、「正しい情報を保証するのに必要なコストは、だれが出すの?」と聞きたい。

(たまに、弁護士などの有識者が無料ブログをやっているが、あれは、本来は有料の情報を「好意で」無料公開してくれているだけだ)

コンテンツそのものにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツが生まれなくなる

しかも、経費だけでは、優れた情報は再生産されない。利益が絶対に必要だ。

新人漫画家にタダで色紙1600枚依頼するトラブルが起きたのは、

(業界全体で漫画が売れないから)販促費が取れない
→弱い立場の新人漫画家に、そのしわ寄せがいってしまっている

という構図もあると思う。

いま、出版物は売れない。
以前は存在しなかった、無料スマホゲーム(一部の重課金者が支えている)、無料で見られる違法アップロード動画などがライバルになっているのと、出版物自体が違法ダウンロードされていることも、大きな一因だろう。

「無料で楽しめる」ことが「常識」になっていて、コンテンツそのものにお金と敬意を払うことのハードルが、すごく上がってしまっているのだ。

この漫画を読んで、「コンテンツは無料で当然」という「常識」が、回り回って、コンテンツを作りたいと志望する弱い立場の人への「やりがい搾取」につながっているように思えた。

出版社側が、契約書という超基本的な体制を整えるのはいうまでもない。

だが、新人漫画家が、基本的なことさえ交渉できずに「やりがい搾取」されているのには、漫画が売れないという背景もあると思う。

もし、Twitterなどで個人営業して、自作の電子書籍をバンバン売る漫画家がたくさん現れたら、(よい書き手を確保するために)こうした体制も変わってくると思うのだ。

コンテンツにお金と敬意を払わなければ、優れたコンテンツは生まれなくなっていく。

応援したい作家や漫画家などがいるなら、「お金を出してコンテンツを買う」ことが何よりの応援だと思う。

久々に寄稿を再開したので、お読みいただけるとうれしいです~
父親との確執のおはなしも書いています~

www.onecareer.jp

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