ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

「ひきこもり新聞」はなぜ「新聞」なのかを考えた

今年もよろしくお願いします。
「このブログはしばらく個人的なメモ書きになります」で書いたように、しばらくは、気になったことについて簡単に書きとめる(深堀りしない)ということを繰り返していきたい。
1月9日まで休みなので、それまで毎日書けるといいな。

* * *

ひきこもりの人や、ひきこもりの経験がある人たちが、2016年11月に「ひきこもり新聞」を発刊したというニュースを読んだ。

ひきこもり新聞創刊

新聞の編集部員は20~50代で、女性もいるとのこと。
編集長の木村さん(32歳)は、マスメディアが伝える「ひきこもり=無能で無気力で、努力をしない人間」というイメージを覆したくて、新聞の発行を決めた。

ニュースから、衝撃的だったところを引用する。

そして去年5月、突然、両親が警察官を連れて木村さんのもとにやってきて、無理やり自宅から引き出されそうになったと言います。
また、若いころには中学校で教べんをとった経験もあり、常に社会復帰を望んできたと言う50歳の男性は「私は諦めていない。いつでも働きたいという意欲はある。だから苦しい。たとえ中高年でも、やる気のある人は新人として受け入れられる社会になってほしい」と訴えました。
40歳の女性は「ひきこもりの人はみな、お金に苦しんでいて、バイトの面接で出した履歴書を返して欲しいと言う人も多くいる。公的な就職支援の対象年齢は、39歳までのところが多く、40歳になって強い焦りを感じている」と話し、ひきこもりの人が置かれている社会的な構造から解きほぐした記事を書くべきだと訴えました。

あと、「ファイナンシャルプランナーらが、中高年のひきこもりの子どもを抱える高齢の親たちの生活設計について、相談を受け付ける座談会」というのが出てくるが、これは目の付けどころが良いビジネスだと思ったので、参考にしたいと思った(小並)。

* * *

それで、この新聞を買おうと思って、サイトを検索した。
面白そうな記事もあり、じっくり読んで後で紹介したい。

ウェブ版「ひきこもり新聞」

1月号は「女性のひきこもり」特集だとのこと。
ひきこもり新聞1月号の発行日が決定いたしました!

「サポート会員募集!」と書いてあるので、「おお、なりたいなりたい」と思ってクリックしたら、残念ながら「詳細を作成中」だった。

* * *

さて、「ひきこもり新聞」は、なぜ「新聞」という形式を選んだのだろう?

「たくさんの人に読んでもらう」という目的なら、ウェブ版「ひきこもり新聞」をはてなブログでやった方が、目的を達成できそうに思える。

私のブログに「引きこもりが再び働きはじめた朝に」という記事がある。
これはBLOGOSにも転載されたが、BLOGOSでのPVは、はてなの約10分の1以下だった。
他の記事でそこまでPVに差がついたことはなく、はてなでは、ひきこもりやニートなどの記事は読まれやすいのかもしれないと思った。
たぶん、phaさんが下地を作られたからなのだろう。
だから、ひきこもりやニートの人は、はてなブログをやるといいと思う。

脱線したけど、「新聞」を選んだのは、ひきこもり当事者の「親」という存在を意識してなのではないか、と勝手に思った。

「引きこもりが再び働きはじめた朝に」 で、まだyoutuberがいなかった時代に、引きこもりだった私が動画制作に熱中して、父と対立した話を書いた。
父は60代だから、そこまで年ではないのだけど、「ブログや動画で稼ぐことができる」と言っても理解できない。
ネット上の活動が、そのままリアルにつながる可能性があるということが、どうしても理解できないのだ。

だから、このブログのために私がパソコンに向かっている時間が多くなると、父は心配していた。
態度が明らかに変わったのは、外部サイトから原稿を依頼されるようになってからだ。
「原稿依頼」はさすがに理解できたようで、そこから180度一転して、ブログを応援しだすようになったのだ。
(ここまで書いて、ちょっと面白くなって笑ってしまった)

私の父の例は極端だけど、ひきこもりの人が、身内からのイメージを回復するのは、年代間のギャップも手伝って、かなり大変なように思える。
だから、「新聞」なのだろうなと思った。

親の世代に、「ウェブ版ひきこもり新聞は○PVあって、たくさんの人に読まれているんだ」とアピールしても、たぶんピンとこない。
でも、「ひきこもり新聞は〇部売れたんだ」なら、たぶん理解される。

ひきこもりの人が普通のレールに再び乗るのは、おそらくかなり大変だ。
だから、自分のレールを自分で作る必要が出てくる。
そのレールは当然ながら普通とはちがう形なので、親が納得しづらいこともあるだろう。
「そんなことをやる暇があったら、普通に働きなさい」と言いたくなるだろう。

だけど、ブランクがある人が、普通に働く機会を得ることはとても難しい。
そして、普通とはちがう自分オリジナルのレールが、思わぬ道を切り開いてくれることもある。

だから、ひきこもりの親にも柔軟な考え方が求められるのではないだろうか。

引きこもりが再び働きはじめた朝に

Twitterもやってます

追記:
編集長の方が、既にはてなブログをやっているという情報をいただいた。
なので、この方にコンタクトを取ってみて、ちょっといろいろ聞いてみたい(受けてもらえるか分からないけど)。

ひきこもり新聞を創った人のブログ

このブログはしばらく個人的なメモ書きになります

しばらくブログを更新しませんでした。

理由の一つは、体調が悪かったからです。

私の持病はパニック障害で、とはいえ3年前に寛解していますが、季節の変わり目などには症状が出ます。
発病が12月だったからか、秋~冬が苦手です。

夜中に胸が痛くて起きる。
「このまま死ぬんじゃないか。いや、これはいつものパニック障害の症状だ。いやいや、今度こそ本当の心臓発作なんじゃないか」という煩悶を繰り返す。
不安でなかなか眠れず、睡眠時間が足りなくなる。
よけい体調が悪くなる。

こう書いてみると、他人からは馬鹿げて見える症状に振り回され、10月後半から今まで、私の生活は「睡眠時間の確保」を中心に回っていて、ブログを書く時間と気力がありませんでした。

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寄稿した記事一覧(都度更新)

ありがたいことに、2016年5月頃から、このブログを通じて寄稿のお話をいただくようになりました。

2017年9月までは、オンサイトでの翻訳業務のため、ライティングのお仕事は積極的に受けていませんでしたが、2017年10月からはライティングのお仕事メインで活動していきます。

また、このブログは日本最大級の提言型ニュースサイトでもあるBLOGOS様にも転載されています。
ニャートの記事一覧|BLOGOS

* 以下、新しい順で都度更新 *

ONE CAREER様

www.onecareer.jp

www.onecareer.jp

www.onecareer.jp

りっすん様

オランダの短時間正社員制度について、なぜそうした制度が生まれて広まったのかについて書いています。
こういう記事をどんどん書いていきたい、という気持ちはありますが、いま(2016年12月現在)は体調がよろしくないので、次にこういう記事が書けるのは春なのかなあ…と思っています。
www.e-aidem.com

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私が思う「心が弱い人と強い人のちがい」

心が弱い人と強い人のちがい

ある人が自殺したときに、「そんなことで死ぬなんて」と言う人がいます。
Aさんには「そんなこと」でも、Bさんには同じことが死ぬほど苦しい場合があります。

たとえば、身長148cmのきゃしゃな人と、身長190cmの筋骨隆々な人がいるとします。
どちらが肉体作業に向いていないかは一目で分かるでしょう。

そんなふうに、心が弱い人と強い人のちがいが一目で分かるといいなと思い、それぞれの心の許容量を入れ物にたとえてみました。

心が弱い人と強い人のちがいを、感受性と心の許容量を入れ物に例えて示した図

心が弱い人は、口は大きいのに容量は小さい、不安定な入れ物です。
同じ量の雨(つらいこと)が降っていても、心の弱い人の入口(感受性)は広いため、雨がいっぱい入ってきます。
なのに、容器(心の許容量)は小さいため、すぐにあふれてしまいます。

また、同じ量の雨でも、一つ一つの雨つぶ(つらい事実)の受けとめ方も、弱い人と強い人ではちがいます。
たとえば、「家族とケンカした」という雨つぶ(事実)があります。
強い人は、「ケンカしたという事実」+「繰り返さないための改善点」+「少し嫌な気持ち」くらいで、そのことは忘れてしまいます。
弱い人は、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「でも、向こうもこんなこと言ったんだし…」「だけど、私もああすればよかった」の無限ループで、雨つぶの大きさが2倍3倍にふくらみ、気持ちが収まるまで、仕事のときもご飯のときも、お風呂に入っても布団に入っても、ずっとずっと脳内反省会議をしています。

感受性は、人によって全くちがいます。

アニメ漫画は好きだけど「規制しろ」の声を完全否定できない自分がいる

上の記事に、ちょうどいい例がありました。
Aさんは「過去に戻ってやり直したい」といつも思うのに、Bさんはそう思ったことがないという話です。
(その先の、マンガやアニメがなかったら、過去に戻りたいという発想自体がなかったのではないか、という仮定には「そーかな?」と思いますが)

私もこれを読んだとき、「えっ、過去に戻りたいと思ったことがない人なんて、この世にいるの?」と驚愕しました。
私は一時期、朝から晩まで「あの時ああすればパニック障害にならないですんだのに」「あの時こうすれば仕事を辞めないですんだのに」とばかり考えていたからです。

心が弱い人は感受性にフィルターをかけよう

それでは、心が弱い人はどうすれば楽になるのでしょうか?

  • 容器の口(感受性)にフィルターをかける
  • 容器に雨がたまったらすぐ出す
  • 容器(許容量)を大きくする
  • 自分の心が、入口は大きいのに雨は少ししか入らない容器だと自覚する

このうち私がやったことは、感受性にフィルターをかけて、つらいことを考えないようにすることです。

私はパニック障害です。
この病気は、動悸・過呼吸・胸痛などが起きて「このまま死ぬのでは」とすごく不安になりますが、体に異常はなく、なぜか乗り物の中などで発作が出ます。
発作が起きたとき、苦しいけどそれでは死なないことは分かっているので、その苦しさから意識をそらすため、靴ひもを結ぶことに意識を集中することにしています。

何が言いたいのかというと、苦しみの中には「考えてもムダな苦しみ」と「考えることで次に生かせる苦しみ」があると思うのです。
過去に戻ってやり直したいと思っても、実際にやり直せるわけではない。
恋人にフラれて、恋人を恨んでも、彼女の気持ちは戻ってこない。
そういう苦しみは、考えてもムダな苦しみです。

パニック障害における発作の苦しみも、考えてもムダな苦しみです(※実際にはパニック障害ではない場合は除きます。見極めは難しいので、必ず病院に行ってください)
だから、ムダな苦しみは考えないよう、靴ひもを結ぶ(=いま目の前にある作業に全集中する)ことで、スイッチを切り替えます。
これは森田療法の一部を私がてきとーにアレンジしたものですが、他の苦しみにも応用できます。
たとえば「過去に戻りたい」と思ったときは、意識してちがうこと(実際に何かの作業をするとよい)をして、苦しいことは考えないようにします。

他にも、私は苦しみを「冷凍保存」するようにしています。
例えば、フラれた苦しみ。これは考えてもムダなので、考えたり整理したりすることなしに、そのまま心の奥に冷凍保存します。一切考えません。
それで、1年2年たったときに開いてみて、まだ苦しいかを確認します。たいてい時がたてば、当時の苦しみは薄れているので、そのまま忘れることができます。

さっき、「考えることで次に生かせる苦しみ」もあるといいましたが、実際にはほとんどないです。
過去に戻れたらああしたい、と考えるのは、次につながるように思えますが、それでも考えるのは一度きりでよいのです。
同じ失敗を繰り返さないためにどうすればいいのか、というのは何かに記録しておいて、後はもう何も考えないようにしましょう。

感受性が豊かなことはムダなのか|メンヘラの第七感

ここまでの話だと、感受性が豊かなことはムダに思えるかもしれません。

東日本大震災のとき、スピッツのボーカルのひとが、本人は被災していないのに震災うつになったことがありました。
被災していないのに、他者の苦しみや恐怖に共感して、うつになってしまう。
でも、そこまで感受性や共感力が強いからこそ、だれにも書けない詩の世界を紡ぐことができる。
感受性は諸刃の剣といえます。

私は、感受性や想像力はある方なのかもしれません。
たとえば、横断歩道を渡るたびに、「ここで車にひかれた私はどうなるのだろう」とパラレルワールドの私について考えたり、「いや、本当は車にひかれて死んだのに、そのことに気づいていないのではないか」と地縛霊になった私について考えたり、それを横断歩道を渡る10秒くらいの間で目まぐるしく考えます。
または、ある女性にブログをほめてもらった時、すっかり舞い上がってしまって、その人と実際出会って、「赤毛のアンとダイアナみたいにランプの灯で信号を送りあって、友情を確かめあいたいな」「いや、そんなことしないで一緒に住もうよ」と一緒に住むことになって、毎日好きな本について語り合って、おばあちゃんになって白髪が生えてもイチョウ並木を落ち葉を拾いながら歩いたりして、ある日その人は揺り椅子の上で読みかけの本を開いたまま微笑みながら儚くなっていた…というイメージが、3分くらいで走馬燈のように駆けめぐり、あまりに悲しくて泣いてしまったりとか。

この想像力が、パニック障害の発作時には「自分を襲うありもしない恐怖」にすべて捧げられるのですから、たまったものではありません。
想像力ゆえに、自分で自分を過剰に苦しめている。
フィルターをつければ、そこには恐怖などありもしない。ふつうの人には見えない。
鈍感力がある人は、私のことを「何てムダに気力を浪費しているんだ」と思うでしょう。

私は、こうした感受性のことを「メンヘラの第七感」と呼んでいます。
いらない能力なのかもしれません。
でも、同時にこれは個性であり、想像力の源であり、スピッツのボーカルのひとみたいに適切な形で昇華されれば、すぐれた作品になり得ます。

第七感を持っている人は、ふだんはフィルターをかけて日常生活をやり過ごしつつ、その「能力」を昇華できる道を見つけることができるといいなと思います。

(世の中はあまりに厳しいので、私は、このブログを読んでくれる人くらいには、束の間安らげるような言葉をかけていきたいと思います)

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逃げたい人に「それは甘え」と言うより「短所をスルーできる戦略を考えよう」と言いたい

大学を辞めた。死ねない呪いと向き合う毎日。

これを書いた人(以下Aさん)に伝えたい。
この半年くらい、「つらい環境から逃げたい人はどうするのがベストか」について考えてきて、その過程で考えはいろいろ変わったが、いまはこれがベストだと思う。

20代なら、つらい環境から逃げ、自分の長所だけで生きていけるための力をつけること

30代以降はどうすればいいのか、今は分からない。
それを考えるのが「ブログのこれから、私のこれから」で言ったように、私の今後のライフワークである。

なぜ逃げた方がいいのか。
私は過労からパニック障害になったが、このような致命傷を抱えてしまうと、何年も回復できない。
つらい環境でダメージを貯めてはいけない。次の進路にすぐ移った方がいい。

「逃げるのは甘え」と言い切れないほど、それぞれが持つ長所と短所、許容量はちがう。
大学入学までは受験勉強だけできればよかったが、それ以降の人生は総合力を求められる。
たとえば、受験勉強ができる人よりもコミュニケーション能力が高い人、大きな長所があるけれど大きな短所もあるデコボコした人よりも、特に目立った長所や短所がない平坦な人の方が評価される。

短所ゆえに環境に適応できない人に投げられる言葉は、「逃げるな」「そんなの大して辛いことではない」「逃げていいよという人は無責任」といった精神論だが、その人を傷つけるだけで役には立たない。
さらに、短所が目立つだけなのに、まるでその人のすべてがダメかのように決めつけられることも多い。

もっと、「短所はスルーしていいんだよ」というアドバイスができるようになりたい。
鴨居まさね「雲の上のキスケさん 1 (クイーンズコミックスDIGITAL)」に、こういう会話が出てくる。

たとえば眉子って雨の日はつらくて動けへん体質やん?
そしたら雨の日休める仕事を考えるねん
ビルの解体業とか たとえばやたとえば

それは甘えてることにはならないの?

なるかいなアホやな異常やな

これを読んだときハッとした。
私もそうだが、雨の日や気圧が低い時に、頭痛がしたり体調が悪くなったりする人は一定数いる。
「雨が降ると仕事に行くのがつらい」なんてブログに書いた日には、「それは甘え」の大合唱でたぶん炎上するだろう。

だけど、「それは甘え」と責めても何も解決しない。
実際につらいのだから。
それよりも、そうした短所を回避できる戦略を考える方が、ずっと役に立つ。

落ちこぼれだった私が、プログラマとして企業を越えて自由に生きる「夢を叶える方法」

プログラマになるということ自体はとても簡単です。

特殊な資格が必要なわけでもないし、未経験でも雇用してもらえる企業も多くあります。不登校児でも、持病があっても、プログラミングを始めるのが人より遅くても、大学中退でもこの業界は寛容です。

Aさんの短所は(本人が言うには)「自己管理能力とコミュニケーション能力が高くはない」ことらしい。
Aさんは理系だろうから、プログラマを目指してみてもいいかもしれない。
一人で淡々と作業をできる時間が長いから、他の職種よりはコミュニケーション能力がいらないように思える。
自己コントロールがあまり上手くないと書いてあるので、作業量を決めてもらえるバイト等で、勤怠に融通がきく仕事を探すのはどうだろう。
実力がつくまでは焦って稼ごうとせず、小さい実績をコツコツ積み重ねていくのがいいと思う。

世間が認める幸せと、Aさん本人の幸せとは、必ずしも重ならない。
他人が何を言っても気にせず(難しいことだけど)、自分が一番ストレスを感じないような社会との関わり方を探してほしい。

雨の日がつらい体質だから、雨の日に休める仕事を探す。
そうした合理的な選択を、「それは逃げだ」「世の中そんなに甘くない」と批判する人もいるだろう。

世の中は甘くない。そんなこと、逃げたい人は言われなくても分かっている。
「世の中甘くないからお前も耐えろ」ではなく、少なくとも自分が手が届く範囲の世の中をどうやったら甘いままやり過ごせるか、を考えたい。

「考えが甘い能無し」と罵られてもいい。
弱い人がつらさをやり過ごして生きていけるよう、一緒に考えることができる人になりたい。

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