ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

駆け込み寺を作るために仏教を学ぶことにした

もう2月も中旬なのに、これが2018年最初の記事となる。
去年の夏ごろから持病が再発したため、1月は気力がなくて、物忘れ進行中の母の相手と仕事以外はずっと寝ていた。
本は読めるので、寝ながらkindleで電子書籍をひたすら読んでいた。

そこで、今までぼんやり考えていたことを代弁してくれるような文章に出合った。

お寺が「人生の受け皿」として機能していた時代があった

(お釈迦様が説いた仏教が、集団という形態をとったことの意義の一つとして)

それは、苦しんでいる人の人生を丸ごと受け入れる「人生の受け皿」としての機能です。サンガというのは、単に修行の志を持った出家者の集まりであっただけでなく、人生に絶望した人や心を病んだ人、社会生活に耐えられない人たちの受け入れ先としての機能も持っていたのです。大乗仏教一辺倒の日本でも、その機能だけはあるときまできちんと存在していました。ところが、いまのお寺はほとんど家族経営の中小企業のようになってしまい、そんな”駆け込み寺”的な機能はほとんどありません。助けを求めても、その人の生活を丸ごと受け止めてくれるお寺などはほとんどないのです。

そうしたことも考え合わせて、私は最近、なんとか日本でも「サンガ」――とまではいかなくても、「サンガのようなもの」――をうまく作る試みをしてみてもいいのではないかと希望するのです。なにも「お寺」の顔をしていなくてもいい。人生の苦しみを乗り越えて、人間としての幸せを追求するような場。そして、いまのお寺が果たせなくなった弱者の受け入れや、駆け込み寺的な要素を備えている場。そのような機能さえ満たしていたら、見てくれのスタイルはどうであれ、それが真の仏教世界というものになるのだと思います。

その場合、いろいろ考えねばなりません。

社会一般からのお布施が無理なのであれば、経済的な支えをどうすべきか。メンバーが会費で支えるのか、企業などの献金で支えるのか、あるいは特定の自治体が支援するのか。また、お釈迦様の仏教サンガがそうであったように、そこへ参入した人が成長し、自立し、社会の人々から尊敬される存在になっていくようなプログラムの制定が必要です。あるいは、生きることがつらくて自殺したいと思っているような人が、そこで暮らしているうちにだんだん喜びを感じ、生きがいを感じはじめるような組織でなければいけません。そして、もし心が回復したら社会に戻ってもいいし、戻らなくてもいい。ずっといたければ死ぬまでそこにいてもかまわないというような組織であってほしいと思います。

(※サンガとは、修行者が一つの場所に集まって規則正しい集団生活を営む組織のこと)

(佐々木閑「本当の仏教を学ぶ一日講座 ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか (NHK出版新書)」より引用)

「参入した人が成長し、自立するプログラムの制定」
「生きることがつらい人が、生きがいを感じはじめるような組織」
「心が回復したら社会に戻ってもいいし、死ぬまでそこにいてもいい」
というのが、とても魅力的だと思った。

ニートがゆる~く助け合って暮らす家は既にある。
phaさんとか葉梨はじめ(山奥ニート)さんがやっているシェアハウスなどが一例である。

でも、生きることがつらい人が一時的に逃げこめる施設を、普通の人が作るのはとても難しい。
だけど、過去にはそうした場所(寺)が各地に存在した時代もあったのだ。

いつか最終的には、私自身もそこで暮らせる駆け込み寺を作りたいというのは、ずっと考えていた。
問題点は、たくさんある。

  • 費用をどこから捻出するか
  • 専門家でない立場から、そうした施設を作ることは可能なのか
  • 私の度量・気力体力などが圧倒的に足りない
  • 物忘れ進行中の母がいて引越しできないため、今住んでいる家賃高めの田舎で施設を作ることになる
  • 私が女性であることがいつか壁になる

駆け込み寺を作ることができるのはだれか

では、「生きることがつらくて自殺したいと思っているような人」が逃げ込める場所を作ることができるのは、どういった立場の人だろうか。

  • 同じ経験がある当事者や元当事者
  • 医師などの専門家や、NPOなどの民間業者
  • 政治や福祉
  • 宗教団体

心を病んだ人が、同じ立場の人を支援するのは難しい

私のように心を病んだ人が、同じく心を病んだ人同士で助けあえる場を作るのは可能か、可能ならどういう方法がベストか、はずっと考えている。

最近、「『メンヘラ』という言葉はどう変化してきたか。精神科医が解説」に対する下記のコメントが、支持を集めていたことに驚いた。

メンヘラ.jp とかいう支援者の顔してメンヘラを消費してるだけのゴミサイト出てきた時点で読む気無くす。ちなみに2ch初期から見てるけど大して変化してないと思うよ。昔はボダが異常に叩かれてたけどそれはそれだし。

「メンヘラ.jp」とは、メンタルヘルスに悩みを抱える当事者のための情報サイトだ。
自らもうつ病で入院していたこともある小山(わかり手)氏が運営している。

私はこのサイトに詳しくないので、どんな点が批判を受けているのかは分からない。
だが、当事者の投稿でPVを集めて得た広告収入を運営費にすることが批判されているなら、心を病んだ人が同じ人たちを支援することのハードルは相当に高いと思った。

なぜなら、心を病んだ人にも可能な支援方法は、メンヘラ.jpのように、インターネットを使って仲間と運営費を集める方法が現実的だと思うからだ。
駆け込み寺のような場所の立ち上げは、心を病んだ人には精神的にも肉体的にも難しいだろう。

専門家やNPOは、面倒で儲からない駆け込み寺に関わってくれるだろうか

当事者同士で助け合うことが難しいなら、精神科医などの専門家やNPOなどが駆け込み寺を作る可能性はあるだろうか。

思うのだが、専門家やNPOも人の子なので、面倒で儲からない駆け込み寺にわざわざ関わってくれるだろうか?

精神科の開業医なら、3分診療で患者をできるだけ回転させて薬価の高いSSRIを処方するのが、最も楽に儲かる。
しかも、完治させずに長期間薬を処方するほど儲かる。

つまり、やぶ医者の方が儲かる仕組みになっているのだ。

精神疾患の人の話に耳を傾ければ、医師であろうと非常に疲れるしストレスがたまる。

だから、精神科医だったら、面倒で儲からない駆け込み寺にわざわざ関わらないように思える。
NPOなどの民間業者も、より採算が取れて面倒がかからない支援施設を優先して作りたいのではないだろうか。

(上の考えは偏見であり、志の高いお医者さんやNPOは、実際にはたくさん存在します)

政治や福祉は、面倒な人を切り捨てる方向に動くだろう

政治には期待できない。

もし「政治」が期待に値するものだったら、非正規雇用者が雇用者全体の4割となった現在、反原発よりも護憲よりも、労働者保護を第一に掲げる政党が既に存在しているだろうから。
現政権が「小さな政府」を目指していく限り、福祉はどんどん削減されていくだろう。

私は氷河期世代なので(しかもこの世代は人口が多い)、自分が高齢者になる頃は、非正規雇用で老齢の親を抱えた貧しい独身高齢者ばかりになるだろうと予想している。
AIがどれくらい労働市場を変えるのか分からないが、AIにやらせると採算のとれない低賃金のきつい仕事を氷河期世代の非正規雇用者が奪い合うようになるのではないか。
年金がいつからもらえるのか、そもそももらえるのか、最悪日本が財政破綻するのではないだろうか、と思っている。

宗教が持つ可能性について考え、学ぶことにした

日本は資本主義社会なので、「金を稼げる人がえらい」「金を稼げないことに価値はない」など、金を中心に社会が回っている。
ブログ運営一つとっても、金を稼ぐ>>>いい文章を書く、とみなされている。

「社会的意義があるけど儲からない」ことに熱意を持って取り組める人はだれなのか。
それは、(家族経営の中小企業に変わり果てた寺社や、信者に金を出させたい新興宗教以外の)宗教団体ではないのか。

しばらくこのブログに、宗教やそれを取り巻く歴史について学んだことを自分のメモ用に書くことにする。
今日はもともと「釈迦が興した仏教と、日本の大乗仏教は全く異なる」という話を書こうとして、前書きを書いていたら取りとめもなく長くなってしまった。
(とはいえ、パニック障害のため気力があまりないので、全く期待しないでくださいにゃ)

……仮想通貨はどうなったの?

さて。

「病んだ貧乏人が一発逆転するには時の運に乗るしかない。だから私は」を読んだ人は、「仮想通貨ブロガーになるんじゃなかったのか?」と思うだろう。

1月、コインチェック騒動で、仮想通貨は暴落した。
(私は1月は持病がひどくて取引しておらず、たまたまポジションを持っていなかった)

ビットコインは2017年12月がピークだったと言う人が多いが、私は個人的にはピークはまだ先だと思っている。
だから、自分では取引は続ける。だが、人に勧める気にはなれない。

「精神疾患などで働けなくなった氷河期世代が生きていけるための場所を作る」ためにお金が欲しい、と書いた。
だが、駆け込み寺を作ることを考えた時、金は絶対に必要だが、同時に私の器を大きくすることの方が必要だと思い直した。

迷走しているが、もし応援してくれている人が一人でもいるなら、気長に待っていてほしい。
(これを書いて気力が尽きたので、twitterなどの返事はまた後日。申し訳ありません)