ニャート

旧「一橋を出てニートになりました」。出版社を過労で退職→引きこもり→派遣社員を経て、働き方や社会のあり方について思うことを書いています。

「他人や政治のせいにするな!」|成功者は、自らに運があったことに気づかない

最近、本田圭佑選手の、自殺に対するツイートが炎上した。

「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!! 生きていることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やっていることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな! 成長に囚われろ!」

本田選手は既に、ツイートの文意を補足済みである。

メッセージとして伝えたかったのは「死なないでほしい」、「生きていればいつか良いことがある」、「良しとする基準は自分が作ればいい」、「出来ることを見つけて少しずつ進んでほしい」ということなんです。

さて、若い人に死なないでほしいなら、「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」ではなく、「自分のせいにするな!」とアドバイスした方が効果的だ。

しかし今日は、だれよりも努力しただろう本田選手が、なぜ「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったかを推察してみたい。

成功=能力+気力+運

成功するためには、「能力+気力+運」が必要だと思う。

気力には、いわゆる気合や根性、精神力などを含める。

たとえば、「能力+気力+運=100以上」で成功する、という式があったとする。

成功=能力+気力+運

AさんとBさんは、能力と気力の初期値は同じだったが、運だけがちがった。

具体的には、Aさんは金持ちの家に生まれ、Bさんは貧しい家に生まれた。
Aさんは、能力や気力を伸ばせる環境に恵まれたが、Bさんは教育を受けるお金がなかった。

結果、Aさんは成功し、Bさんは失敗した。

成功した人は、自分には運があったことに気づかない、または忘れてしまう。
そして、自分は能力と気力だけで成功した(成功者バイアス)、と思いこんでしまう。

そして、AさんがBさんに、「成功できなかったのは、能力と気力が足りないからだ」と言う図式が生まれる。
本当は、能力と気力は同じ値だったのに。

なぜ成功者は「気力」を強調するのか

先ほどのBさんの例のように、成功するには「運」が最も必要だと、私は思う。

だが、成功者は「気力」の大切さばかりを強調する傾向がある。
ブラック企業にありがちな、「気力があれば何でもできるっ!」ってやつだ。

その理由は、2つあると思う。

  • 能力・気力・運の中では、気力のコントロールが一番簡単なように「見える」から
  • 気力を強調すると、他人を責めるのが簡単だから

能力と運は、自分でコントロールするのが難しい。
対して、気力は自分でコントロールできるように「見える」。

「能力がない」「運がない」と他人を責めても、対処法が少ないのでムダだ。
対して、気力は無制限なように「見える」ので、「気力がないから成功しない」と他人を責めるのが簡単だ。

なぜ、他人や政治のせいにしてはいけないと思われているか

さて、だれよりも努力した、つまり気力を発揮したであろう本田選手が、なぜ「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったのかを推察してみる。

成功には、ある程度の気力(=努力し続ける、集中し続ける)が必要だ。

たとえば、出世に必要な気力を100とする。
途中で、「社畜にならないと出世できない日本は嫌だ!」と批判に熱中したら、そちらに気力が逃げてしまって、気力が100に足りずに失敗してしまう。

だから成功者は、「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」(=そんな暇があったら集中しろ)と言いたくなるのだろう。

しかし、気合や集中は、諸刃の剣である。

確かに、「あること」を成しとげるのには盲目的な集中が必要だが、そうすると、「あること」が持つ問題点に気づきにくくなる。
結果、働きすぎの問題点に気づかないまま、集中して働いて廃人になる事態が、日本各地で起こっているのだと思う。

だから、そのカラクリを知っているブラック企業経営者が、「気力で何でも乗りきれる、そうじゃないならまだ気力が足りない」と言うのだろう。

実際には、気力は無制限ではない

気力は、自分でコントロールできて無制限に出せる、と思われがちだが、実際にはそんなことはないと思う。

能力と同じで、生まれつき持つ気力の量は、一人ひとり違う。
能力とは違って、一度使い切ると回復は大変だ。

私は、20代のときに過労で病気になったが、そのときに一生分の気力を使い切ったのではないかと思っている。
普通の人には何の苦もない週40時間が、私の気力ではギリギリで、休日は何もできない(だからブログの記事も人より少ない)。

自分に運がないことを嘆くなら、だれも傷つけない

本田選手が「他人のせいにするな! 政治のせいにするな!!」と言ったように、自分の苦境を何かのせいにするのは、なぜか非常に嫌われる行為である。

それは、非正規雇用が増加した小泉・竹中政権から定着してしまった「自己責任」という言葉のせいだ。
「非正規雇用になったのは自己責任」というやつである。

自殺したいほど自分を責めている人は、「自分が苦しいのは、運がなかったせいだ」と思ってほしい。

実際、非正規雇用で苦しむ氷河期世代と、人手不足で引く手あまたの20代前半と、生まれた時代が良いか悪いかの「運」以外に何が違うのか?

苦しみを吐き出さずに、何のせいにすることもできず、自分を責めてばかりでは、もう死ぬしかない。
自分に運がないことを嘆くなら、他人のせいにするわけでもなく、だれも傷つけない。

そして、運は一定ではない。
ささいなことで好転するし、これからだって何が起こるか分からない。
だから、たとえ他人からみっともないと言われても、苦しみを吐き出して、生き抜いてほしい。

逃げたい人に「それは甘え」と言うより「短所をスルーできる戦略を考えよう」と言いたい

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