1985年8月12日、日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落し、520名の犠牲者を出した「日航ジャンボ機墜落事故」から30年がたつ。
お盆時期の夕方だったためジャンボは満員で、単独の航空機事故では犠牲者が世界最多となる、非常に痛ましい事故だった。
30年も前のことなので、20~30代だとこの事故のことをよく知らない人も多いだろう。
私自身もこの事故を認識したのは、2000年に入ってから公開された機内のボイスレコーダーを聞いてからだ。
この事故には謎が多く、いまだに陰謀説も囁かれるほど、事故の真相ははっきりと分かっていない。
最近、この事故について書かれた「墜落遺体」「墜落遺族」を読んで感銘を受け感想を書きたいのだが、その前にこの事故を巡る謎を簡単にまとめたいと思う。
日航機墜落事故のボイスレコーダー
墜落したJAL123便(伊丹行)は、8月12日18時12分に羽田空港を離陸した。
12分後の18時24分、異常事態が発生する。
突然の衝撃音とともに、123便の垂直尾翼が破壊される。
その時、ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムが損傷され、油圧関連の操縦が不可能になってしまう。
下記のサイトでは、その時点から墜落する18時56分30秒までの11分39秒間を、ボイスレコーダーの音声と文字、飛行概略図で再現している。
(注意:画面右の「FLASH」から飛行概略図に飛べるが、いきなり音声が流れるので注意)
(上のページが期間限定で見られない場合は、同じ内容が下の動画で見られる)
このボイスレコーダーのサイトを初めて見た時は、非常に衝撃を受けた。
油圧系ダウンのため飛行機が操縦できないという絶望的な状況の中、冷静にできる限りの努力を続ける機長たち。その努力の結末を知っているため、最後まで音声を聞くことは辛くてできなかった。
このボイスレコーダーも、事故直後には公開されず、2001年に国土交通省が情報公開法施行に備え、この事故に関する多くの資料を処分した際に、危機感を持った関係者がコピーをマスコミに提供したことで明るみに出たという曰くがある。
墜落後の救助が遅れた謎
123便は、18時28分頃に緊急事態を表す「スコーク7700」を発信し、18時59分以降レーダーから消失する。
つまり、飛行機がどこにいるのか(どこに墜落したのか)が分からなくなる。
そのため、墜落現場が判明したのは、なんと翌日8月13日午前4時30分過ぎ(航空自衛隊救難隊による)であり、救助活動が行われたのは、墜落から14時間後の午前8時半だった。
だが、事故直後に在日米軍が墜落現場を突き止め、救助活動を開始しようとしていたのに、寸前で中止を命じられ他言も禁じられたという証言もある(動画参照)。
これは、墜落直後にヘリコプターが一度近づいたのに遠ざかっていった、という生存者の証言とも一致する。
真実はどうだったのかは分からない。
縦割りの行政当局が、「墜落位置が確定しないと救助要請など出せない」と、正確な墜落位置の特定に固執しすぎて救助が遅れたという話もある。
また、123便は多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性物質)を積んでいたため、自衛隊は放射能汚染を警戒して待機していたという話もある。
もし墜落後比較的早く救助を行っていたら、もっと多くの命が救えたのではないかという点については、日本航空123便墜落事故 - Wikipediaから引用したい。
生存者の証言によれば、墜落直後には相当数の乗客が生存していた可能性があった。救出された、当時12歳の少女の証言によると墜落した直後は周囲からがんばれという励ましや、早く助けに来ないのかなどという話し声が聞こえていたが、次第に静かになっていったと語っている。そのため、救出が早ければもっと多くの命を救えたのではないかという意見がある。
事故原因の謎
事故の原因、つまり、なぜ垂直尾翼が破壊されたかは、1987年6月に事故調査委員会が公表した報告書によると、ごく簡単に言うとこうである。
- JAL123便は、7年前の1978年に着陸時に機体尾部が滑走路と接触し中破する「しりもち事故」を起こしていた。
- その時の、米国ボーイング社の修理が不適切だった。
- 結果、圧力隔壁に金属疲労による亀裂が生じ、そこから客室内の空気が流出して垂直尾翼が破壊された。
だが、この報告書を巡っても、議論が多々ある。
- 垂直尾翼の大半は未回収のため、その破壊過程が特定できない
- そもそも、尾翼の捜索自体が不十分である
最近でもこんなニュースもあるほどだ
日航機墜落事故「陰謀説」は終わらない ― 伊豆で破片が発見→隠蔽?目撃者語った真実 - 圧力隔壁から客室内の空気が流れ出すと、「急減圧」が発生する。
だが、パイロットが酸素マスクを使用した形跡がなかったり、生存者が急減圧時に発生する気温低下(マイナス40度にもなる)や強風を否定しているため、急減圧はなかったのではという意見もある
また、日本航空も独自に事故調査を行い、報告書を2002年8月にまとめているが、なぜか非公開である。
日航機墜落事故の陰謀説
上記のように、事故の原因を巡って多くの議論がある状況を反映してか、日航機墜落事故には陰謀説もある。
- 米軍機の誤射説
- 自衛隊機の誤射説
- 核兵器運搬の証拠隠滅説
- 当時総理だった中曽根氏が、この事故の真相は「墓場まで持っていく」と発言をしたという説(陰謀はともかく、新聞の首相動静によると、当時の首相で、墜落現場の群馬出身なのに、墜落当時はプール・ゴルフ・人間ドッグで、10月まで現場に来なかった。さらには、このことも「自分はこの事件に全く関わっていない」ことを立証するためという説もある)
- 日本初のOS「TRON」の研究者17名の暗殺説
- 実は、男の子の生存者がいたのに暗殺された(これは、4人の生存者のうちショートカットの女の子がいたため、当初男の子と間違われて報道されたことに由来するトンデモ説)
- 12日夜、待機命令を無視して救助に向かおうとした自衛隊員が射殺され、ニュース速報がNHKで出た(放送の事実はない)
まとめ
日航機墜落事故にこれだけ陰謀説が存在するのは、多くの犠牲者を出した非常に痛ましい事故なのに、真相がはっきりしないからだと思われる。
上記で簡単にまとめた中だけでも、これだけの謎がある。
- なぜ、重要な証拠であるボイスレコーダーが、公開どころか秘密裡に廃棄されかけたのか? → 何か秘密があったのか?
- 本当に、墜落した8月12日中に、墜落位置は分からなかったのか?
- (米軍の救助申請が本当なら)なぜ断ったのか?
- なぜ、垂直尾翼がいまだに全て回収されていないのか?
- なぜ、ボーイング社は捜査に協力的ではなかったのか?(これは、今日放送のTV番組で当時の検事が言っていた)
垂直尾翼の回収などは仕方ないことかもしれないが、それでも「何かが隠されている」感を、部外者でも感じてしまうのだ。
墜落から30年、この事故を知らない人も増えている。
だが、2014年3月のマレーシア航空370便墜落事故を皮切りに、再び飛行機事故が増えてきている中、これほど犠牲者を多く出した事故を真相不明のまま風化させてよいのだろうか。
せめて、真相に近づく新事実が発見されないかを祈りたい。